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障害者用ハンドサイクルにかける夢

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2012年09月13日 07:10  Excite Bit コネタ

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Excite Bit コネタ

写真体験教室の一環としてツーリングにでかける様子。先頭はこぶたろうさん。
体験教室の一環としてツーリングにでかける様子。先頭はこぶたろうさん。
自分の寿命が二十歳までだと宣告されていたことをこぶたろうさんが知ったのは成人式の日のことだった。

スティーブ・ジョブスは17歳の時から毎朝鏡を見つめる度に「もし自分が明日死ぬとしたら、今日これからすることをするだろうか」と自問してきたという。

こぶたろうさんこと神原史直さんも成人の日以来、毎日同じような思いで一日一日を生きてきた。

神原さんは先天性の疾患を持って生まれた。二分脊椎症と呼ばれるその病気は脊髄が脊椎の外に露出してしまうもので、神原さんの場合は膝から下の知覚が麻痺していた。

しかし生まれつきだったゆえ不便を感じることはあっても、その体を当然のように受け入れて来た。思春期に心ないイジメを受けることもあったが、スポーツなどにも積極的に取り組むような青春を送ってきた。

成人式の日、親に「これまで育ててくれてありがとうございました」と挨拶をすると、一瞬の逡巡の末母親から医者に「20歳まで生きることはまずないでしょう」と言われていたことを告げられた。

神原さんの生まれた1968年当時、この難病を持って生まれて20歳まで生きた人はいなかったという。そして神原さんが3歳のとき親御さんもそのことを覚悟するように言われた。

両親は毎晩神原さんが寝りにつく度「明日の朝、起きてこないのではないか」と涙し、翌朝起きてくるのをみては「今日もまた生きていてくれる」と涙したという。

思いもかけなかったその言葉を聞いた神原さんは両親への感謝を深め、その思いに応えるためにも1日24時間で完結する生き方をしようと心に決めて以来、24年間実践してきた。

その神原さんがハンドサイクルとであったのは39歳の時だった。ハンドサイクルとはペダルを足で漕ぐ代わりに、ハンドル部分に取り付けられたクランクを手で回す手漕ぎ自転車だ。2008年よりパラリンピックの正式種目にもなっている。

初めて乗って風を切って走った瞬間、神原さんは「これだ!」と思った。そしてハンドサイクルで日本一周がしたいという強い衝動に駆られた。

常に完全燃焼して生きる神原さんはすぐに販売店訪問のアポを入れ、自分の体にあったものをオーダーし、そしてハンドサイクルの届いた3日後にはあるレースに参加する。さらに翌週には限界に挑戦すべく京都大阪間の往復100kmを12時間かけて走破し、間を空けずに日本一周へと旅立つ。出発にあたり名前が欲しいと考えつけた旅名は「こぶたろう」だった。

二分脊椎症では腰に脊髄髄膜瘤と呼ばれる瘤ができることが多い。神原さんの瘤は中でも大きく、自らそれをトレードマークと考えたのだ。

仕事の合間を縫い、連休などを利用し続け、2010年3年2ヶ月の歳月の末、こぶたろうさんは単独分割での日本ならびにグアムの一周に成功する。

その大きな夢の叶ったこぶたろうさんは今新たな目標に向かって進み始めている。それは全国47都道府県においてのハンドサイクル体験教室の実施することだ。

ハンドサイクル教室は元々あるNPO法人によって東京と岡山で行われていた。3年前よりその手伝いをしていたこぶたろうさんは体験教室を通じて始めは内向的だった子供たちの目がプログラムを通じて輝いていくのを見てきた。
そしてより広く多くの障害者たちにハンドサイクルを体験したいと思って47都道府県での体験教室の実施を日本一周に次ぐ自らの目標と課した。

しかし日本一周を遂げたとはいえ、こぶたろうさんとて不自由なく暮らしているわけではない。こぶには、24時間中激痛が走っているという。両膝は水が溜まりやすく、踵には血が溜まりやすく、両肩は慢性の亜脱臼状態だ。普通なら寝たきりでもおかしくないような状態にも関わらず、人の役に立ちたいという。

「自分の人生を振り返ってみると20年ごとに大きな節目があった気がします。始めの20年で親からもらった寿命を全うしました。次の20年では日本一周という夢を叶えることができました。次の20年では人の夢を叶える手伝いをするのが自分の役割だという気がするんです」

表舞台に立つのは得意ではないというこぶたろうさんは、裏方として全国47都道府県からの開催場所候補の情報を集め、必要に応じて現地にコース視察に赴くという仕事を買って出ている。

時に尼崎の自宅から片道11時間かけて自分で運転し九州まで行くこともあるという。すべて手弁当で行っている。彼の情熱を源は一体何なのだろうか。

「ハンドサイクルの普及というよりも、ハンドサイクルによって障害者が自らの可能性に気づいていくことに興味があるんですよ」

こぶたろうさんはある体験教室で、一人の女性がプログラムを通じ、徐々に表情が変わっていくのに気づいた。

「まさか私が自転車で走れるようになるなんて。風を切るってこういうことなんですね」と話す女性の顔は紅潮していた。そして一日が終わると「自信がつきました。何か違うことにも挑戦したくなりました」と言って帰っていった。

ハンドサイクルを通じて自分と同じように障害を持つ人が自らの持つ可能性に気づき、夢を持つことができるようになる手伝いをしたいと自らを顧みず全身全霊をかけて取り組んでいる。

「私はこれまで色々な人に生かしてもらってきましたから、命の大切さを痛感しています。限られた時間の使い方としてこれからは人の夢を叶えることのお手伝いができればなと思っています」

こぶたろうさんは公園、河川敷、学校など自動車が侵入することがない体験教室が実施できる全国の会場情報を募集している。その他ボランティアの申し出も含め、この活動をサポートしたい人は是非気軽に問い合わせ(mail: kobutarow@yahoo.co.jp )をして欲しいとこぶたろうさんはいう。

1日1日をやりきる生き方。私たちはどう生きるか。
(鶴賀太郎)
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