育児に悩んだら「ダーウィンが来た!」を見よ

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2017年11月22日 10:33  MAMApicks

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私の子育てのバイブル。それはNHK総合・日曜夜7:30から放送される『ダーウィンが来た!生き物新伝説』という番組である。

この番組は、子どもに向けて生き物の生態をユーモラスに紹介する番組なのだが、大人が見ても面白い。私は子どもが産まれる前から毎週録画して、気に入ったものはずっと残して何度も見ている。それくらいこの番組の大ファンだ。


「ダーウィンが来た!」の魅力……。それは、動物たちのヘンな動きやスゴ技をフォーカスして、面白いキャッチフレーズやBGMとともに紹介し、視聴者をププっと笑わせながら、なぜそんな行動をするのか、その動物の生存戦略とは何ぞやということををしっかり解説するというところだろう。

構成はだいたい似通っていて、その動物がどんなところに住んでいて、どんな狩りをして、どのような繁殖行動をするのか、といったことである。珍しい動物を紹介するときもあれば、野生動物が都会の思わぬところでたくましく生活している様子を紹介することもある。そしてときには、生き物の生態を解明するための研究や生態系保全のための活動を紹介するときもある。

そんな「ダーウィンが来た!」なのだが、子どもを産んで「あ、これってすごく子育て、いや人生の本質が描かれているぞ!」ということに気づいた。だから、私にとってはどんな育児書よりもこの番組が育児のバイブルになっているのである。

■子育ての基本は野生動物に学べ
私が「ダーウィンが来た!」を見てつくづく思うのは、「つまるところ動物というのは自分たちの子孫を残していくこと(もしくは種を繁栄させること)が最大の使命なのだな」ということである。そして、「子育てというのは、子どもが親を離れて自分で餌をとれるようになること、ちゃんと子孫を残せるようになることを目的とすべきなんだな」ということだ。

そう思ってしまうのは、普段子育てをしていると、本当にいろいろと周囲の状況にやきもきしてしまうからだ。たとえば、我が家の目下の子育てのトピックはトイレトレーニングである。娘は3歳だが、まだオムツがとれていない。しかし、保育園の同じクラスの子を見ていると、娘よりも月齢の小さい子でも、もうパンツをはいている子が結構いるのである。SNSで同じような年ごろの子どもを持つ友人の「オムツ卒業しました!」という投稿を見るのも焦る。

娘は、保育園ではトレーニングパンツを履き、促されてトイレで排泄できるのだが、家ではトレーニングパンツを履こうとしない。「4歳になったらおうちでもおねえさんパンツを履くの」とまで言う始末である。そういうのを見ていると、「本人のやる気を尊重してこのままぬるく見守っているだけでいいものか……。それとも口うるさく家でも履くように言うべきなのか……」と悩んでしまうのである。

そして、トイレトレーニングに限らず。これからもそういうことはたくさん出てくるのだと思う。「子どもはいつごろからどんな習い事をさせればいいだろうか」「学校選びはどうすればいいか」「子どもの交友関係に親はどこまで口をはさむべきなのか」……などなど。

私自身は、親が口うるさいタイプだったため、本人のやる気がないのにガミガミ干渉しても何の意味もないということが身に染みてわかっているし、子どもの自己肯定感を損ねないために、多少のことには目をつぶっておおらかに構えたいなと思っている。それでも、やはり周囲の状況を見ると「自分はズボラなんだろうか」と心がざわつくのだ。

そんなときに、「ダーウィンが来た!」を見ると、子育ての原点に立ち戻れて、心がすっと軽くなるのである。たしかに、教育やしつけというのは人間にとって子どもが自分で餌をとり、よりよい配偶者を見つけるために必要なことである。でも、親の押しつける期待が強すぎてあれこれ強制し、結局子どもの自立の力がそがれてしまったら本末転倒ではないか。

そういえば、子育てを生きがいにしてきた親が、成人した子どもから「重い」と言われたり、子どもが親元を離れてろくに連絡をよこさなかったりすると、「男の子ってお嫁さんにとられちゃうからむなしい」とか、「こんなに尽くしたのに、子どもはひとりで育ったような顔をして、親への感謝がまったくない」などとこぼすことがよくある。しかし、それは完全に原点を見失っているから出てくる発言だと思う。

子育ての目標が「自分で餌をとり配偶者を見つけて子孫を残せる人材を作る」ではなくて、いつしか「世間に自慢できる『作品』を作り上げる」「誰よりも自分を愛してくれる存在に仕立て上げてそばに置く」「子どもから『育ててくれてありがとう』と感謝されて老後の面倒を見てもらう」ことにすり替わっているからそんなセリフが出てくると思うのだ。

■野生動物を見ていると、親が自己嫌悪することも減る
野生動物を見ていると、子育てをしていて自己嫌悪に陥ることも少なくなる。出産したら誰しもイライラするが、野生動物だって同じである。「私、子どもを産んでから性格が悪くなっちゃったみたい……」と気に病む必要はないのだ。だって、それが自然の摂理なんだから。

また、野生動物は人間と比べて非常にドライなので、弱い子や手のかかる子の養育はあっさりあきらめるし、母親自身がキャパオーバーした場合は育児放棄する。だから、野生動物の子どもの死亡率は、人間に比べれば桁違いに高い。

人間が野生動物の子育てをそのまま真似すると、今のご時世では倫理的に問題があるわけだが、「やっぱり養育する側がキャパオーバーだったら音をあげるのはごく自然なことなんだな」と思えるようになれるという意味では気が楽になる。それで、「自分ばかりが我慢するのは不自然だから、周囲に手伝いを頼もう」と考えられるようになるなら、いいのではないだろうか。

そして、野生動物の中には、母性原理主義者が狂喜しそうな「母の滅私奉公」をするものもある。たとえば、ミズダコは、母親は産卵した後、自らは飲まず食わずで卵に新鮮な海水を送り続ける。実に麗しい母の愛情である。それを見ていると、「えー、ろくに食べてなくて大丈夫?」と思うが、大丈夫ではない。母ダコは卵の孵化とともに死ぬからだ。

そういうのを見ると、「滅私奉公ってのは、自分が死んでもいいという覚悟を持ってやらないとダメなのか」ということがわかる。つまり、ミズダコと比べて子育て期間がやたらと長い人間は、ペース配分をきちんとして、死なないようにすることが大切なのだということがわかる。

だから、母の犠牲をやたらとありがたがる人に対しては、「この人、私に死ねって言ってるようなもんだし、私が死んだ後の子育てに責任持つ気がなさそうなくせによく言うわ」と思うことができるようになる。いちいちうるさい外野の雑音を真に受けて気に病む必要はなくなるのだ。

■時代とともに変わる子育ての常識も変わる
もうひとつ、「ダーウィンが来た!」を見ていて思うのは、「生存戦略上の常識って不変じゃないんだな」ということである。この番組では、しばしばある動物が環境の変化で、生存戦略を変えるということについてフォーカスすることがある。

たとえば、カンガルーの生態を取り上げた回では、従来は繁殖活動においてはオスからのアプローチが常識だったのに、ひどい干ばつが続いてオスの数が激減したことで、メスのほうからオスにアプローチするようになったということを伝えていた。「女からプロポーズするなんてはしたない」という常識にとらわれすぎると、時代の流れに取り残されてうまく子孫を残せなくなるというわけだ。

そういうのを見ていると、親世代が「母親というものはこうあるべき」「父親に育児をさせるなんて……」というのを言ってきても、「野生動物でさえ生存戦略を変えるんですからねえ……」と思えるようになる。

そういえば、2016年に放送され、大きな反響を呼んだNHKスペシャル「ママたちが非常事態!?」の番組制作に携わったディレクターも、「ダーウィンが来た!」の番組制作を担当していたという。この番組の書籍には、自らの出産・育児の経験を通して「ママたちが非常事態!?」を制作しようと思い立ったと書かれてあった。それを知って、「やっぱり、ずっと野生動物の子育てを見ていると、人間の子育てについて考えてしまうよな……」と深く納得した次第である。

ダーウィンが来た!生きもの新伝説|NHK
http://www.nhk.or.jp/darwin/

今井 明子
編集者&ライター、気象予報士。京都大学農学部卒。得意分野は、気象(地球科学)、生物、医療、教育、母親を取り巻く社会問題。気象予報士の資格を生かし、母親向けお天気教室の講師や地域向け防災講師も務める。

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