『わが子に会えない』(PHP研究所)で、離婚や別居により子どもと離れ、会えなくなってしまった男性の声を集めた西牟田靖が、その女性側の声――夫と別居して子どもと暮らす女性の声を聞くシリーズ。彼女たちは、なぜ別れを選んだのか? どんな暮らしを送り、どうやって子どもを育てているのか? 別れた夫に、子どもを会わせているのか? それとも会わせていないのか――?
第9回 松田亜美さん(仮名・38歳)前編
「妊娠して結婚して出産して、ちょっとしたら離婚しちゃったみたいな感じです。いま振り返ると、凝縮された3年間でした。知り合いの占い師に『天中殺だ』って言われてたんですが、当たってましたね」
中央線の某駅近くにある日当たりのいい1DKで、松田亜美さんは当時を振り返った。彼女は、まもなく3歳になる、活発な男の子を育てている。4年前、独身OLだった彼女は、「このまま結婚せずに、年を取っていくのかな」と思っていたというから、人生が劇的に動いた3年間だったことがわかる。いったい何があったのか?
■ヨガ教室のアシスタントと恋に落ちる
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「5年前、ヨガ教室に通いだしたんです。教えるのは女の先生で、彼はそのアシスタント。教室に通っている生徒は当時、全員女性で、そのクラスにいた男性はひとりだけでした。その男性が後の夫です。年は私よりも9歳下で、中性的な雰囲気の人でした」
――女の園に男がひとり。そんなところに男性がいて、違和感はなかったんですか?
「ヨガの練習をしているとき、先生やアシスタントが『脚上げて』とか『ひねって』とか言いながら生徒の体を触って、ポーズを矯正することがあるんです。アシスタントの彼も生徒の体を触るんですけど、中性的な人だってこともあって、誰も違和感を持たなかった。彼は体の仕組みにすごく詳しいし、ヨガのポーズならなんでもできちゃう人なので、触られるのを嫌がるどころか、みんな感謝していました。生徒の信望は厚かったです」
――松田さんが彼を好きになったきっかけは何ですか?
「ヨガに専念したくて会社を辞めたんです。オーガニック製品を扱っているその会社は、商品も素敵だし、働いていて楽しかった。だけど体力勝負だったり、休みが取りづらかったりして、行くのがつらくなっていって、衝動的に辞めたんです。でも、辞めたら途端に、お金のことが心配になってきた。そこで彼に相談したら、『今、貯金があるのに、ないって思い込んでる。ネガティブなことにばかり気持ちが向いてるよ』って言われて、はっとしました。それがきっかけで尊敬の気持ちが、恋心へと転化したんです。それで、私から『お付き合いしてもらえませんか』って告白したんです。ふられましたけどね」
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――なぜふられたんですか? 中性的とのことですけど、もしかするとゲイ?
「ゲイではないです。女性と付き合った経験がほとんどなかったらしくて、男女交際に興味が持てなかったとか。つまり根本的なところで、人に心を開けてなかったんです。彼が小さい頃、母親が2回離婚した関係で、親戚中をたらい回しにされた時期があったと聞きました。一方、彼がヨガを始めたのも、母親の影響だと話していましたね。良くも悪くも、彼は母親の影響を強く受けて生きてきたんです」
――彼自身は稼げていたんですか?
「ヨガの先生というのは、ほんとにピンキリ。そのうち彼は、収入的にはキリのほう。先生のアシスタントをしたり、自分で教えたりするんですが、収入はフリーター以下。だけど、体の仕組みについてはすごく詳しい。ちょっと体を触っただけでも、ここの筋肉が張ってるとか、たちまち当ててしまうんです。ただ、そうした技術の高さが、収入につながっていかなかった」
――ところで、ふられた後はどうなったんですか?
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「教室で彼と話し込んでいるうちに、波長が合うようになりまして、気がつけば交際を始めていました。4年前の10月頃のことです。いったん付き合いだすと彼は積極的になり、彼の方から強く結婚を望むようになりました。経済的なことで不安はありましたが、私も結婚について彼の考えに基本的には賛成。そして、付き合いだして半年ほどで妊娠しました」
結婚を決めた2人は、双方の両親に報告する。
「うちの両親に、妊娠したことを話したんです。結婚したいということも含めて。すると私の父は『ハーッ』ってため息をついてから、『なんでわざわざ苦労しなきゃいけないんだ!』って言いました。彼の経済力のなさを知っていたので、当然かもしれませんが。
一方、彼の父親は彼の経済力や労働意欲のなさを知っているので、私に対して恐縮しているというか、将来のことを心配していました。『責任は取ります』と、きっぱりお話しされたのを覚えています」
――「責任」って何ですか? 「堕胎の費用は出す」とか、そんな話?
「違います。彼に生活力がないので、実家に一緒に住むということです。家賃はお金がかかりますからね。川崎にある彼の実家に同居することになりました。そこは3DKのマンション。もともと彼が自室として使っていた、6畳の部屋をあてがわれました。もちろん彼も同じ部屋。棚があって、布団を敷いたらもういっぱいという狭さでした」
――その後は、ずっと同居したんですか?
「基本はそうです。だけど、うまくいかなかった。お母さんは、私が掃除機をかけた後、わざわざ、また掃除機をかけたりしてるんです。悪気はないかもしれないけど、いい気はしないですよね。
しかも、ご両親は彼をダメな息子と見なしているようで、きつい言い方で叱るんです。それがすごく嫌でした。好きで一緒になった人が、目の前で叱られるんですから。そうしたことの積み重ねから、そのうち義父母と一緒に住むのが耐えられなくなってきたんです。それで、川崎の彼の家と都内の自分の実家との間を、行ったり来たりするようになりました。翌年の8月中旬には、出産休暇に入ったんです」
――当時、彼はどんな毎日を送っていたんですか?
「かなりがむしゃらに働いていました。朝5時に起きて、6時から都内でヨガを指導して、それで午後、川崎に戻ってきて、夕方から午後11時まで、地元のジムで働いてました。その一方で、子どもの体の動きに関するDVDを借りてきて、『こうやって寝返りを打つんだ』と勉強するなど、育てる気満々の様子でした。
ところが、そんなペースで働いていたせいか、彼は体調を崩しちゃった。アルバイト扱いなので、いくら働いても自立できないという徒労感にさいなまれたみたいです。そうしたことから、徒労感と疲労とでパンクし、うつになっちゃったんです。私が臨月を迎える頃です」
(後編へ続く)