シルク王ジム・トンプソン失踪の謎解きに終止符? マレーシア共産党による殺害説

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2017年12月07日 18:22  ニューズウィーク日本版

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ニューズウィーク日本版

<タイのシルクのブランドで知られるジム・トンプソンは50年前に失踪したまま行方が知れなかったが、新たな証言から殺害説が有力に>


タイのシルク王として知られるジム・トンプソン氏が1967年にマレーシアの山中で忽然と消息を絶った事件から50年の歳月が流れ、未だにその失踪の真相は深い謎のベールに包まれている。しかし、タイの英字紙「ネーション」がこのほど、米記録映画プロデューサーによる謎解きの記事を掲載、複数の証言などからマレーシア共産党によって殺害された可能性が極めて高いことを指摘した。長年のミステリーとされたジム・トンプソンの失踪の謎解きに終止符が打たれることになるかもしれない。


ジム・トンプソンは1906年に米デラウェア州で生まれ、プリンストン大学やペンシルベニア大学で学んだ後米陸軍に入隊、その後米情報機関「中央情報局(CIA)」の前身となるOSS(戦略事務局)に移籍して第2次世界大戦を欧州戦線で過ごした。戦後、東南アジアに異動になりOSSバンコク支局長などを務めながらビジネスとしてタイシルクの製品化を始めた。その一方でプリーディー・パノムヨン首相などと親交を深めるなどタイ政財界にも食い込んだ。


諸説入り乱れた謎解き


そして1967年3月26日、シンガポール人の知人が所有するマレーシア・クアラルンプール北方の高級避暑地キャメロン・ハイランドにある「ムーンライトコッテージ(月光荘)」に滞在中、散歩に出たまま行方不明となった。軍や警察、住民などによる大規模な捜索が行われたにも関わらず、手掛かりも遺留品も発見されないまま事件は迷宮入り。


その結末についてはジャングルでトラに襲われた説からCIAの陰謀論、遭難、自殺、誘拐あらゆるシナリオが取りざたされ、書籍も出版されている。日本でもこの謎の失踪にヒントを得た松本清張の小説『熱い絹』が出版されている。


月光荘はその後「ジム・トンプソンコッテージ」と改称されたが、現在は無人で立ち入り禁止となっているという。


タイシルクのブランド「ジム・トンプソン」は謎の失踪の「効果」もあり、今ではバンコク中心部に店舗を構える一流ブランドとなり、日本人の間でもファンが多いなどビジネスとしては成功している。


マレーシア共産党関係者の証言を発掘


ネーションの記事によると、謎解きを続けているプロデューサーらが2013年に探し当てたシンガポール人の知人経由でテオ・ピン氏という人物に行きついた。このテオ・ピン氏が「実の父親が死の床で自分は昔マレーシア共産党(CPM)の幹部で植民地政府や英軍とも戦ったこと」などと告白したという。その告白で「ジム・トンプソン氏がCPMの最高幹部で当時最重要指名手配されていた人物との接触、面会を試みていた」ことを明らかにしたという。


ジム・トンプソン氏が失踪当時滞在していたキャメロン・ハイランドはCPMの主要潜伏地域で、月光荘は一時CPMの司令部が置かれていたこともあり、スタッフにはCPMシンパが残っていたという。その関係でCPM側に幹部との面会を求めるジム・トンプソン氏のことが即座に伝わり、人物照会、身辺調査の結果「元米情報機関員」であることが判明したという。


その結果ジム・トンプソン氏は「スパイの可能性がある」としてCPMの監視下に置かれたのち、1人で山中に入ったところを殺害されたというのだ。当時CPMの末端組織と中央組織の連絡は伝令と精度の低い無線しかなく、殺害はCPM本部ではなく、月光荘周辺の末端組織の判断だった可能性がある、と証言を聞いたプロデューサーは記事で推測している。


このCPM元幹部の証言を裏付ける資料も傍証もないとしているが、さらにジム・トンプソン氏と親しかった当時中国で活動していたOSS幹部の息子の証言も記事では明らかにされている。


OSS関係者もCPM犯行説を語っていた


その人物は「しばらくの沈黙の後、50年間誰にも話さなかった父とジムのことを話し始めた」と前置きして当時のタイ政界と父親、ジムの密接な関係を説明した。その中で第2次大戦中、対日レジスタンスの指導者だったという経歴のあるプリーディー首相とは特に親しく、その関係でキャメロン・ハイランドにジム・トンプソン氏が赴きCPM幹部との接触を試みたのではないかとの見方を示したという。プリーディー首相は後タイ政界を追われ中国に亡命する。


そして「父はCPMに殺害されたと話してくれた」とプロデューサーに語ったという。なんの物証もないものの、2人の別々の人物が当時を知る父親から得た証言が共に「マレーシア共産党による殺害」で一致していることから「ジム・トンプソン氏を殺害したのはCPMの可能性が極めて高い」と結論付けている。


このプロデューサーらによるこうした証言をまとめた記録映画「誰がジム・トンプソンを殺したのか」は今年10月に米オレゴン州で初公開され、バンコクでも公開された。


ネーション紙では「もしCPMによる殺害であれば、一切の手掛かりも遺体もその後の捜索で発見できなかったことは納得できる」としており、長年のミステリーに終止符を打つことになりそうな今回の証言のさらなる検証に期待を示している。


[執筆者]


大塚智彦(ジャーナリスト)


PanAsiaNews所属 1957年東京生まれ。国学院大学文学部史学科卒、米ジョージワシントン大学大学院宗教学科中退。1984年毎日新聞社入社、長野支局、東京外信部防衛庁担当などを経てジャカルタ支局長。2000年産経新聞社入社、シンガポール支局長、社会部防衛省担当などを歴任。2014年からPan Asia News所属のフリーランス記者として東南アジアをフィールドに取材活動を続ける。著書に「アジアの中の自衛隊」(東洋経済新報社)、「民主国家への道、ジャカルタ報道2000日」(小学館)など


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大塚智彦(PanAsiaNews)


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