先日、東京オリンピック開催まで1000日を切り、日本各地で様々な催しが開かれた。
しかし、ご存知の通り、東京オリンピックに向けての準備は遅々として進まず、どころか、「東京オリンピックのためなら理不尽なことも我慢しろ」とでも言いたげな言説すら跋扈しはじめている。
その代表格が、7月24日付朝日新聞のインタビューに応じた椎名林檎のこのような発言だろう。
「正直「お招きしていいんだろうか」と言う方もいらっしゃるし、私もそう思っていました。でも五輪が来ることが決まっちゃったんだったら、もう国内で争っている場合ではありませんし、むしろ足掛かりにして行かねばもったいない。
だから、いっそ国民全員が組織委員会。そう考えるのが、和を重んじる日本らしいし、今回はなおさら、と私は思っています。取り急ぎは、国内全メディア、全企業が、今の日本のために仲良く取り組んでくださることを切に祈っています」
まさに戦時中の「一億層総火の玉」を彷彿とさせる言葉だ。東京五輪をめぐっては、招致裏金問題、新国立競技場見直し、招致時は7000億円だったのにいつのまにか3兆円にも膨れあがった費用......数々の問題が発覚し解決されないまま放置されている。そんなものになぜ国民全員が協力しなくてはならないのか。どう考えても納得できない言い草だが、東京オリンピックについて批判や疑問を呈すると、「決まったことにいまさらグチグチ文句を言うな」「反日」と袋叩きにあうという風潮が日増しに強くなっている。
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そんな"オリンピック圧力"が高まるなか、作家の柳広司氏が勇気ある言葉を発信していた。それは、「ダ・ヴィンチ」(KADOKAWA)2017年12月号のインタビューでのこと。柳といえば戦前の日本陸軍諜報機関をモデルとした小説『ジョーカー・ゲーム』(KADOKAWA)シリーズが有名だが、インタビューのなかで柳は人々がしっかりとした現状認識をせぬままひとつの方向にいっせいに流されていっている状況を批判した。
「今度の東京オリンピックは復興五輪と言いながら、明らかに東北復興にマイナスが出ている。それなのにみんな歓迎ムードに流されているのが気になって。仕事柄、戦時中の資料を読むことが多いんですが、太平洋戦争開戦当時の日本人と重なって見えるんですよ」
オリンピックの熱狂に流される様は、太平洋戦争開戦時の日本人と重なる――。椎名の「国民全員が組織委員会」発言などその最たるものだろう。
柳が現在の日本社会の現状を太平洋戦争時の日本社会と重ね合わせて警鐘を鳴らしたのは今回が初めてではない。柳氏は朝日新聞の「声」欄に〈小説家・柳広司〉として投稿。そのなかで、治安維持法と共謀罪の類似点の多さについて触れ、歴史からの教訓を忘れてはいけないことを読者にこう促した。
〈治安維持法は、成立当初、政府も新聞各社も「この法律は一般人には適用されない」「抜くことはない伝家の宝刀」と明言していました。しかし、法律制定後の運用は事実上現場(警察)に丸投げされ、検挙率を上げるために多くの「一般人」が検挙され、取り調べの過程で殺されたり、心身に生涯癒えぬ傷を負わされたりしたことは周知の事実です。
この結果に対して、治安維持法を推進した政治家や官僚たちが責任を取ることは、ついにありませんでした〉
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●赤川次郎、中原昌也がオリンピックをめぐる同調圧力に怒りを表明
その共謀罪だが、強行採決に向けての議論のなかで、「オリンピックのためのテロ対策のために必要」というむちゃくちゃな話のすり替えをされていたのは記憶に新しい。
この論法は完全に嘘っぱちで、共謀罪などなくても現行法でテロ対策はしっかりとできるし、だいいち、東京はその「治安の良さ」を売りにしてオリンピック招致をしていたはずで、これでは話があべこべだ。だったら、東京にオリンピックなど呼ばなければいい。
赤川次郎氏は共謀罪が強行採決された直後、6月15日付朝日新聞朝刊にこんな文章を綴っている。
〈これがなければ五輪が開けない? ならば五輪を中止すればよい。たったひと月ほどの「運動会」のために、国の行方を危うくする法律を作るとは愚かの極みだ。五輪は終わっても法律は残るのだ〉
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共謀罪は人権を著しく侵害する危険のある悪法だが、「オリンピックのため」というスローガンのもと、個人の生活や命や人権までもが犠牲にされてしまう国など、いまどき中国か日本くらいのものだろう。
こうした冷静な判断さえ奪ってしまうオリンピックの熱狂とは何なのか。中原昌也氏は「SPA!」(扶桑社)2017年9月19日・26日合併号掲載の坪内祐三氏との対談のなかでオリンピックへの熱狂に対し、このように冷や水を浴びせかけた。
「そもそもオリンピックとかで、自分が属したつもりになっているものが代わりに戦ってくれるみたいな感じがすごく嫌い。いわゆる代理戦争みたいなもんで、お前は何もしてないだろうと」
それを言っちゃお終いよ、と思わず笑ってしまいそうになるが、この「代理戦争」の心理は一笑に付していい問題ではない。それはナショナリズムにつながってくるものだからだ。
指摘するまでもなく、そのような心理は、スポーツを通した人間育成と世界平和を目的としたオリンピックの思想とは180度真逆に位置するものである。中原は同対談で続けてこのようにも話している。
「なんか、オリンピックとかでナショナリズムが高まっていくのがすごく嫌で......。スポーツに対する思い込みかもしれないけど、ナショナリズムみたいな盛り上がり方はスポーツマンシップとは逆の感じがするんですよ。すごく不健全な感じがして」
●松尾スズキ、恩田陸が抱くナショナリズムの高まりへの違和感
中原が指摘する「代理戦争」の気味悪さを松尾スズキ氏も指摘する。
彼は、エッセイ集『東京の夫婦』(マガジンハウス)のなかで、睡眠時間を削ってまでオリンピック中継に夢中になり、「内村航平くんなんかすごい頑張ってるじゃないの!」と熱弁する共演者の話を聞いた感想をこのように綴っている。
「それだ。オリンピックに夢中になっている人すべてのその論理ですよ。
いやいや、だって、僕だって、頑張ってるじゃないですか! 頑張っておもしろい芝居作ってるじゃありませんか。でも、誰も徹夜するほど夢中になってくれませんし、国費で海外に連れてってくれたりしませんよ。もっといえば、日本人全員が、おのおのの持ち場で頑張って生きてますよ! だけど、赤の他人は夢中になってくれるどころか知りもしませんよ」
いかにも最近の松尾スズキらしい自虐と嫉妬に溢れている文章だが、オリンピック選手に対し「頑張ってる」という理由で応援を強いる同調圧力に対する違和感がよく表れている。このエッセイが書かれたのはリオデジャネイロオリンピックでの出来事がきっかけだが、東京オリンピックが開かれるときにはこの同調圧力が数百倍の強さで迫ってくることだろう。
そういった同調圧力とナショナリズムの高まりによって生まれる戦争への危機感を小説のテーマにした作家がいる。
昨年出版した『蜜蜂と遠雷』(幻冬舎)が直木賞と本屋大賞をダブル受賞するという史上初の快挙を成し遂げた恩田陸氏である。恩田は今年2月、直木賞受賞後第一作目となる小説『失われた地図』(KADOKAWA)を出版したが、その作品がそれだ。
この小説は、時空の裂け目から出現する「グンカ」という化物(茶色がかった軍服に赤い星のついた帽子をかぶっているなど、太平洋戦争中の日本兵の幽霊なのではないかと思わせる描写がなされている)と戦う若者たちを描いたアクション。
この「グンカ」は戦争の機運やナショナリズムが高まってくると、どんどん勢いを増す化物として描かれているが、物語のラストではオリンピックのシンボルとともに大量の「グンカ」が現れ、ついに主人公たちは手も足も出せなくなってしまう。
このようなシーンが描かれた内幕について、恩田はウェブサイト「BOOK SHORTS」のインタビューでこのように答えている。
「オリンピックの開催地が東京に決まったときには、これでまた東京大開発だし、ナショナリズムが......とすごく嫌な気持ちになりました」
東京五輪の開催まで3年を切った。もうすでにこの国に大量の負の遺産を残しつつあるが、開催までの3年、そして五輪が終わったあとも、さらに国民を苦しめることになるのは明らかだ。
大量の血税を投入し、建設や運送の現場にはブラック労働を強制し、挙げ句の果てには共謀罪のような悪法までつくらせてしまう。いまからでも間に合う。東京オリンピックなど返上するべきだ。
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