高校新科目「歴史総合」をめぐって

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2018年08月17日 16:22  ニューズウィーク日本版

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ニューズウィーク日本版

<文科省が学習指導要領の改訂に向けた案を公表した。歴史教科書でしばしば見られるような「偏向」がないことは評価できるが、一方で、大きな疑問もわく。あまりにも「明治維新」偏重にすぎる>


今年の二月十四日、学習指導要領の改訂にむけた「高等学校学習指導要領案」を、文部科学省が公表した。これによって新たな必履修科目として「公共」「歴史総合」「地理総合」が新設されることが確定する。二〇二二年度に入学する高校新入生からあとの世代は、この三つを学んだ上で、従来からあった地理、日本史、世界史、倫理、政治・経済といった科目を選んで履修することになる。


「歴史総合」に関しては、二〇一五年から中央教育審議会の教育課程部会で議論されてきた。指導要領案の表現によれば、世界史・日本史を学ぶ前に「世界とその中における日本を広く相互的な視野から捉え」るような、近現代史の科目である。歴史認識にかかわる議論が、東アジアにおける諸国間の外交問題にたやすく直結してしまう昨今であるから、国内外のさまざまな視線にさらされながら新科目案を作るのは、大変な作業だっただろう。その状況のなかで、歴史教科書でしばしば見られるような、大日本帝国の罪悪を数えたてる傾向に陥らず、反対に過度の自国礼賛にも向かわない、バランスのとれた歴史教育の素案になっている。そのことは評価したい。


しかし、その提供しようとする近現代史の姿を見てみると、大きな疑問がわくこともたしかなのである。もちろん指導要領であるから、ここで示された構成がそのまま歴史教科書の目次になるわけではない。だが教科書の作成と、文科省による検定の基準になることを考えれば、高校の歴史教育に与える影響は、決して小さくない。


指導要領で示している内容は、AからDまでの単元で構成されているが、総論や生徒自身の考察を指導する単元と節を省いて、通史風の内容を述べた節だけを並べると、以下のようになる。それぞれの節で対象とされている時代を括弧内で補足した。


B 近代化と私たち


(2)結び付く世界と日本の開国[十八世紀〜十九世紀前半]


(3)国民国家と明治維新[十九世紀後半〜二十世紀初頭]


C 国際秩序の変化や大衆化と私たち


(2)第一次世界大戦と大衆社会[第一次世界大戦〜一九二〇年代]


(3)経済危機と第二次世界大戦[世界恐慌〜サンフランシスコ講和会議]


D グローバル化と私たち


(2)冷戦と世界経済[一九五〇年代〜一九六〇年代]


(3)世界秩序の変容と日本[石油危機以降]


全体の時代区分として目をひくのは、「明治維新」の存在感が大きいのと、一九四五年を歴史の転換点とすることに対する拒絶である。後者に関してはこれまで、日本史はもちろん世界史の教科書も、第二次世界大戦の終了・国際連合の発足・冷戦の始まりに注目して、一九四五年で章を分けるのが普通だった。単元Dで冷戦体制の時代と、冷戦終了後のグローバル化の時代とをまとめて「グローバル化」と概念化するのも、きわめて特異な理解だろう。ただこの点はあまりにも奇妙なので、CとDとの時代区分が教科書で踏襲されることはないと予測される。


しかし、問題なのは前者、「明治維新」が登場する単元Bの(3)節である。「明治維新」を王政復古による新政府の発足のことと捉えるか、より広く、徳川末期の政治運動から近代国家としての制度的確立までの過程と考えるかについては、さまざまに議論がある。だがいずれにせよ、せいぜい二十年ほどに過ぎない一国内の事件が、ここだけ節の題目に挙がっているのは、あまりにも「明治維新」偏重ではないだろうか。Bの(3)が扱う時期に、西洋諸国においてデモクラシーの発展が見られ、日本でも憲法制定と国会開設が実現したことを考えるならば、(3)の題目は「立憲体制と国民国家」 ――指導要領案の説明文にはこの表現が見える――とすべきではなかったか。


Bの(3)節の「内容の取扱い」にさいして配慮すべき事項を述べた箇所には、「人々の政治的な発言権が拡大し近代民主主義社会の基礎が成立したこと」とある。この指導要領案の歴史観では、世界史的に「近代民主主義」は、十九世紀後半になって「国民国家」の確立の上に成立したことになっており、「18世紀後半以降の欧米の市民革命」も、Bの(3)との関連でとりあげるように指定されている。明治時代に西洋の立憲主義を受容した日本についてはともかく、世界史に関する理解としては、大きな欠陥を含んではいないだろうか。


こうした「国民国家」と「民主主義」との関係づけにもほの見えているのだが、この指導要領案を貫いている歴史の見かたは、徹底した経済中心史観である。たとえば単元Bの(2)の内容で最初に挙げられているのは「18世紀のアジアや日本における生産と流通」であって、欧米における市民社会の確立やアメリカ・フランスの革命ではない。第二次世界大戦の原因として「経済危機」を重視することや、冷戦とグローバル化とを一緒にしてしまうところにも、経済にしか関心がないような気配がある。


この指導要領案の作成にあたって影響力をもったと思われる、中央教育審議会の教育課程部会「高等学校の地歴・公民科科目の在り方に関する特別チーム」の第三回会合(二〇一六年二月十六日)の配布資料には「基軸となる問いに着目した「歴史総合(仮称)」の構成イメージ(たたき台案)」というカラーの図があり、文部科学省のウェブサイトで公開されている(1)。


この図は、「歴史の転換」を理解するための「基軸となる問い」を、分野別に並べて示したものである。そして同時に「歴史への転換の関わりの深さ」を着色の濃淡で示しているのだが、「経済に関する諸問題」がもっとも関わりが深いとされ、政治、国際社会、社会・文化と進むに従って、浅いものと位置づけられている。近代政治原理や市民社会の確立に関する事項が軽視もしくは無視されてしまうのも、この図からすれば当然であった。


【参考記事】文部省教科書『民主主義』と尾高朝雄


もちろん、資本主義の発展や経済のグローバル化が、歴史の動きに大きな影響を与えるのはたしかであろう。だが指導要領案の書きぶりは、もし「国民国家」や「大衆化」も経済的要因を重視して理解するならば、人間生活のほかの諸要素をすべて経済に従属したものと考える、完璧な経済決定史観になってしまう。なぜか明治維新が大好きな唯物史観の持ち主。そんなキャラクターが、文書の背後から浮かびあがってくるような気もする。


「内容の取扱い」について配慮すべき事項のうちには、「客観的かつ公正な資料に基づいて」という一節がある。だがこれは、言葉がぎこちないだけで、実際には「より信頼できる資料に基づいて」というニュアンスを示しているのだと思いたい。歴史のまっとうな学習においては、ある資料の内容が「客観的」か否かについての見解が、常にさまざまな批判にさらされるはずである。複数の情報源のなかから、より信頼できるものを吟味し選びだす作業が、歴史を通じてのメディア・リテラシーの教育という性格ももつだろう。


この「歴史総合」指導要領案の全体においては、過去の歴史についての知識を身につけるだけではなく、「多面的・多角的な考察」や「よりよい社会の実現を視野に課題を主体的に追究、解決しようとする態度を養う」ことが、目標として強調されている。そうであるならば、一つの事件について異なる内容を示す複数の資料を生徒に見せ、どちらがより信頼性が高いと判断できるか、その根拠は何か、といった議論を教室で展開することも重要になるはずである。選択課目の「日本史」「世界史」よりも内容が絞られているから、そうした余裕もできるだろう。


歴史を動かすものはひたすら経済であって、政治の活動や思想・文化が及ぼす影響力はそれよりもずっと低いと宣言するかのような、この指導要領案の構成には大きな疑問を抱かざるをえない。しかし、これを極論に近い「一つの歴史観」として紹介し、その妥当性をめぐって高校生に議論させるための素材にすることも可能だろう。そう考えるなら、大胆な授業運営のためのプランとして、それなりの意味をもっているのかもしれない。


[注]


(1) http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chukyo/chukyo3/062/siryo/__icsFiles/afieldfile/2016/03/09/1367885_6.pdf


苅部 直(Tadashi Karube)


1965年生まれ。東京大学大学院法学政治学研究科博士課程修了。専門は日本政治思想史。著書に『光の領国 和辻哲郎』(岩波現代文庫)、『丸山眞男』(岩波新書、サントリー学芸賞)、『鏡のなかの薄明』(幻戯書房、毎日書評賞)、『「維新革命」への道』(新潮選書)、『日本思想史への道案内』(NTT出版)など。


当記事は「アステイオン88」からの転載記事です。



『アステイオン88』


 特集「リベラルな国際秩序の終わり?」


 公益財団法人サントリー文化財団


 アステイオン編集委員会 編


 CCCメディアハウス




苅部 直(東京大学法学部教授)※アステイオン88より転載


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