HUFFPOSTが配信した『MeToo受け、女性の裸が描かれた油絵を一時撤去。イギリスの美術館に批判が殺到「検閲だ」』というタイトルの記事が目に留まった。
セクハラや性的虐待に物申す世界的な運動とされる「MeToo」と「女性の裸が描かれた絵」が絡んでいるゆえ、どうやら“ソッチ系”のネタ、すなわちネットニュースパトローラー(略:NNP)の私にとってはじつに美味しいネタっぽい匂いがぷんぷんするので、さっそく読んでみた……んだが、あまり読解力に自信がない私には少々難解すぎたのか、一読しただけではなにが書かれているんだか、正直よく理解できなかった。
せっかく拾ってきた美味しいネタを「よくわからなかった」で済ましてしまうのも勿体ないから辛抱強く何度か読み返してみれば……ようやく事の経緯がぼんやりと浮かび上がってきた。整理すると、どうやらこういう話であるらしい。
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1. 英国のマンチェスター市立美術館の所蔵品のなかでも人気を博している作品の一つ、1896年にジョン・ウィリアム・ウォーターハウスがギリシャ神話をモチーフに制作した『ヒュラスとニンフたち』──この作品で「ニンフたち」は女性に似た姿で描かれており、上半身は裸で胸が露出している。
2. アメリカのハリウッドから世界に広まっているMeToo運動に触発を受け、美術館側は「議論を促す」ことを目的とし、同作品の展示を一時取りやめ、1月26日に撤去した(1週間後の2月3日には元に戻された)。
3. 同作品が撤去されたあとのスペースには美術館側の「議論を促す」メッセージが書かれた紙が貼られており、その末尾には「撤去も作品の一環だ」と明示されている(撤去の模様もビデオで撮影されていて、後日、現代美術家のソニア・ボイス氏の展覧会で公開予定)。
4. それでもツイッターなどでは「作品への検閲だ」「行き過ぎた政治的正義(ポリティカルコレクトネス)」……ほか、美術館を批判する意見が殺到した。
なんともコンセプチュアルなアート行為ではないか。「撤去シーンまでが作品の一環」って……一言で言ってしまえば「わかりづれぇ〜」って感じである。
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そんな「わかりづれぇ」コンセプチュアルアートの流れは、1910年代にマルセル・デュシャンが提起した「レディ・メイド(既製品)」から1960年代あたりまで、アート界を席巻したが、この「今さら」な“手法”は、もしかすると「インターネットの発達によって、もはやすべての事象に対し、正か誤かのシンプルな二者択一の判断が困難となりつつある現代社会」においては、案外有効なのでは……と、私は思った。
なぜなら、コンセプチュアルアートとは、誤解を恐れずにぶっちゃけてしまうと「あくまで過程(プロセス)を重視し、結果(完成作品)は便器であろうと、大量生産されるシルクスクリーンであろうと、塀の上から飛び降りるだけの写真であろうとおかまいなし。あとは観る人が勝手に解釈してください」といった“丸投げ”が根本の理念なのだから……。
ってなわけで……私も最後に、今回の「ヒュラスとニンフたち撤去問題」をコンセプチュアルアート風に料理してみよう。
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「う〜ん……とってもデリケイトな問題ですな」
これじゃあ“丸投げ”ってよりは、単なる“投げやり”に過ぎないのだが……(笑)?