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リッキー・スティムボート “心のライバル”はフレアー――フミ斎藤のプロレス講座別冊レジェンド100<第61話>

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2018年04月17日 08:43  日刊SPA!

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写真連載コラム『フミ斎藤のプロレス講座別冊レジェンド100』第61話は「リッキー・スティムボート “心のライバル”はフレアー」の巻(イラストレーション=梶山Kazzy義博)
連載コラム『フミ斎藤のプロレス講座別冊レジェンド100』第61話は「リッキー・スティムボート “心のライバル”はフレアー」の巻(イラストレーション=梶山Kazzy義博)
 1980年代を代表するスーパースターで、リック・フレアーの宿命のライバルだった。

 “公式プロフィール”ではハワイ州ホノルル出身となっているが、じっさいはフロリダ州タンパ出身。父親はアメリカ人で、母親は日系アメリカ人である。

 ハイスクール時代、アマチュア・レスリングのフロリダ州選手権で2位(154ポンド級=1971年)の成績をおさめ、大学中退後、ミネアポリスの“バーン・ガニア道場”に入門。

 ガニア、カズロー・バジリ(のちのアイアン・シーク)のコーチを受け、1976年2月にAWAでデビューした。

 デビュー当時は本名のディック・ブラッドのままリングに上がっていたが、1960年代のスーパースターでハワイ出身のサミー・スティムボートSammy Steamboat(本名サム・モクハイ)と風貌がよく似ていることから、ガニアがサミー・スティムボート・ジュニアというキャラクターを考案。

 スティムボート自身がファーストネームをリッキーに変え、ジュニアを削除して、リッキー・スティムボートというリングネームが生まれた。

 フロリダ育ちのスティムボートは雪国ミネソタでの生活にどうしてもなじめず、その後、いちどもAWAには戻らなかった。

 スティムボートがメインイベンターとしての階段をのぼりはじめるのは、NWAミッドアトランティック地区(NWAジム・クロケット・プロモーション=ノースカロライナ州シャーロット)に合流してからのことだった。

 ここでスティムボートは生涯のライバルとなるフレアーとめぐり逢った。スティムボートは24歳のルーキーで、フレアーは28歳の売り出し中の若手ヒールだった。“ガニア道場”卒業生としてはフレアーが3年先輩にあたる。

 スティムボートとフレアーがまったく同じモーションのワフー・マクダニエル式のバックハンド・チョップを共通の得意技にしているのは、ふたりが1970年代後半から1980年代前半にかけてこの技でおたがいの胸板をいやというほど打ち合ったからだ。

 若手時代のスティムボートのタッグパートナーは、ジェイ・ヤングブラッド(故人)。ライバルはジミー・スヌーカ&レイ・スティーブンスのヒール・コンビで、NWA世界タッグ王座をめぐる闘いが定番カードだった。スティムボートとスヌーカも、バックハンド・チョップを激しく打ち合った。

 フレアーがNWA世界ヘビー級王者としてスーパースターの道を歩みはじめたころ、スティムボートはWWEのリングを選択した。

 WWEでのリングネームにはリッキーとスティムボートのあいだに“ザ・ドラゴン”というキャラクター・ネームが加えられた。ブルース・リーのイメージだった。

 それまでの赤のショートタイツと純白のリングシューズの定番のコスチュームが、WWEのリングではカンフーをイメージさせる龍の刺しゅうが入った黒、赤、白、グリーン、ゴールドなどのロングタイツに変わった。

 “ドラゴン”に変身したスティムボートは、“レッスルマニア3”でランディ・サベージを相手にプロレス史に残る名勝負を演じた(1987年3月29日=ミシガン州ポンティアック、シルバードーム)。

 スティムボートとフレアーが運命の再会を果たすのは、それから2年後。WCW・NWAに復帰したスティムボートは、フレアーを倒してNWA世界王座を手にした(1989年2月20日=イリノイ州シカゴ)。

 NWAクロケット・プロはこの前年、1988年11月に“テレビ王”テッド・ターナーのターナー・グループに買収され、ターナー傘下のグループ企業として団体名もWCW(ワールド・チャンピオンシップ・レスリング)に変わっていた。

 スティムボートはその後、2大メジャー団体WWEとWCWを何度か往復するが、WCW所属だった1994年9月に腰の負傷を理由に引退を表明した。

 WCWでの現役選手としての最後の対戦相手は、ストーンコールドに変身する2年まえの“スタニング”スティーブ・オースチンだった。

●PROFILE:リッキー・スティムボートRicky Steamboat
1953年2月28日、フロリダ州タンパ出身。本名リチャード・ブラッド。AWAバーン・ガニア道場でプロレスを学び、1976年、デビュー。トレードマーク技はサイクロン・ホイップと呼ばれたアームドラッグ、カンフー・チョップ。トップロープからのフライング・クロスボディー。NWA・WCW世界ヘビー級王座、インターコンチネンタル王座、WCW・US王座(4回)、WCW・TV王座(2回)、NWA・WCW世界タッグ王座(8回)など数多くのタイトルを獲得した。現在、WWEで“マンデーナイト・ロウ”“スマックダウン・ライブ”プロデューサー。

※文中敬称略
※この連載は月〜金で毎日更新されます

文/斎藤文彦

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