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2019/10/11 23:31 配信のニュース

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2019年10月11日 23:31

  • 当時米ソは冷戦で憎み合い、宇宙開発も国威を示す競争と言う背景があった。しかし宇宙開発は全人類的視野で行なうべきものである事は、両国とも分かっていた。その意味でも歴史的計画。ご冥福を。
    • 2019年10月12日 12:09
    • イイネ!22
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  • この惑星の住人は赤の他人のために泣くことができる。ただ、それは送られる側にとっては喜ばしいことなのかもしれない。このろくでもない、すばらしき世界。
    • 2019年10月12日 09:00
    • イイネ!17
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  • プラネテスにも同じ名前の人が出ていましたね。冷戦時代の84年には朝日新聞の連載インタビュー「ソ連人の米国観」に登場し「宇宙レベルで可能だった協力が、地上でできないはずはありません」など
    • 2019年10月12日 00:40
    • イイネ!17
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  • 再び宇宙(そら)に帰っていったのだなあ。
    • 2019年10月11日 23:41
    • イイネ!15
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  • 軍人の使命とは言え人類初の命懸けの偉大な足跡を残した正に人類の英雄。今後は天より人類の平和と発展を見守って欲しい。
    • 2019年10月12日 11:32
    • イイネ!8
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  • 体は滅しても、覚えている者たちが滅せぬ限り、永遠ならん… 宇宙を見上げる。
    • 2019年10月12日 05:33
    • イイネ!7
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  • (´ω`)当時の技術で船外に出るのは命懸けやったらしい。そんな過酷な環境を経験しながらも85まで生きていられたのは凄いことなんやな・・・
    • 2019年10月12日 10:33
    • イイネ!6
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  • 人類初の宇宙遊泳は宇宙服の技術がまだ未熟だったせいで指が曲げられずに生還できたのが奇跡だったらしい。ご冥福をー。って宇宙に帰ったのかな?
    • 2019年10月12日 09:25
    • イイネ!5
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  • ロシアの宇宙開発は沢山の表に出なくて無くなった人がいる。死んだまま地球�ϵ�の周りを回ってる人は多くいる。非公開だけど。成功した人だけ発表されるのがロシアだからね。
    • 2019年10月13日 04:39
    • イイネ!3
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  • >米国とソ連の宇宙船が初めてドッキングした・・ この音声記録のLPレコード盤が発売されてたことがある。持ってるけどね・・・
    • 2019年10月12日 12:22
    • イイネ!2
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  • ある意味、今どこに行って何をするより物凄いチャレンジだな。51の俺が小1の頃の話しだし。。
    • 2019年10月12日 10:19
    • イイネ!2
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  • 「米国側の宇宙飛行士らと歴史的な握手を交わした」←冷戦真っただ中にこんな記念碑的な事やってのけてたのか・・・(驚愕)
    • 2019年10月12日 22:00
    • イイネ!1
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