勝海舟らは何故“敵”に協力を?明治維新の不都合な真実を紐解く

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2018年01月23日 05:12  TVerプラス

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仕事で悩んだり、壁にぶつかったり……。そんな悩みを解決すべく、歴史上の人物の知恵と行動から探っていく番組『先人たちの底力 知恵泉(ちえいず)』(NHKEテレ、毎週火曜22時)。1月23日は、先週に引き続き、作家の石田衣良とタレントの村井美樹、東京大学史料編纂所教授の山本博文氏をゲストに招き「歴史は勝者によってつくられる 明治維新の不都合な真実」と題して放送する。

「歴史」とは、常にそれを語る者の価値観によって左右されるもの。「歴史書」の多くは、勝者の側が残し、伝えられてきたものだ。その影には常に、敗者の側からみた「もうひとつの歴史」が存在する。その事実に思いを巡らせることこそ、様々な場面で歴史認識を問われる現代の私たちが必要としている「歴史の見方の知恵」でもある。「歴史」をどう見るか、を探る2回シリーズ。

第2回は、「明治維新」をとりあげる。歴史は勝者がつくってきた……だとしたら私たちが知っている歴史は真実ではないのか!?

廃藩置県、四民平等など、明治政府が行った改革により、近代化、民主化の時代が到来したかのようにけんでんされる「明治維新」。しかし“維新”は本当に“維新”だったのか? 近代的軍隊や大学、海外留学生派遣や横須賀製鉄所の設立など、新政府の改革の多くは、実は江戸幕府の近代化構想をそのまま受け継いだものだ。中でも幕府最大の遺産が「人材」。倒幕にエネルギーを費やしていた薩長側は、明治になって有能な官吏がいないことに気づく。そこで登用されたのが勝海舟、榎本武揚、大鳥圭介、前島密らなど旧幕府の人材だった。日本の近代化を支えた真の立て役者は誰だ?

一方、旧幕臣たちは何故、自分たちを滅ぼし、侮辱した“敵”に協力したのか。そこには、汚名を返上し、「敗者の歴史」を世に伝えたいという“信念”があった。勝海舟は、福沢諭吉から、旧幕臣でありながら新政府に出仕し、高い地位を得ていることを批判されるも、意に介さない。勝には新政府で地位を得ることで主君・慶喜の名誉回復を目指したのだ。さらに旧会津の山川兄弟もまた、朝敵とされた会津の汚名をそそぐべく、新政府の中に飛び込んでいく。そうしてようやく明治44年になって、薩長史観に異を唱える「京都守護職始末」の出版にこぎ着ける。
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