「ワーキングマザー」という大雑把すぎるくくり

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2018年03月08日 19:00  citrus

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数週間前、育休明けの夫婦を対象にした講演と、企業経営者を対象にした講演で共通して話したことをベースに、「ワーキングマザー」という概念について思うところを記しておこうと思う。

 

ひとことで「ワーキングマザー」といってもいろいろなパターンがある。積極的ワーキングマザーと消極的ワーキングマザーとか。モチベーションは何なのか、どれくらい仕事したいのかとか。「どこまでやりたいの?」「できれば・・・だけど、そこまでは・・・」みたいなことを、上司、同僚と明確に共有することが大事。そもそもそこがずれているからトラブルになるケースが多いんじゃないかと思う。そのミスコミュニケーションが産後の女性の社会復帰を阻む壁となっていることもあると思う。

 

ワーキングマザーとしては、「子どもが小さいうちは、子ども優先でほどほどに働きたい」と思っているのに、それを知らなかった上司が、「もっと働いてくれるのかと思ったのに、これだから子育て中の女性は雇いたくない」と思ってしまったり……。上司は親切心で「子どもがいて大変だろうから、負担の少ない仕事をやらせてあげよう」と思っているのに、「もっとバリバリ働かせてほしいのに、どうして閑職しかやらせてもらえないんだ」みたいにワーキングマザーとしては感じてしまったり……。

 

今後女性の社会進出(という言葉も本当におかしいという話はあとで書くが……)にともない、多様なライフスタイルのワーキングマザーが登場すると思う。それが「ワーキングマザー」という固定化されたイメージでひとくくりにされてしまうと余計にトラブルが増え、「やっぱり子育て中の女性を雇うのはリスクだ」となってしまうと思うので、気をつけたい。目的は「ワーキングマザーにとって働きやすい社会」ではなくて、あくまでも「多様な働き方が認められる社会」であるはずだ。そこには当然、「男性の働き方」も含まれる。

 

 

それともう一つ、ワーキングマザーという言葉に関連して、しばしば違和感を感じる理屈がある。「共働きだったら夫だって家事も育児もするのがあたりまえ」というようなやつ。裏を返すと、「専業主婦なら子育ても家事も全部自分でやっていても文句は言えない」といっているようにも聞こえてなくもない。「いやいや、共働きじゃなくても本来はそうなんじゃないの……」と感じるのだ。

 

「(専業主婦なら何も言えないけど、)うちは共働きなんだから……」みたいな理屈を聞くと、やっぱりいまだに外に出て仕事をする人のほうが、家を守る人よりも偉いという固定概念があるんじゃないかと思えてくる。「女性の社会進出」という言葉に含まれる嫌な感じもそこに通じる。「専業主婦は社会の一員じゃない」みたいなニュアンスが感じられなくもないのだ。

 

専業主婦が社会の一員ではなく、社会的に価値あるものを生み出すことに貢献していないと考えるのであれば、その理屈の延長上に、育休取得中の親は、会社にとって負担でしかないという理屈が成り立つことになる。子育てのための時短勤務なども同様だ。それでは女性にとって働きやすい社会の実現も男性が育休を取れる社会の実現もおぼつかない。

 

そこの意識を変えていかないと、つまり、女性の社会進出を促すあまり専業主婦という生き方を否定するようなやり方では、女性が働きやすい社会も、男性の育休が当たり前である社会も実現しないという逆説が成り立ってしまうのだ。つまり、市場原理的な経済合理性を追求する功利的ロジックでは、女性の社会進出も男性の家庭回帰路線もいずれ行き詰まるであろう。

 

「じゃ、どうすりゃいいの?」というのは、おいおい。

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