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Y.M.C.Aをプレス工場で熱唱 西城秀樹さんのヒット曲秘話

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2018年05月23日 16:02  AERA dot.

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写真2007年12月撮影の、本誌連載開始時の西城秀樹さん。スターの風格が備わっていた(撮影/品田裕美)
2007年12月撮影の、本誌連載開始時の西城秀樹さん。スターの風格が備わっていた(撮影/品田裕美)
「傷だらけのローラ」「YOUNG MAN(Y.M.C.A.)」などのヒット曲で知られる歌手の西城秀樹さんが5月16日、急性心不全のため63歳で亡くなった。

「2022年のデビュー50周年に向けて体調を戻したい。頑張ろうと話していたばかりでした」

 そう語るのは、西城さんのマネジャーとして30年以上、支え続けた片方秀幸さんだ。容体が急変したのは、4月25日夜。自宅で食事前に家族とだんらん中に倒れ、心肺停止状態になった。横浜市内の病院に救急搬送され、40分後には蘇生したものの意識は戻らず、医師には「もって4日」と言われたという。

「それでも家族と、親しいスタッフが見守る中、20日間もよく頑張った」(片方さん)

 そして16日午後11時53分。意識が戻ることのないまま息を引き取った。

 4月13日に63歳の誕生日を迎えたばかりだった。翌14日には、栃木県の足利市民会館で他の歌手と共に「同窓会コンサート」に出演。約100回続く名物コンサートで、全国からかけつけた「ヒデキファン」を前に5曲を熱唱した。すごい盛り上がりだった、と振り返るのは共演した伊藤咲子さんだ。

「秀樹さんもそれですごくうれしそうで。おちゃめな人だから、広い会場の1階席から2階席にいるファンに、それぞれ笑顔を見せたり手を振ったりする。すると、ファンの人たちは、キャーーッ!と、今にも失神しそうになるんです」

 自宅に戻った西城さんは、「大勢のファンが来てくれてね」と、コンサートの様子を妻の美紀さんと子どもたちに深夜1時過ぎまで話していたという。

 西城さんは1972年に「恋する季節」でデビュー。当時のキャッチフレーズは「ワイルドな17歳」。スターの座を不動にしたのは、79年の「YOUNG MAN(Y.M.C.A.)」の国民的ヒットだった。当時、マネジャーを務めていた天下井隆二さんは、西城さんと米国ロサンゼルスでヴィレッジ・ピープルの原曲を耳にした。79年の正月のコンサートの打ち合わせで、「Y.M.C.A.」をアンコールで披露することが急きょ決まったが時間がない。

「スタジオのビルの屋上で、僕が1時間で日本語の歌詞を書き、一の宮はじめ先生が振り付けを考えたんです。YMCAのポーズは、一の宮先生が凝っていた少林寺拳法からヒントを得た」

 Aのポーズのあと、両手を真横に伸ばす振り付けだったが、西城さんは、「隣の人とぶつかるでしょ」と言って、縦のポーズに直した。

 気を使っているのかいないのかわからないが「秀樹らしい」と、天下井さんは苦笑する。「Y.M.C.A.」を披露するや否やファンはこの曲に熱狂し、会場は異様なほど盛り上がった。

「次の新譜で出そうよ」

 西城さんは提案したが、2月の発売まで1カ月を切っていた。予定の新曲の発売に向けてレコードのプレス工場はすでに稼働。

「僕がお願いしてきます」

 西城さんは自ら、神奈川県にあったプレス工場にテープレコーダーを抱えて飛び込んだ。スーツ姿でビール瓶用の黄色いコンテナケースの上にすっくと立ち、西城さんは集まった50人ほどの従業員に向かって叫んだ。

「僕の新曲を聴いてください」

 アイドルの思わぬ登場と目の前で熱唱された新曲に従業員が感激するなか、西城さんが頭を下げた。

「皆さん、徹夜作業になりますがお願いします」

 任せてくれよーー。頼もしい声がかえってきた。天下井さんは、この場面を決して忘れることはない。

「相手が社長でも一般の人でも、態度を変えることなく誠実に接する。それが秀樹でした」

 それまで平均30万枚の売り上げだった西城さんのレコードは、「YOUNG MAN」で年間80万枚を突破し累計200万枚に達した。8割が女性ファンだった購買層も男女比が並び、老若男女が口ずさむようになった。

 西城さんの真っすぐで前向きな性格は、芸能界の大御所にもかわいがられた。

「NHKの番組で共演した石原裕次郎さんから名刺をもらった。裏を返すと、『ヨットを2隻持っているので、一緒に乗りませんか』と直筆のメッセージが添えてありました」(天下井さん)

 美空ひばりさんと同じステージに上がったときは、ひばりさん独特のこぶしを利かせた演歌を一緒に歌い上げないといけなかった。徹夜で練習し、「ひばり節」をマスターした西城さんに、ひばりさんがこう声をかけた。

「秀樹さん、良かったわ」

 西城さんの周りには、自然と人が集まってきた。

「新御三家」のひとり、野口五郎さんとは、番組の収録の後、よくご飯を食べに行った。「とはいえ五郎さんは、食事は栄養が取れればいい、というタイプ」(天下井さん)。ある晩、野口さんが西城さんに、「おいしいところ、連れていってやるよ」と誇らしげな口調で誘ってきた。深夜0時を回ったころ、連れていかれた先は、青山の立ち食いそば屋だった。

 ときは、「YOUNG MAN」のヒットの絶頂期。新御三家のアイドル2人が、立ち食いそばをすする光景に、酔っ払いのサラリーマンが仰天していたという。

 01年に美紀さんと結婚し2男1女に恵まれたが03年と11年の2度、脳梗塞を発症した。リハビリを受けながらコンサートや執筆活動を続けた。

 本誌でも08年1月から1年半にわたり、「秀樹とヒデキ」のエッセーを連載。担当デスクを務めた大嶋辰男さんが、連載開始にあたり西城さんのプロフィル欄に「職業、スター」と書いた。すると西城さんは、「いいねぇ」とすごく喜んだという。

「連載でも、『こんな話はどうかな』と、どんどん新しい提案をしてくれる方でした。病気やリハビリもそうですし、芸能活動でも苦労があったとは思いますが、愚痴や弱音をほとんど口にしなかった」(大嶋さん)

 アイドル時代は、写真誌「フォーカス」の追っかけをこうやって巻いた、なんて体験談を面白おかしくしてくれて、打ち合わせのたびに、会うのが楽しみだったそうだ。一緒に時を過ごす相手を照らして、楽しい時間をもたらしてくれる。スターというのは、そんな種類の人たちなのだな、と大嶋さんは感じたという。

 生涯スターであり続けた西城秀樹さん。告別式は5月26日、東京・青山葬儀所で執り行われる。(本誌・永井貴子、太田サトル)

※週刊朝日 2018年6月1日号

【おすすめ記事】西城秀樹さん「YOUNG MAN」を体現 前向きさが同年代患者の励みに


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  • 死んだ事にして北帰ったんじゃねぇのか?朝鮮人工作員著名人和田あき子・西城秀樹・福山雅治・桑田佳祐・他https://honuryoma.wordpress.com/コラム/在日韓国人・朝鮮人の芸能人%EF%BC%88有名人%EF%BC%89/
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  • 急遽ヤングマンを作らせるって事は売れるって確信があったんですね����ʴ򤷤�����
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