平成唯一の高卒ルーキー二桁本塁打を記録!1993年の松井秀喜【平成死亡遊戯】

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2018年05月21日 18:11  ベースボールキング

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1993年5月、ヤクルト戦でプロ入り初本塁打を放つ巨人の松井。投手高津=東京ドーム
◆ 共通項の多い2人の高卒スラッガー

 近年のプロ野球界でこれだけ世間的な注目を集める新人スラッガーがいただろうか?

 日本ハムの清宮幸太郎が5月2日の楽天戦(札幌ドーム)にて「6番DH」で一軍デビュー。岸孝之から初打席初球でフェンス直撃の二塁打を放ち、9日のオリックス戦(京セラドーム)のプロ24打席目でディクソンから右翼席中段へプロ初本塁打を放った。この試合でデビューからの連続試合安打をドラフト制後で単独トップの「7」に伸ばしたが、そこから21打席連続無安打とプロの洗礼。まさに5月25日に19歳の誕生日を迎える清宮にとって、天国と地獄を味わった一生忘れられない数週間になったはずだ。

 そして、今から25年前の1993年(平成5年)。同じようにプロ1号アーチを放ってから21打席無安打と苦しんだ高卒ルーキーがいた。

 高校球界のスーパースターで左打ちのスラッガーと清宮と共通項も多い巨人の松井秀喜である。ドラフトで長嶋監督自ら引き当てた逸材は、オープン戦20試合で打率.094、本塁打0に終わり開幕二軍スタート。イースタンでは格の違いを見せつけ打率.375、4本塁打という結果を残し大型連休期間の5月1日に一軍昇格すると、「7番左翼」でスタメン出場。2打席目にフェンス直撃のタイムリー二塁打を放ち、いきなりお立ち台に上がると、翌2日には一軍7打席目でヤクルト高津臣吾から弾丸ライナーのホームランをライトスタンドに突き刺した。


◆ 「プロ野球の危機」に現れた救世主

 実はこの93年5月ほど「プロ野球の危機」が叫ばれた時期はない。巷は“若貴フィーバー”と史上初の外国人横綱・曙の快進撃で空前の相撲ブーム真っ只中。4月30日にはのちに大人気となるK-1がひっそり初開催。決定的だったのが同年5月15日にサッカーのJリーグ開幕である。

 歴史的な開幕戦のヴェルディ川崎vs横浜マリノスは視聴率32.4%を記録。巷では「Jリーグ開幕に松井デビューをあえてぶつけたのでは?」なんて声もあったほどだ。ちなみに当時の巨人看板スター原辰徳より先に、まだ20代中盤だったヴェルディの“カズ”こと三浦知良に年俸1億円が提示されたことも話題になった。

 そんな中、球界の救世主を託されたのが12年ぶりに監督復帰した長嶋茂雄と甲子園のスター松井秀喜だったわけだ。背番号55がプロ初本塁打を放った5月2日の巨人vsヤクルト戦は視聴率32.2%、9回裏にホームランをかっ飛ばした21時5分の瞬間最高視聴率はなんと39.7%だった。

 一般家庭にインターネットもスマホもない時代、すぐ結果を知りたければリアルタイムでテレビかラジオで試合を追うしかない。当時の小学生たちはドラゴンボール最新話を読むために月曜早朝に『少年ジャンプ』を求めて必死にコンビニへ走り、野球ファンは皆、朝イチでスポーツ新聞に掲載された選手の打率順位を必死に確認していたものだ。

 デビューからとてつもなく大きな使命を背負わされ、さらに86年清原和博(西武)の新人本塁打記録31本越えも期待された松井だったが、打撃不振に陥り6月20日には打率.091まで落ち込み、7月9日についに二軍落ち。それにしてもあの何でも欲しがる大型補強大好きなイメージがある長嶋監督が、打率0割台の高卒ルーキーを代打要員でも2カ月近く一軍に帯同させていたことに驚く。

 なにがなんでもコイツを将来の4番打者に育ててみせる…という執念を感じる起用法だが、それだけ背番号55の素質に惚れ抜いていたのだろう。約1カ月間、イースタンで再調整して8月16日に再昇格。ゴールデンウィークにお盆と国民的行事&ファンサービス大好きなミスターらしいゴジラ昇格のタイミング。8月22日の横浜戦でスタメン出場するが、この試合以降、松井は2002年限りで巨人を退団するまで全試合で先発出場を続けた。


◆ 平成2人目は生まれるか!?

 今振り返れば、93年シーズンの巨人は原や篠塚といった80年代の主力陣がキャリア晩年を迎え、元メジャーの本塁打王ジェシー・バーフィールドを獲得するも、日本に来て三ツ矢サイダーの味にハマった助っ人は打率.215、26本、53点、127三振というパッとしない成績に終わり1年限りで退団。まさに2018年の巨人と同じく、チームの再構築と世代交代を迫られていたわけだ。Jリーグの躍進に加え、FA制度や逆指名ドラフト導入など、プロ野球にとっても変わり目。翌94年にはオリックスの鈴木一朗から「イチロー」へと登録名を変更した20歳の若者が球界を席巻することになる。

 若い才能が世に出る際は、環境や本人の実力はもちろん時代の後押しが必須だ。突き抜けた才能が時代を変えるのと同時に、時代が新しい才能を欲しているのである。

 松井は8月31日の横浜戦でそのシーズンの最多勝ピッチャー野村弘樹から2号、3号と圧巻の2打席連続アーチ。さらに3番に昇格した9月には4本、10月にも4本と再昇格後の38試合で10本のホームランを放ってみせた。最終的にセ・リーグ高卒新人記録となる11本塁打を記録。なお、平成30年間でここまで唯一の高卒ルーキー二桁本塁打だ。

 あの日米通算507本塁打の松井秀喜ですら、プロの世界にアジャストするには1年目の夏過ぎまで時間が掛かり、5月に初アーチを放ってから2号本塁打が出るまでに4カ月も期間が空いているという事実。現在、打率1割台と苦しむ清宮幸太郎も長い目で見守りたいものである。

▼松井秀喜<93年打撃成績>
・57試合
・打率.223
・11本塁打
・27打点
・1盗塁
・OPS.747


文=中溝康隆(なかみぞ・やすたか)

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  • 当時の読売は、最近の読売と同じく大砲不在(原が衰え)だったため、ゴジに懸ける期待は大きかったな。
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