ホーム > mixiニュース > 海外 > 結婚式に空爆、一瞬で悲劇に

結婚式に空爆、花嫁だった娘を失った…内戦逃れジブチへ、イエメン難民の今

51

2018年02月14日 11:12  THE PAGE

  • チェックする
  • つぶやく
  • 日記を書く

THE PAGE

写真マルカジ難民キャンプで暮らす少年たち。土漠の中にある難民キャンプでの生活は非常に過酷だ=2017年11月30日撮影
マルカジ難民キャンプで暮らす少年たち。土漠の中にある難民キャンプでの生活は非常に過酷だ=2017年11月30日撮影

 中東のイエメンが2015年1月のクーデターを機に内戦状態に陥ってから、丸3年経過しました。その対岸、アフリカ北東部に位置するジブチ共和国には、内戦を逃れてきたイエメンの人々が暮らす難民キャンプがあります。飢饉やコレラの蔓延により、人口の8割にあたる約2000万人が何らかの人道支援を必要としていると言われるほど危機的状況にあるイエメンですが、他の紛争地や内戦による難民と比べ、国際社会の関心はあまり寄せられていません。

 イエメンを追われた人たちを取材するため、フリーカメラマン、森佑一さん(32)がジブチの難民キャンプを訪ねました。国際的に“忘れ去られている”内戦の被害者であるイエメンの人々は、現在どのような暮らしを送っているのでしょうか。


イエメンを望む港町オボック

 四国ほどの面積しかないジブチ共和国。国のほとんどが砂漠で、夏場は摂氏50度にも達する灼熱の地です。私が訪れた2017年11月26日から12月6日は、暑さが和らぐ時季でしたが、それでも日中は日差しが強くうだるようでした。

 ジブチは人口は約95万人、イスラム教徒が9割以上を占め、公用語はアラビア語とフランス語です。ソマリア沖の海賊対策として、フランスやアメリカをはじめとした西欧諸国が基地を置き、日本の自衛隊基地もあります。国連機関のデータでは、内戦が激化した2015年3月以降から2017年10月にかけて、イエメンからはおよそ19万人がサウジアラビアやオマーンなど周辺諸国へ逃れ、そのうちジブチには約3万7000人の難民がやってきたといいます。


静かな田舎の港町……200人、300人乗せた避難船がイエメンからやってきた

 そのジブチの中でも最もイエメンに近い北東部に位置するオボック州に入りました。多くの人々が漁で生計を立てているらしく港にはたくさんのボートが係留され、早朝には漁に出ていく姿を目にしました。市場やレストランが活気付くのは午前中か夕方以降で、暑い日中は長い昼休みを挟むため町は静まりかえります。

 このように静かで小さな田舎の港町という印象を受けるオボック。しかし現地のNGOスタッフの話によると、内戦の激化に伴い、2015年ごろは毎日のように200人、300人もの人々が避難船に乗り、紅海やアデン湾を渡って逃れてきた、といいます。

 「これはイエメンの水で、毎日の様に運ばれてくるよ。」
 昔からイエメンとの間で人や物の行き来、文化的なつながりがあるこの町では内戦中の今も物資の往来はあるらしく、商店に山積みにされていたペットボトル飲料水について尋ねると、店主が答えてくれました。また、難民ではなく、以前よりレストランで働いたり、漁師で生活しているイエメン人も少なからずいます。

 ゆったりとした時間が流れ、犬や猫、ヤギなどの動物たちも見かけました。動物たちは、日中は人々と同様に日陰などで休み、町が活気付く時間帯になると、市場やレストランで食べ物のおこぼれをもらい、生活に溶け込んでいました。海辺では美しいアデン湾を望めますが、少し町を離れれば、乾燥に強い針葉樹以外には何もない荒涼とした土漠が広がりはじめました。


なぜ内戦は始まったのか

 イエメンでは、2011年中東で広がった民主化運動「アラブの春」により、30年以上続いたサーレへ政権が崩壊、暫定政権へ移行しました。しかし政情は安定せず、シーア派反政府武装組織フーシによるクーデターが発生、暫定政権とフーシ側の内戦へ突入しました。2015年3月には、フーシがシーア派国家イランの支援を受けていると見たサウジアラビアが中東諸国による連合軍を組織して介入、空爆を行うなど内戦は激化し、多大な犠牲や被害が出ています。

 国連機関の発表しているデータによると昨年末2017年12月時点で、イエメン人口約2700万人のうち、1割弱のおよそ200万人が国内避難民として、また約28万人が難民として国内外で避難生活を送らざるを得ない状況にさらされ、非常に深刻な人道危機に瀕していると言われています。


マルカジ難民キャンプへ

 オボックの港町から西へ4、5キロ離れた土漠にあるマルカジ難民キャンプ(以後、マルカジキャンプ)があります。内戦が激しくなった2015年に建てられ、今も2000人前後が暮らしています。ただ現在は、マルカジキャンプで暮らす人々はかなり少なく、ほぼ7割がジブチに近いイエメン西部地域から逃れてきました。

 内戦が長引くにつれ、ジブチに住む親族へ身を寄せたり、お金やつてがあればジブチを離れて他国へ移っていったため、現在マルカジキャンプに残っているのは基本的に貧しく身寄りがない人々です。

 ジブチ政府や国連、NGOなどの支援で、キャンプ内には最低限の暮らしを送ることができるよう、給水所やトイレ、モスク、コミュニティーセンターなどが設置されていました。ルーテル世界連盟(LWF)や認定NPO法人アイキャン(ICAN)などによって、子ども達への教育やコミュニティーサービスなどソフト面での支援も行われています。

 このように様々な支援が入ってはいますが、住環境は良いとは言えません。難民キャンプ自体が土漠の中にあるため、非常にほこりっぽく、断熱効果の薄いテントやプレハブ暮らしのために、夏場は灼熱、冬は蚊の発生に悩まされるといいます。

 毎月一回、米や小麦粉、豆類、塩、食用油など最低限の食糧の支援物資と、1人につき500ジブチフラン(約300円)が支給されるそうですが、当然生活するには十分ではありません。野菜や魚など他の食料や生活必需品を得るために、港町へ出てきて手持ちの物や釣ってきた魚を売ったり、一時的な仕事で日銭を稼ぐ人もいました。生活のため、キャンプとオボックの町を日々行き来する難民が多くいるということです。


1回の漁の利益は1200円

 オボックの町からマルカジキャンプへ向かう道すがら1人の少年に会いました。アリーくん(10歳)は、イエメン西部で暮らしていましたが、空爆で危険を感じた両親と7人の兄弟姉妹と共に、2015年にオボックへ逃れて来ました。

 彼の日課は毎日キャンプから港町へ、自転車で往復40分かけて買い出しに行くこと。その日はじゃがいもや玉ねぎなどのちょっとした野菜を手に入れて帰るところでした。

 イエメンからやってくるのは、身の危険を感じて逃れてくるケースだけではありません。オボックのUNHCR(国連難民高等弁務官事務所)オフィスで難民申請をするため待っていたイエメン人男性2人は、内戦に伴う物価の高騰から生活が立ち行かなくなり、やって来たそうです。イエメン西岸の港町で漁師として働いていた彼らにとって、漁に使うボートのガソリン代の高騰は死活問題で、イエメンで漁をすることが困難になったというのです。

 そのため、オボックに住む友人を頼って、自分のボートで海を渡り、友人宅に身を寄せ、ここで漁をして生計を立てています。

 「ここでお金を稼いで来月にはイエメンに戻りたい。」
 家族をイエメンに残してきた彼ら。しかし、ジブチも物価が高く、お金を稼ぐことは容易ではありません。

 一回の漁に出ておよそ8000ジブチフラン(約5000円)を稼ぐそうですが、そのうち6000ジブチフラン(約3800円)はボートのガソリン代に消えるため、結果的に2000ジブチフラン(約1200円)しか利益はありません。そこから日々の食費などを差し引くと手元に残る収入は多くないのです。人道支援が入ることがままならないイエメン国内の避難民の生活はさらに厳しい状況にあると思われます。


家を壊され、財産を奪いとられて……

 マルカジキャンプに来て2年以上経つというアハマドさん(62歳)一家に話を聞きました。2015年9月、妻と7人の子ども達と共に逃れてきたといいます。イエメン西部の町で暮らしていたある日、反政府武装組織フーシが町を襲撃、家を破壊され、子ども2人が殺されました。

 所有していた車も強奪され、アハマドさん自身も左腕に大ケガを負いました。治療し、大事には至りませんでしたが、見せてもらった左ひじの辺りには撃ち抜かれたような傷跡が今も生々しく残っていました。子どもと財産を失い、負傷した彼はイエメンを離れることを決断し、避難船に乗り込みオボックへと逃れました。その避難船には300人近くが乗っていたということです。

 「身の危険を感じることなく安全に暮らすことができることが一番であり感謝している」と語るアハマドさん一家。しかし、キャンプには食料や衣類など、生活必需品が不足していて、仕事もほとんどありません。ホブズというアラブ地域の焼いた薄いパンとシャーイー(紅茶)だけの食事も多いそうです。

 「もし内戦が終わったら、イエメンに帰りたいですか」との問いに、アハマドさんは「家もない、仕事もない、何も残っていない場所に帰って何になる」と憤りを抑えきれない様子でした。難民キャンプの厳しい暮らし、しかし内戦が終わったとしてもイエメンに戻ることにも希望を見出せないのです。


空爆 ── 幸せは一瞬で悲劇に

 同じ2015年9月に妻と7人の子ども達と共にマルカジキャンプに逃れて来たというサイードさん(52歳)はかつて漁師として暮らしていました。ところが恐ろしい悲劇がサイードさん一家を襲います。

 18歳になる娘の結婚式の日、式場がサウジアラビア主導の有志連合による空爆に遭い、娘や親族を含む10数人以上が亡くなりました。シーア派反政府武装組織フーシを狙ったものと思われる誤爆でした。それを機にイエメンを離れることを決断、250人が乗った避難船で7時間かけてオボックへ逃れて来ました。

 マルカジキャンプの暮らしはどういったところが大変なのか尋ねましたが、彼の答えは「アルハムドゥリッラー(神に称賛あれ)」。この言葉は、イスラム教において自分の身に起きた何事も神の思し召しであり、真摯に受け止めるという意味合いがあります。

「今はもう家族が殺されることなく、安全に暮らせることに感謝している。いつか内戦が終わればイエメンに戻りたい」とのみ語りました。


国際的に認知されている難民と、陽の当たりにくい人道危機に陥る難民

 取材を始めて、多くのイエメン人たちと接する機会がありました。皆、程度に差はあれ厳しい状況下での暮らしを強いられながらも、陽気で明るく親切だったのが非常に印象に残っています。

 シリアのように国際的に認知され多くの人道支援がなされている戦争がある一方、イエメンや南スーダンをはじめ同様の人道危機に瀕しながら、広く認知されることのない戦争もあります。それが個人的に解せなかったのが一番の取材動機です。日本にとって地理的にはるか遠い国で起きていることであり、直接的な関わりも薄く、関心を持ちにくいのは仕方がないことかもしれません。

 しかし、問題は認知されない限り解決されることはありません。今回現地でイエメン人達の暮らしぶりを見て、話を聞いて、あらためて陽の当たりにくい人道危機に陥っている難民にも目を向けてもらいたいと切に思いました。

----------

ルーテル世界連盟(LWF)(https://www.lutheranworld.org/content/kenya-djibouti):https://www.lutheranworld.org/
難民や厳しい状況下にある人々の生活再建支援を目的に、主に教育支援、児童保護、コミュニティーサービス等の活動に取り組んでいる国際NGO。マルカジキャンプにおけるイエメン難民支援以外に、2009年よりソマリアからの難民に対する支援活動をジブチ西部のアリアデやホルホルの難民キャンプ、及びジブチ市内のホストコミュニティーでも実施している。

認定NPO法人アイキャン(ICAN)(http://www.ican.or.jp/j/projects/yemen.html):http://www.ican.or.jp/index.html
現地の人々と共に、厳しい状況下にある子どもたちの生活向上を目的としたプロジェクトを実施する日本のNPO法人。マルカジキャンプでは、子どもの保護活動として子ども達へのアクティビティの提供や保護者への情報提供を行っている。

----------

【森 佑一(もり ゆういち)】1985年香川県生まれ。2012年より写真家として活動を始める。2012年5月には DAYS JAPAN フォトジャーナリズム学校主催のワークショップに参加。これまでに東日本大震災被災地、市民デモ、広島、長崎、沖縄を撮影。現在は海外にも活動の場を広げ、戦争や迫害に起因する難民の撮影を中心に取材を行っている。
HP:https://www.yuichimori.com/(https://www.yuichimori.com/)
facebook:https://web.facebook.com/Yuichi.Mori.Photography/(https://web.facebook.com/Yuichi.Mori.Photography/)


あなたにおすすめ

このニュースに関するつぶやき

  • 人道支援ってのも考えもんだな。ある意味こういうので長引いてると言えなくもないだろう。仮にやり合ってるのを放置したら片方がすぐに全滅して終わると被害はその時点で止まるよね。 https://mixi.at/a3suZJi
    • イイネ!0
    • コメント 0件
  • 平和の有難さを噛み締める!
    • イイネ!31
    • コメント 0件

つぶやき一覧へ(30件)

ニュース設定