ジャガー横田さん息子も“特攻受験”――30以上の偏差値アップを狙った、中学受験親子の天国と地獄

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2018年10月14日 19:02  サイゾーウーマン

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サイゾーウーマン

Photo by Photography from AC

“親子の受験”といわれる中学受験。思春期に差し掛かった子どもと親が二人三脚で挑む受験は、さまざまなすったもんだもあり、一筋縄ではいかないらしい。中学受験から見えてくる親子関係を、『偏差値30からの中学受験シリーズ』(学研)などの著書で知られ、長年中学受験を取材し続けてきた鳥居りんこ氏がつづる。

 最近、朝の情報番組『スッキリ』(日本テレビ系)が、ジャガー横田さんご一家の中学受験を密着取材すると発表した。その息子さんが受ける予定の広尾学園「医進・サイエンスコース」は偏差値71。息子さんの7月模試の結果は偏差値41。つまり、7月時点で考えると、あと6カ月で偏差値を30上げなければいけないことになる。

「あと6カ月で偏差値30アップ」という点について、世間では「さすがに難しい」といった反応が多いようだが、実際のところ、そういうケースは多いのだろうか? ということにも触れながら、今回は「実際の偏差値より、かなり上(30ポイント以上)の学校にチャレンジする受験」について綴ってみよう。

 中学受験の業界用語では、こうした学校を狙うことを、「チャレンジ受験」あるいは軽い“ディスり”を含む「特攻受験」と呼ぶ。「合格は不可能」ということを暗に仄めかしているわけだが、現実的には、こういう受験は少なくないように筆者は感じている。

「チャレンジ受験」するケースには、2つある。

 1つは、子どもの意志(時には親の理想)を尊重し、合格そのものよりも、夢に向かってチャレンジさせることに意味を持っているケース。もう1つが、この“夢”が持つ“牽引力”に期待を寄せているケースだ。

 前者は、親がその子の今後の人生を考えた上で、あえて挑戦させているように思う。結果はどうであれ、夢を持ち、それに向かってチャレンジすることの大切さを、中学受験という失敗してもいい受験で、身を持って経験させておきたいという親心がそれであろう。

 後者には、こういう意図があると思っている。すなわち、A校という高い目標を持つと、偏差値を伸ばすために努力を重ねる。それによって、本来の実力ならば得られなかったであろう、(A校よりは偏差値の下がる)B校の合格を、完全に手中に修めるという結実を生むのである。巷でよく言われる「目標を高く持つ」という効果がこれであろう。

 中学受験は一発勝負ではあるのだが、複数回、受験できるというメリットがあるので、たいていの子たちが、偏差値的に「チャレンジ校」「適正校」「押え校」という形で受験スケジュールを組んでいるのが実態である。

 この「チャレンジ受験」、実は意外と成功するので侮れないのだ。ある人気進学校の偏差値は50台後半(日能研偏差値)であるが、今年、実際に入学してきた子の偏差値は、上が60台後半、一番下位が38であったという。実に30ポイントくらいの開きがあるが、学校側に聞くと、毎年、こんな感じなのだそうだ。

 30ポイントもの偏差値の開きをものともせずに、合格を勝ち取る受験を、業界用語で「ミラクル合格」と呼ぶ。この“ミラクル合格者”を学校側はどう感じているかは気になるところだが、

「ミニマムも付いてこられるから、まったく問題ない」

という。つまり、同じ入試問題を突破したのだから、過去の偏差値は関係ないという意味だ。筆者は今回、2つの事例を出して、この“ミラクル合格者”のその後をお伝えしたいと思う。

 1人目は、恭平君のケースだ。恭平君は5年生の時にA学園の文化祭に行き、その展示に魅せられてしまう。A学園は偏差値もトップクラスに高い大人気校で、恭平君は6年初夏の時点でも、A学園には30ポイントくらい偏差値が足りないという、絶望的な状態だったそうだ。

 しかし、恭平君は「A学園に入りたい」という夢を諦めなかった。母の典子さんは覚悟を決め、塾の大反対を押し切り、受験させることに決めたという。そのために、典子さん自らA学園の過去問を徹底的に分析し、自宅ではA学園仕様のオリジナル問題を解かせ、そして、子どもではなく母が、塾にA学園の過去問の解き方を習いに行くという、なりふり構わぬ受験体制を取ったそうだ。

 さらに、ほかの塾が行っている「A学園対策」にも恭平君を参加させ、できることは全てやったとのこと。当然、A学園にのみ特化した対策のため、もしA学園がダメだったら、ほかも押し並べて不合格になる確率は高いと思っていたそうだが、典子さんは、「息子が『ここに行きたい!』と言うのであれば、その夢のために、親子一丸となって全力で頑張るということが、一生に一回くらいあっても良いのではと思った」と言っていた。

 そして母子の念願かなって、恭平君は見事に難関A学園の合格切符を勝ち取った。恭平君はさすがに入学当初、周りのあまりのレベルの高さに面食らったそうだが、彼自身が常にこう考えて、日々の授業に向き合ったそうだ。

「自分は最下位で入学させてもらった。つまり、A学園の学力レベルに到達していないので、努力をし続けない限りは、いつでも成績不振で放校処分になる」

 危機感を常に抱いていると、プレッシャーに押し潰されてしまうのではないかと心配になるが、恭平君は筆者に「僕はA学園から『さよなら』って言われる人生にはなりたくなかっただけなんです。だって、A学園の部活に参加できなくなるのだけは避けたかったから(笑)」と、胸の内を教えてくれた。

 恭平君は結果、成績不振による放校処分にもならず、むしろ6年間学力上位者として過ごし、現在、超難関大学に通っている。

 一方で、隆一君が辿ったケースもお知らせしよう。母との二人三脚で難関校のS学園にミラクル合格者として入学したまでは同じ。ここからが違ったのである。

 S学園もかなりレベルが高い学校のため、授業の進度は相当速い。難関校はどこも同じなのだが、中学では「内容よりも量」という指導がされるため、宿題も毎日、大量に出されるのである。

 この段階で、やるべきことをきちんとこなす自己管理力がない者には、相当、厳しい現実が降りかかってくるのだが、隆一君には荷が重すぎた。いわゆる、“燃え尽き症候群”のようになってしまったのだ。

 S学園に合格することが“目標”になり、その目標達成後の未来が思い描けなくなったのだと思われる。毎週のように小テストがあり、クリアできない者は補習に呼ばれという日々に、隆一君は疲れ切ってしまったのだという。

 隆一君は、筆者に当時の心境を明かしてくれた。

「入学当初から授業には付いていけず、勉強はやるべきことだらけ。『あれができない』『これもできない』って言われる毎日で、もう全部が嫌になっていました。この勉強が未来にどうつながるのかなんて、まったく考えられず、当時はただ、逃げたい一心でしたね……」

 隆一君は併設高校への進学基準を満たすことができず、結果、中3で公立中学に転校した。その後、彼は都立高校から、第一志望の国立大学に入学したのだが、中学受験を振り返ってこう感じるという。

「たとえ、偏差値がかけ離れていても入りたい! っていう意志があるのであれば、僕のように不可能はないと思います。ただ、難関校というのは、“合格”が終わりではなく、さらに深い学びを究めるという“目的”があってこその場所。当時の自分はそこまで考えることができなかったんですよね……。偏差値うんぬんよりも、そこまで考えられるかどうかの方が大事かもしれません」

 筆者は、「ミラクル合格」を果たした子たちのその後を多数、取材しているが、言えるのは「合格することだけ」を目標にすると、その後の道は険しく「そこで何をしたいのか、何をするべきなのか」を考えて行動に移せる子の合格であれば、何ら問題はないという自論を持っている。中学受験生の親としては、わが子がその“何をしたいか、何をすべきか”をしっかり持っているかどうかを見る目が必要になるのかもしれない。
(鳥居りんこ)

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