乃木坂46とけやき坂46の舞台公演に感じた、坂道シリーズ“演劇路線”の新展開

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2018年05月20日 17:32  リアルサウンド

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 4〜5月にかけて、乃木坂46による『星の王女さま』(東京・天王洲銀河劇場)、けやき坂46による『あゆみ』(東京・AiiA 2.5 Theater Tokyo)と、“坂道シリーズ”による演劇公演が相次いで催された。『星の王女さま』は乃木坂46の3期生が出演、一方の『あゆみ』は欅坂46のうちけやき坂46が出演と、いずれも各グループの若手メンバーが舞台経験を積む場となった。


 この二つの公演からは、乃木坂46と欅坂46/けやき坂46がそれぞれに培ってきた志向の違いがはからずも見えてくる。いわばそれは、「個」としての成長を模索する乃木坂46と、「群」としての表現を武器にしてきた欅坂46/けやき坂46という対比である。


(参考:けやき坂46は乃木坂46と欅坂46のハイブリッドな存在に?


 畑雅文脚本・演出の『星の王女さま』には、乃木坂46の3期生メンバーのうち20thシングル表題曲「シンクロニシティ」の選抜メンバー4名を除く8名が出演した。3期生たちは昨年、『3人のプリンシパル』や『見殺し姫』といった舞台公演を通じて、乃木坂46が育んできた舞台演劇への志向を受け継ぐ、次代メンバーとしての役割を果たした。


 『星の王女さま』に出演した8名は今回、1・2期生と合流しての活動も本格的になる一方で、昨年から3期生がひとつのチームのように機能しつつ担ってきた路線をさらに継続させたことになる。


 物語はアントワーヌ・ド・サン=テグジュペリ『星の王子さま』をモチーフにしつつ、宇宙飛行士のリンドバーグ(梅澤美波)と王女さま(伊藤理々杏)が惑星巡りの旅をしながら進行する。メンバー演じる各惑星の登場人物がそれぞれ特徴的な属性をもち、一人一人がその属性にちなんだ振る舞いを劇中で見せてゆく点は、昨年3期生個々人に当て書きされた舞台『見殺し姫』とも通じる。


 今回の『星の王女さま』についていえば、これまでの乃木坂46主導の舞台作品の中でも、個々のキャラクター造形にスポットを当てる仕方としてはシンプルなスタイルだったといえるだろう。それだけに、乃木坂46の別働隊的にチームとしての力を伸ばしてきた3期生それぞれが、個々人としていかに成長を見せ、個性を高められるかがさしあたっての鍵となる。


 たとえば、旅を先導していく宇宙飛行士リンドバーグを演じた梅澤が、主役然とした佇まいを身につけていたことは、この直後に相次いで予定されている梅澤の舞台出演を見据えるうえでも大きな収穫といえる。あるいは向井葉月が、「オタク」的なキャラクターのどれみ役を適切に演じたことなども明るい展望をみせるものだった。バラエティ番組ではトリックスター的にインパクトを残す向井だが、今作では一見コミカルでありながらも、コミュニケーションにやや難のある人物としての立ち居振る舞いを細やかに描写し、役を成立させていた。


 このように3期生個々人が演者として発展してゆくことは、キャリア豊富な1・2期生と同列に並んでの仕事が増えていく今後にとって喫緊の課題でもある。『星の王女さま』のキャストの中では伊藤理々杏と梅澤が6月から始まる乃木坂46版ミュージカル『美少女戦士セーラームーン』に1・2期生とともに出演、さらに梅澤は7月に『七つの大罪 The STAGE』で外部舞台出演も予定されている。梅澤にとっては、個人としてのプレゼンスを高める重要な契機だ。


 もとより、個人として存在感の強いメンバーを数多く育成できたことが、今日の乃木坂46隆盛を支える大きなアドバンテージである。3期生もまた、キャリア7年目を迎える先輩メンバーに伍してゆくため、本格的に個々の存在感を高める季節を迎えた。


 一方、けやき坂46は対照的に、個々人にクローズアップするのではなく、一群のチームとしての表現を追求する戯曲を初舞台に選んだ。けやき坂46が上演した柴幸男の代表的な戯曲のひとつ『あゆみ』は、主人公の女性「あゆみ」をキャスト全員が入れ替わりながら演じ、主人公の一生分の「歩み」を描いてゆく、独特の方法論をもった作品である。


 1チーム10名の演者たちはそれぞれ特定の登場人物を演じるのではなく、「あゆみ」という女性の人生を綴る各場面においてそのつど主人公を演じたり、あるいは周辺人物を演じたりと、演者と役柄の組み合わせを次々に入れ替えてゆく。その方法ゆえ、演者個々人が際立ったキャラクターを構築することよりも、チームとして一人の人生の輪郭を描いてゆくことに重きが置かれる。


 「あゆみ」の人生として上演される各場面で描かれるのは、誰にでも思い当たるようなごくありふれたエピソードにすぎない。そしてまた、ありふれた人生を描くからこそ、代わる代わる「あゆみ」を演じるメンバーたち一人一人の人生と、劇中世界の人物の人生とを重ね合わせることも容易になる。


 刹那を消費するものと思われがちなアイドルたちの身体を通じて上演することで、すぐれて普遍性をもつこの戯曲の効果は、さらに味わい深くなる。目の前にいるけやき坂46のメンバーたちもまた「あゆみ」と同じく生まれてから老いて死を迎えるまでの一生分のスパンを生きる存在であること、そして今まさに『あゆみ』を上演している彼女たちの一挙手一投足も彼女たちの人生の「あゆみ」の最中であることを、同公演は印象的に浮かび上がらせた。


 際立った個々人の集合であるよりも、群像全体を通じてひとつの大きな造形を描いてみせる表現は、欅坂46が結成当初から楽曲のパフォーマンスで見せてきた強みでもある。「個々人」にチューニングするよりも「方法」にチューニングする『あゆみ』という戯曲の上演は、そんな欅坂46が強みにしている群像としての表現を、一風変わった形で体現するものでもあった。


 ただしまた、坂道シリーズのメンバーの中でも、まだキャリアが若く圧倒的なメディアのスターになる以前の彼女たちだからこそ、『あゆみ』を体現するにふさわしい身体だったともいえるだろう。逆にいえば、すでにグループとしての歴史も長くメンバーを個々として際だたせるための道筋を確立しつつある乃木坂46であれば、『あゆみ』を上演する必然性は薄く、けやき坂46が成したような達成は得難かったかもしれない。


 他方、けやき坂46もまたキャリアを重ね知名度が上がってゆけば、個々人をいかに世に向けてアピールするかが大きな課題になる。それは、ある意味では乃木坂46が歩む道に近づいてゆくことでもある。しかし同時に、初舞台で独特の方法論を経験した彼女たちの身体や発想力が、パフォーマーとしての発展にどのように影響してゆくのか、この先の成長は興味深い。坂道シリーズの舞台演劇路線は今春、新たな展開への入口に立った。(香月孝史)


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