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保育事故:遺品を写真に…一人息子失った母、関西で個展

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2018年02月14日 10:24  毎日新聞

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毎日新聞

 そばにいるときはいつも手をつないでいた。4歳の一人息子を保育事故で失って9年後、絶望に苦しんでいた母、榎本八千代さん(50)=埼玉県上尾市=は大学で写真を学び、遺品を撮り始めた。息子の死を認め、残された私の人生を歩き出すために−−。十三回忌を終え、関西での初個展を大阪府豊中市のギャラリーで開く。


 八千代さんの長男、侑人(ゆうと)ちゃんが亡くなったのは2005年8月10日。上尾市の公立保育所の本棚の中でぐったりしている状態で発見され、搬送先の病院で熱中症による死亡が確認された。不妊治療の末に授かった息子だった。「朝元気だった子が無傷のまま眠るように横たわっていた。わけが分からなかった」。八千代さんはその日、警察の遺体安置所で一晩を過ごした。息子と夜離れて寝るのは初めてだった。


 それから数年の記憶はあまりない。仕事を辞め、家で過ごす日々が続いた。再び不妊治療を始めたが、流産を繰り返した。何も手につかない。何をしていいか分からない。「息子の死は私の残りの人生の死だった」。上尾市との民事裁判で市の過失を認める判決が言い渡され、七回忌を済ませたころ「このままじゃいけない」と思うようになった。


 夫の後押しもあり、選んだのが大学進学。高校時代に美大を志していたことを思い出し、14年に京都造形芸術大通信教育部に入学した。「家で大きな絵を描けない」と消去法で写真を専攻し、一から学んだ。週1回の対面授業で友人も増え、「明るく前向きな榎本さん」でいられた。


 3年生になった時、母親や被爆者の遺品を撮って世界的に活躍する写真家、石内都(いしうち・みやこ)さんの作品に出会った。「私がやるべきことはこれだ」。卒業制作で息子の遺品を撮ろうと決意し、遺品の入ったトランクに手を伸ばした。開けるのは約10年ぶり。「真空パックを開封するような感覚でした。止まっていた時間に急に連れ戻された」。つらくて苦しくて涙があふれた。お気に入りだったアンパンマンの靴。救急措置で破かれた跡が残るTシャツ。一つずつ取り出し、泣きながら、何十回、何百回とシャッターを切った。全30点近くを撮り終えるのに1年ほどかかった。


 「撮影しながら、これは自分のためだと思うようになった」と八千代さんは振り返る。レンズ越しに繰り返し遺品を見ることで「心が整理され、息子の死を認められるようになった。精神的にきつかったですが、遺品から私の残りの人生を解放したかった」。そして最愛の息子が生きていた証しに光を当て、「可哀そうな被害者」から解放する作業でもあったと。


 卒業制作展の後、十三回忌の命日にあわせて東京で個展を開き、新たな目標もできた。「人は親や友人、さまざまなモノを失う。写真を撮ることで、同じように苦しんでいる人たちの喪失の可視化をお手伝いできたら」


 個展は豊中市のギャラリー176(050・7119・9176)で16〜27日。21、22日休み。入場無料。【清水有香】


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  • 人生悲しみを乗り越えた先にまた悲しみを用意されてる事がある。児童相談所という。
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  • 原因不明の突然死なら仕方がないけれど熱中症って・・・。
    • イイネ!39
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