皆さんは「ライトノベル」なる出版用語の正確な意味をご存じだろうか?
日本で生まれた小説の分類分けの一つで、「light(軽い)」と「novel(小説)」を組み合わせた和製英語なんだが、じつのところ明確な基準は業界内でも定められておらず、とりあえず『デジタル大辞泉』からの引用では、
「10代から20代の読者を想定した、娯楽性の高い小説。会話文を多用するなどして、気軽に読める内容のものが多い」
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……とされている。ところが、日刊サイゾーによると、その毎月ごとに多数のタイトルが世に出ているライトノベル(※略:ラノベ)に、崩壊の兆しが見え始めている……らしい。
理由はズバリ!「まともに書ける作家が枯渇しているから」。ここ数年、ライトノベルの世界を席巻している投稿系サイト「小説家になろう」など……ネット発の作品──いわゆる「なろう系」の作家の文章レベルがあまりにお粗末なのだという。
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「だったら、そんなしょぼいヤツら使わなきゃいいじゃん」って話で事は済むのでは……と思いきや、「月○本」と過酷なノルマを課せられ、しかも「一度決定した刊行予定は延ばすこともできない」という窮地に追い込まれている編集者にとって「じっくりと作家を発掘し、発掘した“金の卵”をじっくり育てる」時間なんて、とてもじゃないけど確保できない。したがって、
「今、多くのラノベ編集者の仕事は、作家を見つけることと、作家の代わりに原稿を書き直すことになっている」(某ライトノベル編集者)
……のだそう。実際、「赤入れをしたうえで改稿をお願いしたが、1ヵ月経って戻ってきた原稿はわずか数行が変わっていただけ」「(かなり早い段階で)作家がギブアップしたので200ページ近く代筆した」みたいなひどいケースもしょっちゅう……と聞く。すなわち「なろう系」は、もはや「作品の大雑把なネタを探す場」でしかないってことだ。
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さて。こうやって「なろう系作家」の稚拙なテクニックやプロ意識の欠如を自身の苦労話も織り交ぜながらリークし、少しはラノベ編集者さんの鬱憤も晴れただろうか?
ちょっとでも晴れたならそれでいい。しかし、ネット上に蠢くこの手の有象無象の“なんちゃって小説家”なんぞ「しょせんこの程度」なのは、端っからわかりきったことではないのか? 日々の激務に追われてつい依存心が肥大してしまう心情は理解できるが、とどのつまりが「そこに期待しすぎ」なのである。
私は、(取り急ぎラノベにかぎって言えば)発掘して育てるべきなのは「作家」ではなく、むしろ「代筆者」のほうだと考える。タレント本だと、ゴーストライター的な立ち位置の専門職──そして、その“影のプロフェッショナル”に支払われるギャラや扱いをもっと大幅に好条件化すれば、おのずと人材も集まるはず……。
たとえば、代筆者も完全印税制にして、ネタだけをくれた「なろう系作家」の印税比率は2割、残り8割は代筆者に渡るようにでもしてくだされば……スケジュールさえ合えば、私ならその仕事、マジ受けちゃいますよ。で、代筆者を併用しつつ、やがてその「なろう系作家」が仮にも育ってくれた際には、その印税比率も3割、4割……と引き上げていけばよい。あくまで印税を二人で分けるのならば、版元の支出だって変わらないわけだし。
問題は、腐っても“作家センセイ”である「なろう系」のヒトたちが、そんな劣悪な印税設定を飲めるか否か……だが、私はそのあたりはわりと楽観的に捉えていてかまわないと思う。なぜなら、彼ら彼女らは“拾われた時点”では(リライトなしだと商品化にはほど遠い)まだ「素人に毛が生えたようなもの」にしか過ぎないのだから、たった数万円であろうと「自分の小説がお金になった」という事実だけで充分満足できるに違いない。いや、満足しなければならない。甘やかしちゃあいかんです。
かの梶原一騎先生は、漫画界における「原作者」の地位を底上げするため、表紙に掲載される自分の名前の級数や順番には(担当編集者をあの風貌で脅してまで)めっぽうこだわった……との噂がある。ライトノベル界も同様、そろそろ従来の“裏方”にスポットを当てる時期が来ているのかもしれない。
原作(もしくは原案)/○○○○(←「なろう系作家」の名前)
作文/山田ゴメス
……ってな感じで?