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  • 最期は一人ですからね。
    • 2019年11月25日 18:58
    • イイネ!30
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  • 母の臨終には入れ替わり立ち代わり親族もやってきて、我々もその場にいたが、死の瞬間には、病室に父と二人きりにさせた。”騒々しくて、死ねん”という筆談だったので。
    • 2019年11月26日 07:31
    • イイネ!8
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  • 臨終の際にこども達にいてもらわなければ、なんて思った事無いなあ。主人がいてくれたら嬉しいけど。第一、死にかけてる時にこどもがいるかどうか回りを確認する暇なんか無いと思うなあw
    • 2019年11月25日 11:24
    • イイネ!8
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  • 子供がいても死ぬときに来ないならもっと寂しいでしょ
    • 2019年11月25日 19:36
    • イイネ!7
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  • おそらくわが家系では私が最後になるだろうから死ぬまでと死ぬ時は一人だろうけれど、それは全然なんとも思わないな。ただ、家族が亡くなっていく手続きは全部私か、と思うと面倒だなあ程度。
    • 2019年11月26日 03:03
    • イイネ!5
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  • 死の床で自分中心には考えないかもなぁ。産みの母の死に目にも会わず子供は大丈夫だろうかとは思うかも。自分は親戚が少なく先に逝った人のほうが多いので逝くのは寂しくないからなぁ・・・
    • 2019年11月26日 10:12
    • イイネ!4
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  • 泣いて狂わんばかりの高校生の一人娘を教会の仲間達に託し、自身も泣き苦しみつつ神父に導かれ昇天していった母親は寂しくなかった、とは思わない。次は私の番と覚悟して見てたけど、辛かった。
    • 2019年11月26日 06:01
    • イイネ!3
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  • 死ぬ時は独りでも寂しくない。次に託せた安心感は病死も孤独死も、あらゆる死をも凌駕する。死してなお生き続けるだけだ。親の死に顔を覚えているだろう。自分の終い方も導かれるままでいい。
    • 2019年11月25日 21:18
    • イイネ!3
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  • うちの親もそれを言う。毒親化して子供に無視されていて文句たらたらなのに死ぬ時まで悲しんだりしてたら、呪われそうだ。
    • 2019年11月25日 19:01
    • イイネ!3
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  • 最期は独りと言ったって、そこに至るまでが変に長いからツラい。得た知識も、経験も、私の人生の意義すらも、誰にも何も遺せずにまるまる抱えて消えゆくことを、怖ろしいと思った時期があった。
    • 2019年11月26日 09:48
    • イイネ!2
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  • 親と離れて暮らす子供は「死んだら連絡ください」と病院に依頼することも少なくないそうな。どうせ後は死ぬだけだから、世話する気は無いんだと。結婚して子供を産んで育ててこの結果
    • 2019年11月25日 20:21
    • イイネ!2
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  • 言った相手が完治不能の不妊だったどき、言った人はどう弁解するわけ? 死ぬまで嫌われても文句いえないぞ。安易に他人に不安を与えるな。
    • 2019年11月26日 10:53
    • イイネ!1
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  • 私は一人でいいよ。火葬して夫と同じお墓に入れてくれれば十分。難しいなら委托する。
    • 2019年11月26日 02:20
    • イイネ!1
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  • 日々生きていたって寂しいことは多々ある。もう慣れた。
    • 2019年11月25日 19:52
    • イイネ!1
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