あの「たまごっち」が発売されて20年。それを記念して初期モデルの復刻版が発売されている。そりゃ、スマホにスマスピの時代に、たまごっちでもないだろうと思う人は多いと思うけれど、たまごっちが日本のITの普及に果たした役割は、とても大きかったのではないかと、私は思っている。あれは、みんなが初めて手にした、肌身離さず持つモバイルデジタル機器だったのだ。
■ポケモンとたまごっちこそ、日本におけるIT革命
|
|
バンダイの「たまごっち」が発売されたのは1996年11月。この年の2月に任天堂のゲームボーイ用ソフトとして「ポケットモンスター赤・緑」が発売されている。そして、この96年あたりから、じわじわとインターネットが普及し始める。
既にパソコン通信などを通じて、フリーのアプリケーションや小説などをダウンロードしている人はいたのだけど、パソコン自体が高価だったし、パソコン通信の設定なども面倒だったせいで、それはマニアックな趣味に留まり、デジタルと言えば、テレビゲームの事だった1996年に、いきなりポケモンとたまごっちがやってきて、世間は、当たり前のように、デジタルを生活に取り入れた。その意味で、私は、ポケモンとたまごっちこそが、日本に於けるIT革命だったと思っている。
驚いたのは、永谷園がプレゼントの景品に「波乗りピカチュウ」を出してきたこと。企業がテレビCMで告知するプレゼントが、定まった形のない「データ」なのだ。遂に、デジタルデータもモノ同様の価値を持ったのだなあと、とても感慨深かったのを覚えている。ゲームボーイを映画館に持っていくと、何と、映画の最中に新しいポケモンのデータが送られてきたりするのだ。何て未来!
|
|
■デジタルの入り口とたまごっち
そういう時代の流れを受けて登場した「たまごっち」の、デジタルによる仮想生命を育てる、という形のエンターテインメント性は、女子高生を中心に、幅広い層に、とてもスムーズに受け入れられた。ドットで描かれたキャラクターに感情移入して、呼ばれれば世話をし、遊んでやり、おやすみを言い、おはようと言い、死んでしまえば悲しむ。そこには用意された物語もなければ、美麗なグラフィックも、ネットに繋がったデータベースもない。極端にシンプルなプログラムと、手のひらよりも小さな卵形の機械の小さな画面とビープ音に、多くの人々が、確かに生きている何かを想像したのだ。そのブームはたったの3年足らずで終るのだけれど、それと入れ替わるように、1999年にはソニーの「AIBO」が登場。ペットロボットのブームが来るのは、たまごっちのヒットと無関係ではないだろう。
|
|
2004年あたりから始まる第二次たまごっちブームは、小学生を中心に起こった。面白いのは、既に携帯電話を手にしてしまった女子高生ではなく、その予備軍としての小学生女子に人気を博したということ。そして、お姉さんたちの携帯電話の代用品となるように、通信機能を持った機種が発売され人気になったのだ。おもちゃショーに取材に行くと、今でも、毎年、スマホの機能を模したオモチャが登場するのだけれど、たまごっちは、その先駆け的な使われ方をした訳だ。つまり、ここでも、デジタルの入り口として、たまごっちは機能している。
■SNS時代のシミュレーション
Amazonのechoに「アレクサ、音楽かけて」とか話しかけていると、いつのまにか、アレクサが友達のように思えてくる。歌だって歌ってくれるし、ただいまと言えば、おかえりなさいどころか、帰ってきてくれて嬉しいです、とか言うのだ。感情移入するのに大して時間はかからない。たまごっちなんて、生まれた時から面倒を見て、育てるのだ。育ってくれば一緒に遊んだりもできるのだ。感情移入しないわけがないのだ。
こちらの呼びかけに対して、何らかのリアクションをとってくれれば、それが言葉でなくても、私たちは、そこに何らかの感情を見つける。ただの単純なプログラムによる決められた反応だとわかっていても、想像力はそこに人格を見出してしまう。植物にだって話しかけて慈しめる私たちは、当然、プログラムとだって友達になれるのだ。その訓練として、たまごっちは、とても優れていたと思う。どうかすると、それは、今のSNSとの付きあい方のシミュレーションにさえなっていたと思う。
ポケモンでデータに価値があることを覚え、たまごっちでデジタルによるコミュニケーションと人工生命の切なさを感じ、AIBOでロボットやプログラムの温かさを知り、スマホでデジタルによって繋がる世界に向かう。その最初の一つでもあったたまごっちが、きちんと、データ消失の切なさも含めたセンチメンタルな構造になっていたことが、その後の、デジタルと現実を結ぶ鍵だったと思うのだ。