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元警視庁捜査一課理事官が明かすオウム秘話「愛人知らなかった麻原妻と土谷死刑囚が落ちた瞬間」

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2018年07月13日 07:02  AERA dot.

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写真土谷の顔は能面のようだった (c)朝日新聞社
土谷の顔は能面のようだった (c)朝日新聞社
 オウム真理教の元教祖、麻原彰晃元死刑囚(本名・松本智津夫)ら7人の死刑が執行されてから1週間が過ぎたが、元死刑囚らに帰依する信者たちは多く、存在するという。かつてオウム捜査の中心を担い、当時、サリン製造の責任者だった土谷正実死刑囚、麻原彰晃の妻の取り調べなどを担当した元捜査1課理事官の大峯泰廣氏(70 )が明かす、彼らの素顔と真実とは──。

【「愛人」知らずにいた麻原妻の写真はこちら】

*  *  *
1995年3月の地下鉄サリン事件など計13事件で麻原元死刑囚の他、土谷(53)、遠藤誠一(58)、新実智光(54)、井上嘉浩(48)中川智正(55)、早川紀代秀(68)の6人の死刑が執行され、取調べでの様々な思い出が蘇った。

 捜査員人生の中で一番印象に残ったのは、やはり無差別テロの地下鉄サリン事件だ。1995年3月20日、地下鉄サリン事件が発生した時、私は捜査1課4係係長で、前年に井の頭公園で発生した切断遺体事件の現場に行っていた。

 午前9時前に「全員招集」がかかって何事だろうと本部(警視庁)に引き返したら、地下鉄霞ケ関駅周辺は大混乱していた。時間が経つにつれて、まかれた猛毒がサリンとわかってきて、オウムじゃないかとなった。当時、松本サリン事件はオウムの仕業だろうとわれわれは目星をつけていたからね。

〈警視庁などは事件翌々日、すぐにオウム教団総本部、山梨県上九一色村(現・富士河口湖町)の関連施設などを一斉捜索した。大峯氏もこの捜索に参加、自衛隊の防護服に身を包み、ガスマスクをつけ、第7サティアンに踏み込んだ。しかし、事件にかかわったとされた幹部らはすでに逃走。教団施設内からほとんどの機材、書類などが持ち出され、もぬけの殻だったという〉

 地下鉄サリン事件の1週間前の日曜日、捜査1課200人全員が自衛隊の朝霞駐屯地に集められ、ガスマスクの脱着訓練を極秘で行った。なぜ、こんな訓練をするのか、私はよくわからなかったが、寺尾正大捜査1課長(当時)ら幹部はオウムの捜索をすると決め、オウムがサリンをまき、反撃してくる時に備えた。しかし、オウム側へ捜索が近いという情報が洩(も)れ、先手を打たれてしまった。


〈そして、捜索から8日後に東京・南千住で国松孝次・警察庁長官狙撃事件、4月23日には東京・南青山のオウム教団総本部で村井秀夫幹部刺殺事件などが相次いだ〉

 村井が刺殺された時、麻原に消されたんじゃないかなと直感的に思った。村井はサリン製造の統括責任者で事件のカギを握っていた。しかし、刺殺事件の背景はきちんと解明できないままに終わった。

 当初、私はオウムの連中が偽造免許証を使って逃走した事件を担当していた。オウム信徒がレンタルビデオ店のアルバイト店員になり、免許証の写しを盗んで教団に渡していた。逃げた店員を捕まえたら、チオペンタールという薬を打たれて、記憶喪失になっていた。取り調べても何も覚えていない。記憶を呼び戻そうと、もう一度ビデオ店で働かせたりしたが、記憶は蘇(よみがえ)らず、起訴できなかった。薬で本当にこういうことができるんだ、オウムもすごいことやる、とビックリした。

〈同年4月26日、サリン製造責任者だった土谷、遠藤らが上九一色村のオウム施設地下室に隠れていたところを逮捕。大峯氏は築地署特捜本部で土谷の取り調べを担当した〉

 築地署に毎日、泊まり込み、土谷とは朝10時から夜中まで20日間、2階取調室で向かいあった。「おはよう」「お茶飲むか」などと話しかけても無言。微動だにしない。1週間ぐらいはずっと完全黙秘だった。当時、麻原はまだ逮捕されておらず、彼は麻原を“尊師”と呼び、教団を守ろうとしていた。

 私は「麻原と組織を守りたいなら、君がしゃべらなければ、守れないよ。麻原ではなく、君がサリンを作ったんだろう? 君がしゃべらないと麻原を守れないよ」と話しかけたが、落ちない。落ちたのは、私が土谷の両親について話したことがきっかけだった。

〈土谷はオウムに傾倒していた91年7月、両親に連れられ、強制的に茨城県出島村(現かすみがうら市)の「佛祥院」に預けられた。両親はこの施設で必死になって息子を説得したが、その途中でオウムの街宣車が施設を取り囲み、「尊師が呼んでるぞ」「監禁するな」などと呼びかけた。すると、土谷は両親の元から逃げ出し、出家し、化学兵器製造にのめり込んでいった〉


 この出来事を振り返って、私が「(施設に両親が土谷を連れていったことは)君のためにならなかったね」と語りかけると、土谷は自分の気持ちをわかってくれ、同情してくれていると思ったのか、気持ちがほぐれた様子で、受け答えをするようになった。

 土谷の両親は立派な人で息子のためにいろいろ努力したが、ついに連れ戻すことができなかった。彼が逮捕されると、両親は築地署にやってきたが、接見禁止で会わせることはできなかった。だが、遠くから土谷の姿は見せた。刑事課の出入り口に両親に立ってもらい、土谷を取調室の前に立たせたんだ。両親の姿を見たら、改心するかなと思ったが、土谷の感情の起伏はなし。動揺もまったくしていなかった。

〈取り調べはサリンの製造方法から始めた。取調室の机の上に紙と鉛筆を用意。土谷は鉛筆を手に、サリンの製造方法をフラスコの絵や化学記号や図入りで説明し始めたという〉

 土谷は頭脳的にはすばらしい科学者だった。サリンの化学式を自分で分解して、薬品会社から成分を取り寄せ、独力で作った。薬品会社もまさかサリンを作るとは思わなかったんだろう。サリンのノウハウ本など売ってないから、土谷は国会図書館、大学の図書館に通い、専門書をいろいろ読みあさったようだ。同じやり方でVX、ソマン、ニトログリセリン、イペリットガスなど他の化学兵器も作っていた。

 専門家に聞くと、化学知識があってもなかなかできるもんじゃないそうだ。土谷だから、できたんだろう。彼はロシアにも行き、化学を勉強していた。私は、サリンという言葉を事件で初めて知った。化学式なんかわからないから、調書を作成した後、科捜研の専門家に見せ、間違っていないかを確認した。

〈土谷が供述した、オウムの教義を信じるきっかけとなった体験というのは単純なことだった〉

 麻原は当時、「断食して修行すれば、力がわいて夢精をしなくなるなど、雑念がなくなる」と説き、土谷はそれに共感したと語っていた。だが、寝ない、飯も食べないという生活をさせられれば、誰でも性欲はなくなるよな、普通。よくよく考えればわかることだ。私なら絶対に引っかからないよ。だが、彼は麻原のまやかしに心酔していた。


〈土谷はオウムでの地位はそれほど高くなかったが、麻原がいる第2サティアンなどに自由に出入りでき、「尊師からおすしやお好み焼きをごちそうになったこともあった」と誇らしげに語ったという〉

 土谷は麻原に目をかけられた理由を「尊師とは過去から深い縁があった」と供述したが、単純に土谷にサリンなど化学兵器を作らせようとして、麻原は土谷を特別扱いしたんだろう。

 土谷は最後まで、「サリンを作れと指示したのは村井だ」と言い、麻原をかばい続けた。実際は麻原が直接、指示したと思ったが、村井は当時、もう殺されていたのでそちらに罪をかぶせていた。

 土谷は笑いもせず、怒りもせず、泣きもせず、感情のない能面のような表情で、終始淡々と話していた。マインドコントロールが取り調べ中は解けなかった。

〈土谷の供述がきっかけで、冤罪を生んだ松本サリン事件の全容も解明された。土谷は「村井の指示で94年にサリンを作り、完成品を渡したら、「村井が『試してみる』と話していた」と語りだした〉

 松本サリン事件の前日に実行犯の中川智正らがサリンを取りにきた、と土谷は詳しく語り始めた。

 中川はその時、ファンがついた保冷車のようなトラックを持ってきたと、その絵も描いた。土谷は、サリンについてよくしゃべったが、まったく反省はしていなかった。

 土谷は地下鉄サリン事件前日に逃走し、事件当日は浜松にいた。テレビニュースで地下鉄車内にサリンがまかれたことを知った時の感想を聞いても、俺が作ったサリンを教団が本当に使ったんだなと思った」という話しぶりで、後悔しているふうには見えなかった。

 彼の裁判には一度も行かなかったが、死刑判決が出た時、当然だと思った。サリンの製造責任者で、化学兵器をまけば人が死ぬことは当然、土谷はよくわかっていたのだから。獄中で彼は「麻原を信じて失敗した」と元信者に漏らしたというが、反省の弁は述べず、修行は最後まで続けていたと聞く。土谷はすべての事件で直接、手を下した訳ではないが、死刑執行はやむを得ない結果だろう。

〈大峯氏はその後、94年に起きた元信徒の落田耕太郎さん殺害事件で逮捕された、麻原の妻の取り調べを担当した〉

 麻原の女房は殺害には加わっていないが、偶然、現場に居合わせた。彼女はサリンなど一連の事件はほとんど知らなかった。話していくうちに、彼女も麻原にだまされているなと思った。


 彼女は、麻原と女性幹部I・Hとの間に3人の子どもがいることは知っていたが、浮気はそれだけだと思っていた。あちこちに女がいて、ほかにも子どもがいると教えると、「そんなはずはありません」と気丈に話していた。尊師の妻だったが、高慢ではなく、ごく普通の女性。当時、麻原とは別居で、愛人が大勢いることは知らなかったんだね。麻原の死刑執行後、遺骨を引き取りたいと主張していたが、彼女はオウムの後継団体とつながりがあるだろうから、四女の弁護人、滝本太郎氏が明らかにした「遺骨を粉にして、太平洋に散骨する」という方針の方がベストだと思う。

〈2012年、逃亡犯3人が捕まった〉

 3人ともどこかで生きているだろうと思っていた。平田信が出頭したのは、麻原の死刑を阻止するためとか言われたが、私は、単なる偶然だと思う。逃げることに疲れ果てたんだろう。

 菊地直子、高橋克也が捕まったのは、平田の逮捕でオウム事件が世間から再び注目され、警察庁が大々的に広報した成果だと思う。全員が出てきたが、新しい真実が出ることはもうないだろう。菊地は土谷の部下で手伝っていたが、彼女は化学兵器など詳しいことは知らなかったはずだ。

〈「オウム事件とは何だったのか」と問うと、大峯氏はこう総括した〉

 オウムの連中を捕まえてみて初めてわかったが、麻原は建前上、「ハルマゲドン(人類最終戦争)が起こるから、教団は武装しなければならない」と、毒ガスやライフル、ヘリコプターなどまで買って武装化した。しかし、麻原は本当は日本を乗っ取ろうとしていたのではないか。

 でも、たかだか1万人の組織で乗っ取れるはずがない。警察だけでなく、武装化した自衛隊もいるんだから。今でもやりきれないのは、当時、悩める若者たちはオウムへ走るしか、解決する居場所がなかったのかなということだ。その結果、麻原と結びつき、暴走した。一連の事件はオウムの教義がやらせたものだと思う。彼らは教義を信じようと感情をなくしていったんだろう。もうこんな事件は二度と起こってほしくない。(本誌 森下香枝)

※週刊朝日 緊急臨時増刊「オウム全記録」(2012年7月15日号)を加筆

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