35歳――積み上げてきた時間と、これから積み上げる時間と。

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2018年03月12日 17:00  citrus

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先日、35歳の誕生日を迎えました。

 

――35歳。アラサーなのかアラフォーなのか、中途半端。もう「若い」とは言われないが、「熟女」という年齢でもない。

 

30歳を過ぎたころから、ある程度、女性はそれぞれの生き方の道筋のようなものがハッキリ分かれてくるように感じる。まわりを見渡してみても、結婚している人、独身の人、子どもを育てている人、仕事をしている人、それぞれに分かれてきた。

 

そんな30代半ばに差しかかったいま、少し気になっている友達がいる。それは、20代のわりと早いタイミングで結婚・出産した主婦たちだ。当時は、いわば人生の「勝ち組」として、同級生の誰よりも早く幸せをつかんだかのように見えた彼女たちの様子が、最近どうもおかしい。結婚して5〜10年ほどが経ち、子どもの手が少し離れる頃。

 

彼女たちの変化は年賀状にも如実に表れる。幸せいっぱいの家族写真が載っていた年賀状が、いつの間にか干支のイラストに戻ったり、写真に子どもは写っていても、夫の姿がなかったり。

 

――あれ、家庭がうまくいっていないのかな? 気になって聞いてみると、案の定、夫への不満が溜まっている。夫の借金、浮気、価値観の不一致などで、少しずつ溝ができ、離婚したいけれど、子どもや経済的事情のために思いとどまっている。そういう状況の友達がまわりに増えてきた。

 

先日、ひとりの友達と会った。

 

 

20代半ばに結婚し、子育てに専念していた彼女は1年ほど前から仕事に復帰した。「やっと、“○○ちゃんのお母さん”ではなく、“個人”として評価されるようになった」と喜んでいた。

 

しかし、久しぶりに会って話を聞いてみると、いま、同じ職場の独身男性と恋愛をしている、と言う。夫に対する不満があることは前から聞いていたけれど、それでもせっかく手に入れた仕事なのに、その浅はかさ、危うさにちょっと驚いた。やめたほうがいい、と言いたいが、結婚後何年間も抑圧された生活を送っていると、はじけたときは手がつけられない。私自身、渦中にいるときは人から何を言われても無駄だということを理解している。

 

いかにその相手の男性が優しく、自分が愛されているかを切々と語る彼女。そうかと思うと、「いや、たぶん彼は遊びなんだよ」と言う。その次には、「私ってひどい女よね……独身男性を振り回して……」みたいなことを言う。

 

そして、自分が浮気をして、夫に対して仕返しができてスッキリした、と。自分は夫からひどい仕打ちを受け、ずっと我慢してきた。夫には浮気を気付かれていないけれども、最近急に優しくなった。浮気をしたことで形勢逆転できた、と唇の端を上げ、歪んだ笑顔を見せた。

 

彼女の思考が、人に愛されたい、人より優位に立ちたい、ということに終始していることに唖然とした。そして、これが子を持つ母親であることに、うすら寒い思いがした。虐待やネグレクトといった犯罪は、こうした心の闇から生まれるのかもしれない、とさえ思った。

 

なぜ? それぞれ、生きてきた時間は同じ35年。なぜ、こんなにも彼女の心が未熟なままなのか。勝ち負けや損得を基準に生きるのは、苦しいだろう。

 

結婚しようが、独身だろうが、子どもを産もうが、仕事で成功しようが、人は日々、悩みを抱えて生きている。悩みの幅や質に差はあれど、その大小は、他人が判断するものではない。独身女性は、20代で結婚し家庭に入った女性より、恋愛経験を積めるかもしれない。だけど、家庭に入ったからといって、人生経験が乏しくなるわけではない。育児や夫と向き合う日々からも、成長していけるはずだ。

 

 

そうか。彼女は、経験していないのではない。経験から学ぶことを怠ったのだ。

 

今、放送されているテレビドラマ「問題のあるレストラン」の中のセリフを思い出した。

 

「誰が、どんな時間が、どんな言葉が、あなたをそう思わせたの?」

 

環境が人間をつくる。彼女に対して夫が、あるいは夫以外の誰かが、何をしたのか、何を言ったのか、私は知るはずもない。だけど、間違いなくその過去の時間が、今の彼女を作り上げてしまった。

 

「今」という時間に一緒にいる人、交わす言葉、身を置く環境が、未来の自分をつくる。「今」が、幸せなものでないのだとしたら。その「今」は、澱(おり)のように沈殿し、かたく冷たい層を積み上げ、やがて未来の自分になっていく。今の環境が自分にとってマイナスでしかないのに、将来、飛躍的に幸せ溢れる自分になることはあり得ない。

 

自分にとってプラスになる、または心地よい今にするためには、どうすればいいのか。それは、ただ環境を変えることではなく、苦しみや悲しみといった経験を糧に心を成長させることではないか。望むと望まざると日々ぶつかる試練と、一個一個向き合うことではないか。

 

彼女は自分が夫を選んだ、という事実から逃れることはできない。人と比較する。人のせいにする。人を憎む。それは、すべて自分の外にあるもの。だけど、本当に向き合うべきことは、自分の内側にある。

 

 

夫との関係がうまくいっていないからと、他の男性と刹那の恋愛にうつつを抜かすことが、本当に今、彼女がやるべきことなのか? 果たしてそんな「今」はどんな未来の彼女をつくっていくだろう?

 

試練と向き合うことは苦しい。自分の心と向き合ことは苦しい。でも、そこから逃げ続けることはできない。

 

こんなユングの名言もある。

 

「あなたが向き合わなかった問題は、いずれ運命として出会うことになる」

 

私が失恋してピンチだったとき、彼女は心配してすぐに電話をかけてきてくれた。本来彼女が持っている優しさを思うと、こみあげてくるものがある。

 

――どうか、乗り越えて。私は厳しい寒さの中にも春の訪れを感じさせる真っ青な空を見上げた。

 

この祈りは、届くだろうか。私にも彼女にも同じ、35歳の春が近づいている。

このニュースに関するつぶやき

  • 普段ドラマを見ないので「問題のあるレストラン」でググったら放送はちょうど3年前。だからあなたは今35ではなく38、立派なアラフォーです。こういう記事の使い回しってもうWebメディアでは当たり前になってるのかな。
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