日本でマンガが広がった背景に、どんな「仕組み」があったのか

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2024年10月27日 09:31  ITmedia ビジネスオンライン

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日本で漫画が広まった理由は?

 30代以上の人にとって、マンガと言えば紙の雑誌、紙の単行本であることが当たり前だったと思います。日本の少年少女は、多くの人が、小さなころから、学校、家、飲食店など、ありとあらゆる生活シーンの中で、紙のマンガに囲まれて育ってきました。


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 もちろん、家庭の教育方針でマンガに触れないように育てられた人もいるかと思いますが、それにしても昔は、電車の網棚や道端の古紙交換など、街で暮らしているだけで、マンガというものが目に入るシーンは本当に多かったでしょう。


 なぜ、そこまでマンガがあまねく日本に広がったのか?


 これはさまざまな意見がありますが、いわゆる「再販委託制度」と言われる「再販売価格維持制度(再販制度)」と「委託販売制度」の2つの、書籍流通の制度が大きな役割を果たしました。


 再販制度は、1953年に始まった制度で、書店で販売される書籍の販売価格を、地域の格差なく一定価格で販売するよう定めた制度です。本のみは、独禁法の縛りから外し、ディスカウントを基本的に禁じる制度です。


 委託販売制度については、以下「出版科学研究所」のサイトから引用します。


 出版社・販売会社(取次)・書店の三者での契約に基づき、定められた期間内であれば書店は売れ残ったものについて返品が認められる出版物販売方法。日本の出版物の大半がこのシステムを利用している。メリットとしては、「書店は安心して仕入ができ、さまざまな出版物を積極的に陳列できる」「出版社は多くの書店店頭で現物の本で宣伝ができる」


 本記事では、現在の漫画ビジネスについてお伝えするため、その制度や歴史については、最低限触れるにとどめます。これらの制度についてより詳しく知りたい方は、出版科学研究所のサイトや、『マンガ産業論』(著・中野晴行/筑摩書房)などを参照ください。


●書籍や雑誌を流通させるインフラ


 さて、これらの制度は、昭和の時代に全国の駅や街の単位で小さな書店の経営を成り立たせたり、地方の雑貨屋、スーパーマーケット、駄菓子屋、駅のキオスク、コンビニまで、全国津々浦々あまねく、書籍や雑誌を流通させるインフラとなりました。


 国土が狭く、人口密度と識字率が高い日本にとって、この流通網は2010年代のスマホの普及や電子書籍を含めたデジタルコンテンツの普及までの間、他国に類を見ないレベルで機能し、発展しました。国民が本を気軽に読めるということは、国民の知識を富ませ、娯楽をあまねく届けるということにもなります。国益にも資することでした。


 この中でも特に、雑誌流通という仕組みは、漫画雑誌、特に少年誌から始まった漫画週刊誌を、全国に大量に流通させることを後押ししました。また、この安価な流通費用で広範に雑誌を流通する仕組みに載せ「雑誌扱いコミックス」という少々特殊な扱いで漫画単行本を雑誌と同じルートで流通するようになり、漫画単行本を広く流通させることにつながりました。


 一般の書籍ルートは基本的に書店を対象とする流通ルートですが、雑誌扱いルートでは、書店以外のさまざまな店舗、例えば地方に多い雑貨屋や駄菓子屋など、より広いルートに雑誌を流通します。そのため、このルートに漫画単行本を載せたことで、より広く漫画が広がったということにつながりました。


 さて、この制度をもとに、マンガに限らず書籍や雑誌が全国のさまざまな店舗に広がった日本ですが、その結果、本や雑誌の置かれる棚の前には、大量の読者となるお客さまが回遊することとなりました。そこから漫画雑誌の中にある作品は、立ち読み、購入、回し読みや購読雑誌交換など、さまざまなかたちで子どもたちにマンガを届けられることになりました。


●漫画雑誌を起点に


 1959年の「少年サンデー」「少年マガジン」創刊当初、その価格は30円でした。筆者が子ども時代、1980年頃は170円前後で、週刊少年ジャンプがギネス記録を作った1995年で、そのジャンプが190円でした。この、子どもがお小遣いで買える価格で漫画雑誌が流通したことも大きそうです。


 またその雑誌に掲載した作品を、作品の話数順に再録して販売する漫画単行本も、出現当初は「誰が買うのか?」と問われるような存在ではあったのですが、後の「雑誌で宣伝、単行本で回収」という漫画業界鉄板のビジネスモデルの基礎となりました。


 なお、漫画雑誌の隆盛期よりも古くから、描きおろし単行本で流通した、赤本・貸本というかたちのマンガも、その発展や、手塚治虫をはじめとした多くの漫画家が生まれることに寄与しています。


 ただ本記事では、現在のマンガ流通につながることにフォーカスするという趣旨で、ここで簡単に触れるにとどめます。これも、参考図書として『マンガ産業論』を推薦いたしますので、ご興味あればそちらをご覧くださいと、繰り返しご紹介させてください。


 さて、こうして漫画雑誌を起点に、多くの作品が生まれることとなりました。特に、サンデー、マガジンといった最初の週刊少年漫画雑誌、次いで少女漫画雑誌が生まれたころは、文字通り少年向けの漫画雑誌が主流で、マンガはあくまで子ども向けという位置付けでしたが、戦後の第1次ベビーブームもあいまって、その世代が成長すると、青年誌・女性誌と呼ばれる、20代以降の大人が読むマンガも増えていきました。


●大人もマンガを読む


 1960〜70年代、日本では、大学生がマンガを読むということが、ひとつの社会問題として捉えられていました。「マンガは子どもが読むもの。それを大人が読むなどけしからん」という考え方ですね。この時期、少年誌創刊ブームで多くのマンガに触れた世代が、その後の青年誌創刊や、そこで作品をつくる作家や編集者ともども大人になっていき、マンガの市場が年齢の高い層に広がっていったタイミングでした。


 特に、日本において過去最高に人口の多かった世代、団塊の世代がこのマンガを読みながら大人になっていく層に直撃し、この世代は50歳を過ぎても60歳を過ぎてもマンガを読む人の存在が根強く、以降は大人がマンガを読むことは珍しくなくなりました。


 その大人たちが、本屋のみならず、通勤電車の駅にある販売店で漫画誌を購入するというタッチポイントは、全国津々浦々で巨大な販売や宣伝の一助となり、作品を大人も含めた読者に浸透させたのです。


(菊池健、一般社団法人MANGA総合研究所所長/マスケット合同会社代表)



このニュースに関するつぶやき

  • 再販制度がマンガを広めたみたいに言ってるが、内容が面白くなければ普及しなかっただろ。手塚、赤塚、藤子、石森あたりがいなかったら、今でも新聞の風刺4コマみたいなマンガが主流だったかも。
    • イイネ!5
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