越境入学問題、炎天下試合… “昭和的”高校野球にいま変革が求められている

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2018年08月08日 01:00  citrus

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8月5日、第100回全国高校野球選手権大会が甲子園球場で開幕した。その節目を記念とし、今年行われる「レジェンド始球式」では、かつて甲子園を沸かせた“伝説の球児”たちがマウンドに上がり、開幕戦となる5日には、巨人・ヤンキースなどで活躍した松井秀喜氏が登場。この日甲子園に駆けつけた超満員の観客も大いに盛り上がった。

 

さらに、同日放送された特番『ファン10万人がガチで投票! 高校野球総選挙!』(テレビ朝日系)でも1位に輝いた松井氏は、

 

「ありがとうございます。皆様に選んで頂いたのは光栄で、うれしく思います。また新たなレジェンドが誕生するのを一高校野球ファンとして楽しみたいですね」

 

……とコメントした。さすが国民栄誉賞まで受賞した「日本が誇る偉人」だけあって、如才なく完璧な、素晴らしいお言葉──だが、社会環境の劇的な変化に、牛歩の歩みとはいえ年々「進化」し続けている昨今の高校野球において、たとえば「松井の5打席連続敬遠」だとか「松坂大輔の延長17回250球ピッチング」……みたいな類の「新たなレジェンド」は、もはや誕生する余地はないのではないか……とも思わなくはない。このご時世に「露骨な全打席敬遠」なんてやっちまった日には、ネット住民をも巻き込んで26年前とは比べものにならないレベルの大問題に発展しそうだし、タイブレーク方式が採用された今年以降、松坂や板東英二(※延長16回と翌日の延長25回を一人で完投)のような「勝つために腕がちぎれても投げる」といった「体力の限界を気力のみでカバーする、根性論を美学にしたパフォーマンス」を目の当たりにできる機会もないだろう。しかも、その“感動ドラマ”の演出に少なからずの役割を果たしている「炎天下」すら、熱中症問題で“排除”される可能性もあり得なくはない……。

 

さて。私はこういった“昭和の象徴の一つ”ともいえる「高校野球」の前近代性が(徐々に、ではあっても)失われつつあることを憂いでいるわけでも、奨励しているわけでもない。ただ、100回という歴史を積み重ねてきた“頑ななモンスター興業”でさえも、時代の流れには抗えず、なんらかの改革を余儀なくされるという事実を淡々と語っているだけである。

 

そんななか、野球界の重鎮・広岡達郎氏が『幻冬舎plus』で、こんな提言をなされていた。

 

私の知っている東京の私立強豪校でも、野球部員は午前中の授業に出席するだけで、午後から日没までは野球漬けだった。

(中略)いうまでもなく、野球の練習で心身を鍛えるのも大事だが、高校の3年間は野球だけじゃなく、将来の社会人として、しっかり基礎教育を身につける時期である。

(中略)現在の教育制度では、私立高校に学区の制限はない。しかし都道府県の代表を誇りとする甲子園大会で、私立高校だけ日本中のどこから入学していいのはおかしいだろう。

野球少年たちも甲子園に行きたいのなら家を離れて遠い高校で寮生活を送るより、地元都道府県の高校で甲子園をめざしたらいいじゃないか。

 

たしかに正論ではある。正論であり理想論ではあるけれど、おそらく“越境入学”がまだ珍しかった(に違いない)広岡氏の若いころと現在とでは、残念ながら時代背景がまったく異なっている。これが仮に「野球」ではなく“学生の本分”とされている「勉強」だったらどうだろう? より高い“偏差値”を求め、灘やら鹿児島ラサールやらに“越境入学”を目論む頭の良い子どもたちを、「地元の神童の他都道府県流出を避けるため」を理由に、思いとどまらせることができるのか? そして、建て前としては「部活でしかない(=本分ではない)」野球を、プロのレベルまで鍛え上げるには、いまだ日本だと強豪の高校野球部に入部するしか道はないのだ。

 

これを「進化」と呼ぶか「退化」と呼ぶかは、デリケイトな判断だが、どちらにせよ時代はこうやって日々動いているのだから、良し悪しの次元を越え、我々はその流れに順応せざるを得ないのではなかろうか。

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