クソアニメ『ポプテピピック』なぜ話題に? 構成センスとパロディ要素から紐解く

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2018年01月23日 12:32  リアルサウンド

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 今、最も話題になっているTVアニメは、間違いなく『ポプテピピック』だろう。大川ぶくぶの4コマ漫画を原作にしたパロディ満載の、いわゆる不条理漫画であるこの作品は、原作連載時からそのシュールな作風と過激な内容で、ネットのミーム的な存在となっていた。整合的なオチがなく、また意味もよくわからないネタも多数あるこの漫画を一体全体どう映像化するのか、その手法が放送前から注目されていた。また、アニメ化に際して初めて本作に触れた人には、意味のわからなさと妙なノリの良さに、「なんだかよくわからないけど面白い」という感想を持った人も多いだろう。逆についていけないと感じる人も多いかもしれない。


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 人によっては、かつてフジテレビで放送されていた『ウゴウゴルーガ』を思い出す人もいたようだ。たしかにナンセンスなギャグの応酬、意味のよくわからない謎のキャラクターなど共通点も多いだろう。


 筆者は、吉田戦車の『伝染るんです。』を思い起こした。オチのなさ、また歪んだ状況設定や飛躍したキャラクターの思考回路、それらが特別な理屈をつけられるわけでもなく、「ただそういうもの」として提示されて、わけもわからず笑いがこみ上げる。こうしたタイプの作品の魅力とは何なのだろうか。


■言語化しづらい構成センスと言及したくなるパロディ要素のカップリング


 漫画や映画にも詳しい精神科医の斎藤環氏は、不条理漫画家の吉田戦車の漫画に対して「言葉で言い表すのが難しく、『何かそれ自体』としか言いようのないインパクトがある」作品と評している。斎藤氏は言葉で説明可能な作品を「神経症的」、それに対して、「世界の変化に対して相応する名前を与えたり、的確に言語化したりできないような状態を分裂病※」(『文脈病』,青土社より)と呼ぶことから、吉田戦車のような言葉に言い表すのが困難な作品を「分裂病的」作品と説明している。


※分裂病は2002年から統合失調症と名称が変わっているが、参照した『文脈病』は1998年初出の本であるため、ここでは分裂病の呼称を用いることにする。


 『ポプテピピック』は後者の作品と言えるだろう。意味不明なネタと並列して、一見意味がわかりそうなパロディも散見されるが、元ネタに対して批評的な視座があるかと言うと、そういうわけでもなく、なぜそれを引用したのか説明がつきにくい。


 原作1巻の最初のネタであり、アニメ1話にも登場した、「えいえい」、「おこった?」「おこってないよ(ハート)」の無駄とも言えるやりとりは完全にオチも何もないが、条件反射的になぜか笑いがこみ上げる。


 パロディネタの拾い方も相当に広範囲で、特定の方向性を感じさせない。なぜそこから引用しているのか、そしてあまりにも細かいネタもあるのでパロディなのかどうかも、多くの読者は気づきにくい。そして細かいパロディネタを組み合わせながら、1本のオチのない不条理ギャグを作り上げている。


 個人的に最もそのセンスが先鋭的に現れていると思う作品は、1巻76個目のネタだ。言葉だけで説明するのが難しいので、是非漫画を読んでほしいと思うのだが、こんなネタだ。


1コマ目:ピピ美「ポプテピクッキング〜♪ さて今週のオススメおかずです」
     ポプ子「わー(ハート)」
2コマ目:ピピ美「煮ます」
     ポプ子「わー(ハート)」
3コマ目:ピピ美「そして煮たものがこちらです」
     ポプ子「わー(ハート)」
4コマ目:ピピ美「ではまた来週」
     (イラストで今週のおかず「煮」が描かれている)


 全体構成の元ネタはNHKの『きょうの料理』だが、一部では『がらくた屋まん太』という漫画の3巻に出てくる、汁が3年ものの「煮」がモチーフではという指摘もある。(図柄や構図は似てないので偶然のネタ被りの可能性もあると思うが) このネタの展開のユニークさは、ピピ美が何をどう「煮」たのか一切示されていないところだ。そもそも「煮る」とは調理法だが、ここでは料理そのものとしてズレてしまっている。そしてそのズレにツッコミもない。吉田戦車も似たような作品を発表していて、川で獲れたピチピチの「丸」をキャンプで焼いて食べるというネタがある。「丸焼き」が調理法ではなく、ここでは「丸」という生物を、焼いて食べることを指している。


 上記のどちらも料理に対する認識のズレがあり、そのズレの理由にオチもなにもないが、この不気味さが奇妙にも笑いを生んでいる。そのズレがどこから来るのかの論理的説明はほとんど不可能で、「ただそういうもの」として提示される。


 本作はこのように言語化的コミュニケーションから遠ざかろうとしているように見える。にもかかわらず、SNSという過剰に言語的な空間で大きな話題になっているのが逆説的で面白い。わけがわからないからこそ、語ることでその不安を埋めているのかもしれない。私見では、ここでパロディネタが生きてくるように思う。パロディは元ネタ探しというコミュニケーションを発生させる装置として、上手く機能していると感じるからだ。言及したくなるようなパロディの積み重ねで作られたネタの数々は、全体として見ると意味不明なものとして出来上がっている。


 こうした意味のなさは、むしろ二次創作時に意味を付与する自由を与えているとも言える。「えいえい、怒った?」のネタなどは、お気に入りのアニメキャラを使ってそのやり取りをやらせてみるなどの無数のパロディがSNSに生まれているが、意味が空洞だからこそ、二次創作者がそのネタに自由に意味を吹き込めるわけだ。


■声優の入れ替えによって獲得したこと


 ここまでは『ポプテピピック』自体の魅力について解説を試みたが、映像化に際して、神風動画が行った特徴的な演出についても考えてみたい。


 まずなんと言っても声優が固定化されていないこと。毎週わけのわからないネタを30分見せられるだけのアニメに、「次はだれだろう」というワクワク感を与えたこの手法は賞賛に値する。ある意味、キャラクターの同一性を放棄するような演出だが、各声優の芝居の妙味を、毎週手を変え品を変え味わえるのはなかなかに贅沢であり、この演出によって、新たにキャラの不連続性や、無意味さを強化したといえる。


 本来、声がつくことによってキャラクターの固有性や個性は強化されるものだが(『伝染るんです。』はアニメ化に際して、声がつくことによってキャラの意味不明さが後退してしまった)、声を入れ替えることによって漫画以上にキャラの固有性を剥ぎ取ってしまったのは斬新だ。また、声優の組み合わせにも元ネタが存在しており(1話再放送分の三ツ矢雄二と日高のり子は『タッチ』の主役とヒロインで事務所の共同設立者でもある等)、パロディネタに厚みを加えている。


■過剰なポリコレ時代に堂々と罵れる快感


 そして、自虐的に自身を「クソ」と罵ることで、ファンに対しても「クソアニメ」と叫ぶ自由を与えていることもユニークだ。過剰なポリコレ時代の只中で、何を発言するにも息苦しさを感じる時代に、堂々と公式に対して「クソアニメ」と罵れることに快感を感じている人もいるのではないだろうか。クソが蔑みの意味ではなく、褒め言葉としても機能してしまうのは、本作の自虐的姿勢からくるものだが、こういう点でも本作は観る人に自由を与えているのかもしれない。


 意味もわからず、ヒドいネタばかりなのに、鑑賞後に妙な爽快感を筆者は感じている。この爽快感は本作が計らずも観る人に自由を与えているからなのかもしれない。(杉本穂高)


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  • なにげないマンボが…。なにげないサンバが…そして2人は…。てのがツボにハマった(笑)
    • イイネ!24
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