livedoorNEWSが『トイレのドアを開けっ放しにする派の言い分』という記事をネット上に配信しているのを発見した。「ざっくり言うと」の欄には、以下の3つの要約文がリード代わりに掲載されている。
- トイレを使い終わったあとのドアを閉めるかどうかについて話題にしている
- ドアを閉める派には、開けっ放しは不衛生でだらしなく思えてしまう
- 一方、ドアを開けっ放しにする派はニオイがこもらないようにする対策だそう
ホントどーだっていいテーマである。しかし、私はこーいう「心底どーだっていいテーマ」にそれなりの文字数を費やし、それなりに真面目な姿勢で討論するたぐいの記事が、とても好きだったりする。また、一つの企画を立ち上げるのに膨大な人件費や段取り、印刷費……ほか諸々を要する既存メディアでは到底実現不可能な、この手のくだらないネタをニッチに掬い拾っていくことこそが、インターネットメディア本来の役割なのでは、とすら思っている。……なんて堅苦しい自説をひけらかすのはこれくらいにしておいて、さっそく「トイレのドア開けっ放しの是非」について、私も真摯に論じてみよう。
|
|
おそらく「開けっ放し」にするのは、多くは小便ではなく大便をした際のケースだと推測される(※同記事によると「家族3人以上の場合は、中に誰も入っていないことを示すサインとしてドアを開けておくよう躾けられた」稀なケースもあるのだそう)。その心情は痛いほどよくわかる。なぜなら、ヒトは何歳になっても「自分がウンチしたことを他人に知られたくない生き物」であるからだ。
たとえば、お目当ての女性が初めて自宅に来たとき、あるいはお目当ての女性の自宅に初めて招かれたとき──不覚にも(近所のコンビニに買い物しに行くフリをしてトイレを借用することができないほど)スクランブル的に腹の具合が悪くなってしまったとしたら、しかもその部屋がワンルームで、トイレが彼女のいるすぐそばにしかなかったとすれば、いかがだろう?
プリッという音はなんとか誤魔化すことはできる。便器の洗浄水を頻繁に流したり、トイレットペーパーをやおらカラカラ回したり(※どちらもエコロジーの見地からは許されざる行為だが、背に腹は代えられない)、「んんっ! んんっ!」と大袈裟な咳払いをしたり……。けれど、ニオイ、そして便器上にただよう独特の温もりだけは、いくら強力な消臭剤や空気洗浄機を使おうと、どうにもこうに誤魔化せないことを私は経験上、知っている。
|
|
そんなとき(一日6回を平均排便数とする)私は残り香を逃すため、便器を冷やすため、さり気なくトイレのドアを、角度にすると30度ほど開けっ放しにしてしまう。なぜなら、たいがいの家でのトイレは、人が定在するリビングルームなどとは逆の方向側に開くよう設計されていることを私は経験上、学んでいる。つまり、ニオイや温もりを含む「不衛生」は玄関に向かって緩やかに遊離していくのである。
女性側がスクランブル的に腹の具合が悪くなって、やむを得ず……さらにその直後、男側が尿意なり便意なりをもよおしてしまったパターンは、よりいっそうタチが悪い。「憧れの女子は屁もこかないし、ウンチもしない」的な幻想を抱く童貞高校生や極度のアイドルヲタクじゃないんだから、「自然現象なんだからしょうがないじゃん」と、ほぼ100%の大人の男たちは見て見ぬふり、いや、嗅いで匂わなかったふりを決め込む程度の器量は備えているはず……だが、デリケイトな乙女心が、その独特な気まずさを許さない。でも、開けっ放しだと「だらしない女」と軽蔑されちゃうかもしれないし……。
|
|
お目当ての女性が初めて自宅に来る前に、もしくはお目当ての女性の自宅に初めて招かれる前に、一度「排泄は力なり!」みたいなコンセンサスを交わし合っておくべきなのではなかろうか。「ガンガン食ってブリブリ出す男こそが、女こそが人間として、動物としての生命力に優れている」といったシンプルな定理である。こうやって“前フリ”さえ済ましておけば、もう大丈夫。ただ、この話題、ランチやディナーとかの食事中のデートの最中は、あまりオススメできない……。