2人の息子を連れ去った夫を略取誘拐罪で刑事告訴! その後、子どもを取り戻して離婚

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2018年05月26日 18:03  サイゾーウーマン

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サイゾーウーマン

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singlemother16b『わが子に会えない』(PHP研究所)で、離婚や別居により子どもと離れ、会えなくなってしまった男性の声を集めた西牟田靖が、その女性側の声――夫と別居して子どもと暮らす女性の声を聞くシリーズ。彼女たちは、なぜ別れを選んだのか? どんな暮らしを送り、どうやって子どもを育てているのか? 別れた夫に、子どもを会わせているのか? それとも会わせていないのか――?

第16回 有井なみさん(仮名・30代前半)の話(後編)

 アルバイト先の仲間とでき婚。しかし、夫は口だけで、育児や家事を手伝ってくれない。3年後、2人目の子が生まれるも、そんな状況は変わらず、夫婦仲は悪くなっていく。義母によるお金の無心、夫の浮気、そして義母や義兄夫婦も含めた夫側の計画的な「息子連れ去り事件」により、2人の子と離れ離れになってしまった。さらに、通帳や銀行印、マンションの権利書、車まで、夫たちに取られてしまったのだった。

(前編はこちら)

■夫らを未成年者略取誘拐罪で刑事告訴

――その後の生活は、どんな感じだったんですか?

 精神的にどん底で、睡眠薬や精神安定剤が欠かせませんでした。日常生活に対しても無気力になり、心にぽっかり穴があいてしまったようでした。そのとき励ましてくれたのが、担当してくれた弁護士です。相談に行ったところ、「あなたがしっかりしてないと親権は取れない」と言われたんです。私、はっとして、以後は行動を改めました。子どもたちがいつ帰ってきてもいいように、日々の生活のリズムを崩さないよう頑張ったんです。精神安定剤などの薬にしても、お医者さんにお願いして減らしていきました。

――長男は幼稚園に通っていたはずですが……。

 連れ去られた次の日には、Hの実家近くの幼稚園へ入園手続きが取られていました。転園先を突き止めて、電話したら「そんな子はいませんし、知りません。もう電話しないでください」とのこと。おそらく義母が「実母に虐待を受けていました。もし実母から電話がかかってきても、子どもに取り次いだり、連絡先を教えたりしないようにしてください」と伝えたんでしょうね。

――裁判※1などはやったんですか?

 子どもを返してほしいということで、家庭裁判所で審判を起こしたんです。それに加えて未成年者略取誘拐罪で刑事告訴し、警察に告訴状を受理してもらいました。

※1 審判と裁判――どちらも家裁が審理した結果を当事者に下すという共通点がある。審判は非公開で口頭弁論もないまま審判が下るが、裁判は公開されていて口頭弁論の末、判決が下るという違いがある。

――刑事告訴ということは、Hさんや義母たちは警察へ出頭させられたんですか?

 そうなんです。H、義母、義兄らを告訴したので、彼らは被疑者として、取り調べを受けました。

――Hさん側は、何か申し立てていたんですか?

 連れ去りの半年後、相手方から離婚調停の申立書が届きました。それと同時に夫からはよりを戻したい旨のメールと、結婚記念日のプレゼントが届きました。

――結婚記念日のプレゼントって、何が入っていたんですか?

 おそろいのパジャマです。夫と私の名前が刺繍されていました。

――離婚調停の申立書と結婚記念日のプレゼントが同時に届くって、なんだか気味が悪いですね。それで、調停でHさん側はどんなことを主張してきたんですか?

 「母親が子どもを殺そうとした」とか、「統合失調症で危ないから子どもに会わせられない」とか「虐待した」とか。あることないこと、すごくひどいことを書かれました。すべて義母が書いていたみたいです。

――連れ去ったとはいえ、実際に子どもを育てているHさん側のほうが、立場が強そうに見えますね。

 だけど、私のケースは調査官が本当によく冷静に見てくださる方で、子どもたちとの面会を実現するべく、すごくうまいことやってくれました。

――有井さんが最初に審判を起こしてから、子どもと会わせてもらうまでに、どのぐらいかかったんですか?

 3カ月です。審判や調停の期日はだいたい1カ月に1回なので、時間がかかるんです。その間は、義母や義兄の妻が子どもたちにずっと、ありもしない私の悪口を吹き込んでいたみたいです。「ママが包丁で刺そうとしたけど助けてあげたからね」「ママに会ったらパパに会えなくなっちゃうよ」「ママに会ったら殺される」とか。そんなことを寝る前に義母から毎晩言われていたようです。

――最初の面会は、どのようにして行われましたか?

 今後も会わせていいのかを見る、試行面会というものです。裁判所の面会用の部屋で、30分だけ行われました。マジックミラー越しに、部屋の外から調査官などが様子を見ているんです。同じ部屋で、まずはHと子どもたちが過ごしていて、そこからHだけが退席して私と私の両親が入り、その後、両親が退席して、私と子どもたちだけになります。私と子どもたちだけで過ごしたのは、5分にも満たない時間でした。

――子どもたちの様子はどうでしたか?

 会ったとき、長男は、私と目を合わせようとすらしませんでした。下の子は風邪じゃないのに風邪薬でも飲まされてるのか、目がとろんとしてた。普通だったら「わー、ママ!」とか言って駆け寄ってくるはずなのに。それでも、私の膝にちょこんと座ってくれました。

――やっぱり覚えててくれてるんですね。上の子も寄ってきたんですか?

 いえ。下の子の様子を見て、「ママに触ったら敵になっちゃうから」って、泣きそうになりながら叫んだんです。義母たちが毎晩、“なみ=ひどい母親”というイメージを植え付けた成果ですね。長男は、片親疎外症候群(PAS)※2にかかっていたんです。

※2 PAS――子どもが片方の親(多くの場合は同居親)の影響を受けて、正当な理由なく、もう片方の親(別居親)との交流を拒絶する事態【青木聡・大正大学心理社会学部臨床心理学科教授】

――そんなことを言われて、パニックになりませんでしたか?

 別居親の団体に相談に乗ってもらっていたので、気構えはできていました。だから私、「大丈夫だよ、そんなことないよ。何があっても、2人のこと大好きだからね」って優しく言えました。

 その後、審判や調停を行っていく中で、月1回という面会の取り決めがなされる。有井さんは2人の息子に会うために、毎週末、義父母や元夫が住んでいる茨城県西部へ出かけるようになる。

 向こうは面会させたくないから、直前で『インフルエンザにかかった』とか言いだしたりするんです。そんなの仮病に決まってます。向こうの家までは片道2時間半以上。しかも、キャンセルされることもままありました。それでも毎週行って、何回かに1回、数時間だけだけど会えたんです。

 離婚調停※3が裁判へと移行していく過程で面会交流のルールが変わり、子どもたちと泊まりで会えるようになる。それは、家裁の調査官が有井さんと子どもたちの面会の必要性を調停の中で主張してくれた結果だった。義母たちが連れ去って1年。初めて1週間の面会を実施しているとき、有井さんのもとに吉報が届く。子の監護者指定が決定し、親権が有井さんに確定したのだ。

※3 調停――調停委員を間に挟み、当事者同士の話し合いによって解決を図る手続き。

 義実家から裁判所の人たちや警察官が、子どもたちを強制的にうちへ連れてくるというのだけは避けたかった。家裁のほうで、そうならないよう1週間の面会中に、親権が確定するようにしてくれたんです。

――相手は、すんなりと子どもの引き渡しに応じてくれたんですか?

 義母サイドが「刑事訴訟を取り下げてくれたら、引き渡す」という条件を出してきたんです。それで最終的にはまとまりました。ずっと警察の取り調べを受けるのは、心理的にキツイでしょうからね。親権が確定してから1カ月ほどした後に、ようやく離婚が成立しました。親権確定と同時でなかったのは、財産分与などの条件を決める必要があったからです。

 父親Hさんから母親である有井さんへ、大人の都合で住むところを転々とさせられる子どもたちの心の負担がなるべく少ない形で、決着したのだ。

――その後はどういうふうにして、子ども2人との生活を作り上げていったのですか?

 それがすごく不思議なことに、子どもたちが私の家で暮らすということが決まった時点で、長男のPASが突然、バキッと全部解けたんです。

――えっ? それはどういうことでしょうか?

 義実家で暮らしていた時は、緊張していて「義実家の人たちに嫌われないように」とか、「自分の居場所はここだから、ここで暮らしていかなきゃいけない」と、たくさん気を使って過ごしていたんだと思うんですけど、「今日からここで暮らすんだよ。今まで暮らしてきたおうちに戻ってきたよ」って言った瞬間に「ママー」って言って甘えてきてくれました。

――長男に態度を変えた理由を聞きましたか?

 あるとき1回だけ、「ママのこと嫌いって言ってたことあったよね。覚えてる?」って聞いたんです。すると涙を流しながら「本当は思ってなかった」って、喉を震わせるようにして言っていました。間で板挟みになってつらかったんでしょう。だけど自分の身を守るために、自己防衛の究極の手段だったんだろうなって。そんな大事なことも言えないし、自分の感情を殺さなきゃいけない環境なんてよくないと思ったので、逆に引き取ることになったときには、これからも「パパのことが好き」ってちゃんと言えるよう、Hに積極的に会わせるつもりでした。

――元夫のHさんに会わせたいということですか?

 もちろんです。面会交流ってお互いのためでもあるけど、でも一番は子どものため。私に会わせないようにしたから、今度は逆に、私がHには会わせない――なんていうふうにはしたくない。子どものことを真剣に考えたら、「パパに会いたい!」という気持ちを隠さなくてもいい環境、会いたい時に会える環境を作ることが大切なんじゃないかと思いました。

――離婚後、Hさんとお子さんたちは、どのように会わせているんですか?

 Hはその後も実家に住んでいて、面会のたびに東京に来ました。一緒に遊びに行ったりとか、4人でプールに行ったり、ご飯食べに行ったりとかしたんです。その後、彼が私たちのすぐ近所に引っ越してきたので、それ以降は、しょっちゅう遊びに来たり行ったりするようになりました。子どもたちも、Hのところに泊まりに行ったりするようになったんです。

――現在も面会は順調に行えていますか?

 ところが彼、再婚しちゃったんです。再婚する少し前から、全然会ってくれなくなりました。それどころか、メッセージですら、なかなかこなくなりました。下の子が私のLINEから「パパ元気ですか? いつ遊べますか?」ってメッセージを送っても、最近は既読スルーです。後で知ったんですが、再婚相手との間に子どもが生まれたそうなんです。

――Hさんが再婚したということを、子どもたちは知っているんですか?

 それを言うべきか、すごく迷いました。「パパとまた結婚してほしい」って、ずっと言われていたので。だけど本人から「今度、再婚することになりました」と聞いた時点で、2人には伝えました。

――子どもたちの反応は?

 下の子はまだ幼くて、ひょうきんな性格なので「へえ、そうなんだ。また離婚するかもね」って、明るい声で平然と言いました(笑)。一方、上の子はボロボロと涙を流して「ママが早くパパと結婚しなかったから、ほかの女の人と結婚しちゃったんでしょ。ママがいけないんだよ!」って言いました。

――それは傷つけちゃいましたね。

 でも、泣いて吹っ切れたみたい。「パパとまた結婚して」とは言わなくなったし、一緒に外に出て歩いていると、「ママ、あの人と結婚したら?」って、全然知らない人を指さして言うようになりました。

――子どもなりに、前向きに考えてるんでしょうね。会いたい気持ちはあるはずなのに。

 そうなんです。パパが大好きですからね。心の中では傷ついてると思います。

――では、有井さん自身は今後、再婚する気はありますか?

 離婚した直後は、また結婚なんて怖いし、こりごりだし、考えられないと思っていましたが、今は子どもたちを受け入れてくれる方がいて、その方のことを子どもたちも受け入れてくれるなら、今度こそ幸せな家庭を作りたいなと、前向きな気持ちになってきました。

 激動の体験を経てトラウマを抱えながらも、前向きに生きている有井さん。そんな彼女のマジックショーを私は今後、見に行きたいと思っている。

西牟田 靖(にしむた やすし)
1970年大阪生まれ。神戸学院大学卒。旅行や近代史、蔵書に事件と守備範囲の広いフリーライター。近年は家族問題をテーマに活動中。著書に『僕の見た「大日本帝国」』『誰も国境を知らない』『〈日本國〉から来た日本人』『本で床は抜けるのか』など。最新巻は18人の父親に話を聞いた『わが子に会えない 離婚後に漂流する父親たち』(PHP研究所)。数年前に離婚を経験、わが子と離れて暮らす当事者でもある。

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  • そういえば元マイミクさんに、親権を獲得するより別のもう一つの権利を獲得する方が得策でそっちの方が大事とかなんとか聞かされたがなんだったんだろう。
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