ジンバブエの英雄から独裁者へ、ムガベの37年

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2017年11月22日 18:32  ニューズウィーク日本版

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ニューズウィーク日本版

<「黒人解放の闘士」の座から転げ落ち、軍によって軟禁されたムガベ大統領――強権政治で莫大な負の遺産を国に残した男の歩み>


ジンバブエの首都ハラレには、静かななかにも張り詰めた空気が漂っていた。11月15日、街にはあちこちに軍用車両が出動していたが、市民はいつもと変わらない生活を送っていた。


しかし、エバン・マワリレは違った。ハラレにある教会の牧師で、ソーシャルメディアを駆使してムガベ政権に反対する「#ThisFlag」という運動を率いる彼は、国民は事の重大さに気付いていると語った。「普通に見えるが、みんなこの国で何が起きているかをはっきり理解している」


実はこの日、ハラレでは目まぐるしく事態が動いていた。早朝、国軍が国営放送局を占拠して声明を発表。標的は、ロバート・ムガベ大統領(93)の周辺にいる「犯罪者たち」だとテレビを通じて表明した。


80年のジンバブエ独立から最高指導者の座にあるムガベが自宅軟禁下に置かれている事実が、その日のうちに確認された。さらに軍はムガベに対し、エマーソン・ムナンガグワ前副大統領に権力を移譲するよう求めているようだと報じられた(ムナンガグワは6日、ムガベに突然解任されていた)。


この日の出来事は、37年間続いたムガベ時代の不名誉な終焉を意味しているようだ。ジンバブエでは、多くの国民がムガベ以外の政治指導者を知らない。彼らは自国がアフリカの食料庫だった時代から、経済崩壊に至るまでの変遷を目撃してきた。通貨制度は破綻し、中央銀行は国外で通用しない紙幣を印刷し始めた。「ムガベ政治の不幸な点は、善政よりも悪政のほうが国民の記憶に残り、後味が悪いことだ」と、マワリレは言う。


しかし事態が急変しても、ムガベの人気は高いままだろう。何といっても彼は、イギリスの植民地として白人に支配されていたこの国を独立に導いた英雄として尊敬を集めている。


マルクス主義者で「アフリカ民族主義者」であるムガベは、70年代に人民軍を組織し、少数白人政権と戦った。その後、イギリスなどの仲介によって和平が実現し、80年の総選挙でムガベは首相に就任。87年には大統領となり、現在に至っている。


権力の座に就くと、ムガベは白人との和解と国の再建を誓い、数人の白人を閣僚に任命した。医療や教育も、彼の時代になって大きく発展した。いまジンバブエの識字率は少なくとも86.9%で、アフリカ諸国では最高レベルだ。


大量虐殺も非難されず


その一方で、ムガベが指導者になって間もない83〜87年には大量虐殺が行われ、彼は強権的な独裁者として知られるようになった。北朝鮮で軍事訓練を受けたムガベ直属の部隊が西部のマタベレランド地方で反体制派を弾圧した。


この虐殺は「グクラフンディ」として知られ、死者は2万人に上るという推定もある(「グクラフンディ」は、ジンバブエの多数派であるショナ人の話すショナ語で「春雨より早くに降る、もみ殻を洗い流す雨」の意)。


だが、ムガベはこの虐殺について国際的に非難されることはなかった。83年9月にはロナルド・レーガン米大統領をホワイトハウスに訪ねているし、虐殺の責任を取ることはなかった(「グクラフンディ」が行われた当時、国家安全相だったムナンガグワは、虐殺への関与を否定している)。


「グクラフンディ」はムガベの負の遺産の中では最大級のものだと、南アフリカのシンクタンクである安全保障研究所のコンサルタントで、ハラレを拠点にするデレック・マティザックは言う。「あれは民族浄化だった。要するに、ムガベは大量虐殺者だ。それを隠そうとしても、見逃すわけにはいかない」


「グクラフンディ」の記憶が国民の間に長く残る一方で、欧米諸国から最も注目と怒りを集めたのは、ムガベが行った農地改革政策だ。


00年からジンバブエ政府は、最高裁が違法と断じたにもかかわらず、白人所有の土地の強制収用を支持した。ムガベは、これらの土地はもともと白人入植者によって盗まれたものであり、強制収用はアフリカの人々が自分の土地を取り戻しているだけと言って、対立をあおった。


「そもそも白人は、アフリカに住んでいなかった。アフリカはアフリカの人々のもの、ジンバブエはジンバブエの人々のものだ」と、ムガベは言った。


強制収用によって白人農場主数人が殺害され、多くが追い出された。しかしムガベは正当性を主張し、今年8月にも「(白人農場主を)殺害した人間を起訴しない」と語った。


犠牲者の1人がマイク・キャンベル。ジンバブエ国籍の白人で、農場の強制収用についてムガベを訴えていた。


08年、キャンベルとイギリス人の義理の息子ベン・フリースはムガベ支持者に拉致され、暴行された。キャンベルは3年後、その傷が原因で死亡した。


フリースはその後、義理の父親の名前を冠した財団を設立。ジンバブエと南アフリカで殺された白人農場主のために、それらの国で人権が回復され、正義が実現することを求めている。ムガベは起訴しないと言ったものの、フリースは彼が政権を手放すことで正義が実現するだろうと考えている。


「ムガベは93歳だ。おそらく権力の座を降りるだろう。永遠には続かない」と、フリースは活動拠点であるハラレで語った。「彼が去れば、(白人殺害者を)起訴しないという約束が守られるかどうかは分からない。正義は独裁者の約束よりもはるかに重い」


土地の強制収用は、ジンバブエの壊滅的な経済崩壊の要因と考えられている。計画が実施されると欧米諸国は援助を削減して制裁を科した。一方、白人が去った農場を手に入れた人々には農業の知識がなく、作物の生産量が大幅に減った。


08年には経済危機が特に深刻化した。極端なハイパーインフレが発生し、日ごと物価が2倍になり、09年にジンバブエ・ドルの効力が停止された。


ハイパーインフレの不安に駆られてハラレの銀行に預金引き出しのために殺到する市民(2008年) Philimon Bulawayo-REUTERS


以来、経済はやや落ち着いたが、失業率は高いままで食料は不足。中央銀行は外貨不足のため16年に「ボンドノート」と呼ばれる自国版ドルを発行。外国では通用せず、第2のハイパーインフレが起きるのではないかという不安をかき立てている。


静観を決め込む欧米諸国


こうした情勢の中で牧師のマワリレが率いる市民運動は大きな注目を集め、昨年7月には大規模なストを主導した。マワリレは今年9月に逮捕されて国家転覆罪で起訴され、11月中に裁判所に出廷する予定だ。


マワリレに言わせれば、ムガベがジンバブエに最近残した「遺産」は、「経済とインフラの大きな破壊」と「天然資源の略奪」だ。後継者は直ちに改善すべきだと、マワリレは言う。「ジンバブエ人は決して高望みなどしていない。機能する国家を求めているだけだ」


後継者と考えられているのはムナンガグワ。何十年にもわたるムガベの側近で14年に副大統領に就任したが、今年11月6日に不敬と詐欺の疑いで職を追われた。


ムナンガグワの失脚は、与党のジンバブエ・アフリカ民族同盟愛国戦線(ZANU-PF)の長期にわたる亀裂の結果と考えられる。次期大統領にムナンガグワを推す派と、ムガベの妻グレースを支持する派の2つに分裂したのだ。


ムガベがムナンガグワを解任したのは、妻を後継者に指名して「ムガベ王朝」を築く一歩だと考えられる。しかし軍のムナンガグワ支持者たちは11月15日、その流れを変えようとした。


軍はZANU-PFのグレース派の何人かを拘束したと伝えられる。しかしZANU-PFのジャスティス・メーヤー・ワドヤジェナ議員は、党は単に「指導層の入れ替え」を行っているだけと主張する。


ムナンガグワを「私の政治の師」と呼ぶワドヤジェナは、ムガベはもはや地位を維持できず、ZANU-PFは「ジンバブエのワニ」と呼ばれるムナンガグワの下に結束すべきだと言う。「ムナンガグワはこの国の経済を救うビジョンだけでなく、政治的意思も持っていると信じられる唯一の人物だ」と、ワドヤジェナは言う。


ジンバブエの明日は、よく見えない。ムガベはハラレの自宅に軟禁状態で、南アの特使が調停のためにジンバブエ入りした。アフリカ連合(AU)の指導部は軍によるクーデターとみられる動きを非難し、欧米諸国は行方を見守りつつ沈黙している。


だがムガベが失脚したとしても、ジンバブエの前には問題が立ちはだかっていると、マワリレは言う。


「私たちは国民が自由であるジンバブエをずっと夢見てきた。それだけだ。今のジンバブエ人は何を求めているかと聞かれれば、自由の一言だ」とマワリレ。「その夢を本物にしなくては」


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コナー・ギャフィー


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