夫の収入が3倍に! タワマンセレブ妻となったが、ワンオペ育児でママ友からも孤立

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2018年08月21日 18:03  サイゾーウーマン

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『わが子に会えない』(PHP研究所)で、離婚や別居により子どもと離れ、会えなくなってしまった男性の声を集めた西牟田靖が、その女性側の声――夫と別居して子どもと暮らす女性の声を聞くシリーズ。彼女たちは、なぜ別れを選んだのか? どんな暮らしを送り、どうやって子どもを育てているのか? 別れた夫に、子どもを会わせているのか? それとも会わせていないのか――?

第18回山下みゆきさん(仮名・38歳)の話(前編)

「急性アルコール中毒で救急車で病院に運ばれたり、眠れなくなったり、食べられなくなったりして、2週間で6キロ痩せたんです。そのときの心のよりどころは、子どもだけ。でも、その子どもも安らぎを与えてくれるというわけではなくて、かわいいけれども、すごく大変でした」

 そう話すのは、かつて湾岸のタワーマンションで子育てをしていた、山下みゆきさん(仮名・38歳)。彼女は今、小学6年生の男の子を育てながら、フリーライターとして活躍している。セレブな生活をしていた彼女はなぜ、別れた後、ライターになったのか?

■学生のノリを維持したまま、家族になった

――まずは元夫との出会いと、彼の人となりを教えてください。

 大学3年のとき、彼と都内でばったり再会しました。書店で『美術手帖』(美術出版社)を立ち読みしてたら、彼がやってきて。「あ、お久しぶりです」みたいな感じの再会です。1990年代の大学生って感じですよね。

 音楽サークルに2カ月ほど在籍したときの、2つ年上の先輩が彼。当時、大学を卒業したばかり。就職はせず、IT系のバイトをしながらバンドをやっていました。「今度CD買いますよ」って言って連絡先を渡したところから、やりとりが始まりました。そして何度か会っているうちに、なぜか付き合ってることになっていました。私は流されやすい性格なので、あまり好みのタイプではないけど、まあいいか――みたいな感じで、ずるずると付き合い続けたんです。

――最初は消極的だったんですね。そんな付き合いだったのに、どうして結婚まで至ったんですか?

 私が大学4年生のときに、彼が私のアパートに居座るようになって。気がついたら、1年間同棲していたんです。すると、同棲に気がついた私の親が口を出してきて、「同棲してるなら結婚しろ」って、毎日毎日電話がかかってくるようになりました。その間に私は大学を卒業、望んでいたサブカル系出版社に就職しました。彼とは、新人社員だったその年のうちに、入籍しました。結婚式は挙げなかったですけどね。

――ずいぶん早い結婚だったんですね。

 だけど、2人とも年相応ですよ。学生のノリを維持したまま、家族になったんですから。当時、彼はITベンチャーの一員として、世界を変えていこうという熱意にあふれていました。一方、私は私で、サブカルで世界を変えてやるぐらいの気概を持っていました。お互いに「社会にカウンターパンチを」ぐらいのことを思っている若者だったんですよ。

――20代のお似合いのカップルという感じで、うらやましい。

 ところが、彼がまもなく大手出版社の正社員になったところから、関係性が変わっていったんです。彼が手がけるのは、雑誌のWeb構築。手取りはそれまでの20万円から40万円へと倍増しました。さらに、しばらくして通信大手の会社に移籍したところ、手取りが70万円ぐらいと、さらに跳ね上がりました。彼は大学でインターネットの仕組みについてみっちり勉強していて、データベース構築ができた。それにまあ当時はITバブルの時代ですからね。だから、あっという間に出世したんですよ。一方、私はというと、ずっと20万円のままでした。

――彼の収入が3倍以上になっちゃったんですね。

 そんなことから、2人の間に厳然たる経済格差が生まれました。なのに彼は、「2人の関係は平等だから」って言って、家賃を半分ずつ納めるというルールは維持されたんです。向こうは全然余裕で暮らしているのに、私は本当に毎月つらかった。駐車場代込みで1カ月20万円という湾岸のタワーマンションに、そのころから住むようになっていたので、家賃だけで収入の半分が飛びました。

――子どもは、いつごろ生まれたんですか?

 ちょうどそのころ。2005年に、妊娠していることがわかったんです。担当していた雑誌が休刊になったというのと重なったってこともあって、一度、会社を辞めました。

――タワマンだと、孤立しちゃうんじゃないですか?

 実際、完全に1人でワンオペ育児をしてました。それまでサブカル界隈で楽しくやってたのが、彼の収入によって“湾岸エリアのタワマン奥さん”になったんですよ。もうそこは外国みたいなもの。それでも私、ママ友を作ろうと思って、大好きなソニック・ユースのTシャツを着て公園に行ったりと努力してみたんですが、誰からも話しかけてもらえないんです。

 運良く話せても、「マンションの何階?」って聞かれて。私の方が下の階だったら、そのママさん「ふーん」とか言って、見下されました。階層によって、お値段が違うし、ヒエラルキーがあったんです。もちろん乗ってる車も、それによって違いました。あっちは外車なのに、こちらは国産のコンパクトカーでしたからね。

――妊娠したり子どもが生まれたりっていうことで、夫婦の関係性は変わったんですか?

 彼は金銭感覚以外、何も変わらない。子どもはできたし、湾岸エリアの高い家に住めるし。妻が仕事を辞めるからお金の面で少し負担だけど、でも毎月70万円もらってたら、そんなの痛くもかゆくもないって感じですよ。一方、私は変わっていました。子どものことと自分の敗北感でいっぱい。子どものケアや炊事洗濯掃除ぐらいは、しっかりしていましたけど……。

――彼は毎日、何時ごろ、帰宅していたんですか?

 夜の11時ぐらいに帰ってきて、朝の7時ぐらいには出て行くみたいな感じ。休日は家族に充ててくれていたんですけど。平日は完全にワンオペです。別に飲み歩くこともなく、どこかに遊びに行ったり、ギャンブルをすることもなく、本当に普通の真面目な人でしたが、とにかく忙しかった。

■もうこの人は同志じゃないんだって気づいた

――でも、日中ワンオペでずっと子どもと一対一だと、そりゃ追い詰められますよね。子どもを保育園に預けて、出版業界に復帰するっていうのは考えなかったんですか?

 在宅でできる仕事からと思って、1回は引き受けました。化粧品のリリース書きの仕事。だけどそれで挫折しちゃったんです。

――なぜ挫折したんですか?

 今だったら、資料はPDFで送ってもらえますけど、06〜7年当時はまだバイク便だったんです。引き受けた仕事の資料が届かなくて、期日までに提出できないという状況に陥っちゃって。幼子がいるので、バイク便の会社まで私が取りに行くこともできない。それで彼に電話して、「お願いだからピックアップしてきて」と頼んだんです。すると彼、なんて言ったと思います? 「絶対嫌だ。そんな5万円ぐらいにしかならない仕事なんか、断ればいいだろ!」って、電話口で怒って怒鳴るんです。

 同じライターの方ならわかると思いますけど、ちょっとしたリリース書きで5万円って破格じゃないですか。そこで私は、彼との間に、金銭感覚のズレができていることにはっきりと気がつきました。ああ、もうこの人は同志じゃないんだって。それで私、ガッカリしちゃって。そのせいもあって、私にライターなんて無理だって諦めてしまったんです。

――なるほど、それは傷つきますよ。ところで、子どもに対して、元夫の態度はどうでしたか?

 それに関しては問題なし。すごく優しかったです。家にいるときは、ちゃんと見てくれてたし。ただ、なんですかね、“イクメンしてます”っていうのをネットに載っけて、たくさん「いいね!」ってついてるのを見るたびに、「死ねばいいのに」って考えが浮かびました(笑)。

 だって、こっちは誰からも褒められないじゃないですか。向こうはちょっとやったくらいで、これだけ褒められるのかって。それどころか、こちらは責められたりするわけです。子どもにちょっと手を出して泣きだしたりしたら、かわいそうって。

――そうやって、だんだんと気持ちが離れていったんですね。

 当時、私は彼に自由時間を提供しようと思って、実家に帰っていました。というのも彼は当時、検索エンジンで世界的に有名な某社の入社試験を、何度か受けていたんですよ。2回声がかかって2回とも落とされて、「もっと勉強をしなきゃいけない」みたいなことを言ったので、じゃあ時間を作ってあげないとな、って思っていたんです。それが私なりの気遣いでした。

(後編へつづく)

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