<ワイドショーの獲物、嫌われセレブに飛び付く「私」の心の奥を精神科医が診察する>
嫌われるセレブには、2つの共通点がある。まず、羨望をかき立てること。羨望とは「他人の幸福が我慢できない怒り」と言ったのは、17世紀フランスの名門貴族、ラ・ロシュフコーだ。嫌われるセレブを見ているとまさにそのとおりだと思う。
例えば、08年と16年の米大統領選で2度も敗れたヒラリー・クリントンは「全て」を持っていた。大統領夫人でありながら自身も弁護士として活躍し、その後上院議員に当選した。オバマ前米政権で国務長官も務めるなど、早くから「女性初の米大統領」の有力候補と目されていた。
それだけでなく、ハンサムな夫とかわいい娘に恵まれ、莫大な富も築いた。夫に女性スキャンダルが絶えなかったのが玉にきずだが、裏返せばそれだけ夫が魅力的ということだろう。
このように全てを持っている女性は、羨望の対象になりやすく、特に同性から嫌われる。昨年不倫疑惑が報じられた山尾志桜里衆院議員が嫌われる一因も、羨望をかき立てることではないか。
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「全て」を持っている女性
何しろ山尾氏は、ミュージカル『アニー』で主役を務めた美貌の持ち主だ。その上、東大法学部卒で司法試験に合格。検察官を務めた後、衆議院議員に当選した。国会では待機児童問題について安倍晋三首相を厳しく追及し、一躍名をはせた。民進党結成時には政調会長に抜擢されてもいる。
輝かしいのはキャリアだけではない。東大の同級生と結婚し、かわいい息子にも恵まれた。これだけ何でも持っていたら、不満などなさそうに見える。だが9歳年下のイケメン弁護士との密会が報じられたのだから、夫婦生活がうまくいっていなかったのかもしれない。実際、夫とは離婚協議中で、山尾氏が相談していた弁護士が当の不倫相手だったとも報じられている。
唯一その点では同情に値する。それでも、不倫相手が9歳年下ということに羨望を抱いているオバチャンが私の周囲には多い(私自身も含めて)。
もっとも、羨望は陰湿な感情であり、自分の心の中にあることを誰だって認めたくない。当然、意識化されにくい。そのため、羨望を抱いている人は、「子供がいるのに、不倫なんかしてけしからん」「男と密会していたら、国会議員としての勤めを果たせない」などと正義を振りかざしてたたき、嫌悪感をあらわにする。
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このように胸中に潜む羨望ゆえに誰かを嫌い、たたくのは、自分がやりたくてもできないこと、あるいは我慢しなければならないことを、嫌悪や攻撃の対象が難なくやってのけるからだ。
まず、40歳を過ぎた女性が9歳年下の男性に思いを寄せても、相手にしてもらえない場合がほとんどだろう。もはや女性として見てもらえない場合だってある。いくら不倫願望を抱いても、どうにもならないことが多い。たとえ相手が自分に好意を抱いてくれても、互いに既婚で、それなりの社会的地位にあれば、発覚したときに失うものがいかに大きいかを考えて、二の足を踏むはずだ。
ところが、こうしたハードルを山尾氏はやすやすと乗り越えたように見える。報道が事実とすれば、性的快楽を享受していることになるが、この手の「他者の享楽」は、羨望をかき立てる。特にやりたいことをやれなかったり、我慢しなければならなかったりして欲求不満にさいなまれている人ほど、他者の享楽を目の当たりにすると、怒りと反感を覚えて、嫌悪する。
同じ理由で嫌われているのが堀江貴文氏だ。堀江氏は東大文学部に入学した頭脳の持ち主で、会社を設立して巨万の富を築き、「IT長者」ともてはやされた。六本木ヒルズに住み、若い美女と浮名を流し、メディアにもたびたび登場した。球団買収計画の失敗、総選挙での落選、証券取引法違反容疑による逮捕と服役などの挫折はあったものの、出所後は再び脚光を浴び、ロケット開発にも乗り出している。
要するに自分の欲望に忠実で、やりたいことをやっている。もちろん、それができるだけの財力もあるわけで、「堀江氏のように生きたい」と憧れる信奉者は一定の割合で存在する。だから、著書が売れるのだろう。
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その半面、堀江氏を嫌う人も少なくない。嫌う人の胸中には、「他者の享楽」への羨望が渦巻いている可能性が高い。それを認めたくないからこそ、堀江氏のようになりたくても、なれない悔しさに歯ぎしりしながら、嫌悪感をあらわにするのではないか。
最近、女優の剛力彩芽さんとの熱愛で話題になった、ファッション通販サイト「ZOZOTOWN」を運営する前澤友作社長も、同様の理由で嫌われているように見える。
前澤氏は株式時価総額1兆円企業「スタートトゥデイ」を一代で築いたやり手だ。大富豪だからこそ、プライベートジェット機で剛力さんと一緒にロシアまで行き、サッカーワールドカップ(W杯)決勝戦を現地観戦できたわけで、それだけで羨望の対象になり得る。しかも剛力さんのような若くて美しい人気女優をモノにしたのだから、羨望をかき立てるのは当然だ。
前澤氏とかつて交際していた紗栄子さんも嫌われていたが、その最大の原因も羨望だろう。何しろ、彼女はプロ野球のダルビッシュ有投手の前妻だ。元夫がメジャーリーガーで交際相手も大富豪と、同性から見れば羨ましい限りだ。そういう男性から選ばれるだけの美貌の持ち主であることも、羨望をかき立てる。
「きれいは汚い、汚いはきれい」
このように、嫌われるセレブは共通して羨望をかき立てる。私たちが誰かを嫌う場合、根底に羨望が潜んでいるのではないかと自分自身の心の奥底をのぞき見るべきだ。
そうすると、「嫌い」という気持ちのどこかに「好き」という気持ちが入り交じっていることに気付くのではないか。シェークスピアの悲劇『マクベス』の中で3人の魔女が「きれいは汚い、汚いはきれい」とつぶやくが、この台詞に倣えば「好きは嫌い、嫌いは好き」ともいえる。
フロイトも精神分析の経験から、愛がその反対物の憎しみに転換されることがあるのに気付き、「愛と憎しみは、同一の対象に向けられる場合が多い」と述べている。
「そんなはずはない」という反論も多いかもしれない。だが、週刊誌でよく組まれる「好きな〇〇、嫌いな△△」という特集では、「好きな〇〇」と「嫌いな△△」の上位ランキングに入る人物がしばしば重なっている。こういう人物には、「好きは嫌い、嫌いは好き」という言葉どおり、愛と憎しみの両方が向けられる。少なくとも、「好きでも嫌いでもない」と無関心でいられる対象ではない。
もちろん、セレブに対して初めから愛と憎しみのような激しい感情を抱くことはまれだ。むしろ、「あの人のようになりたい」と憧れていたが、逆立ちしたってなれないと思い知らされたり、「あの人はあんなに幸福そうなのに自分は不幸」と感じたりして怒りを覚え、憧憬が嫌悪に転換する場合が多いかもしれない。
ただセレブと呼ばれるほどの人は皆、多かれ少なかれ羨望をかき立てるが、セレブが全員嫌われるわけではない。嫌われるセレブには、もう1つの共通点がある。自分が他人の羨望をかき立てていることに無自覚で、鼻持ちならない印象を与えることだ。
前澤氏は、超高級車や美術品などの富の象徴をソーシャルメディアで発信し、剛力さんがアップした笑顔の写真を撮影したのは自分だと公言した。「俺のものだ」と自慢したいのだろうが、羨望をかき立てていることに無自覚だ。
同様の無自覚さは、紗栄子さんにも、逮捕前の堀江氏にも認められた。ヒラリー・クリントンの他人を小バカにしたような話し方も、山尾氏の開き直った態度も、本人は無自覚なのだろう。だからこそ、よけいに反感を買い、嫌われる。
前澤氏のように「出過ぎた杭は打たれない、ってなるまで出てしまおう」という心意気を持つことは、成功するために必要かもしれない。だが、「出過ぎた杭」は羨望をかき立てることを自覚して、こういう言葉を口にしないほうが、いらぬ摩擦を避けられる。それが、より大きな成功につながるのではないだろうか。
<本誌2018年9月11日号「特集:『嫌われ力』が世界を回す」>
[2018.9.11号掲載]
片田珠美(精神科医)
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