2024年の春闘賃上げ率は33年ぶりの大幅なものでした。ある程度予想できたことですが、そのしわ寄せは中高年に及んできています。
【画像】上場企業の「早期・希望退職」募集状況(出所:東京商工リサーチ)
東京商工リサーチの調査によると、2024年1〜8月における上場企業の「早期・希望退職者」募集は4月23日時点で7104人で、前の年の同時期に比べて急増しています(図1参照)。
●希望退職の「キラキラネーム化」に隠されたもの
最近の希望退職募集の特徴として、「キラキラネーム」化していることと、黒字企業によるものが多いことが挙げられます。
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キラキラネームとは、希望退職募集らしからぬ名称のことです。実際に次のようなものが見受けられます。
・富士通:セルフ・プロデュース支援制度
・博報堂:ライフプラン選択支援制度
・フジテレビ:ネクストキャリア支援希望退職制度
・LIXIL:希望退職プログラム「ニューライフ」
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・スタンレー電気:特別転進支援施策
・大和ハウス:キャリアデザイン支援制度
・リコー:セカンドキャリア支援制度
はっきり希望退職とうたっているのはフジテレビだけで、他は福利厚生制度と見紛うようなものばかりです。しかしこれは欺瞞(ぎまん)ではなく、企業側にとってむしろ、正当な行為であるというメッセージが込められていると考えられます。
希望退職募集が整理解雇への布石であることは明らかです。「整理解雇の4要件」というものがあります。整理解雇(余剰人員を削減するための解雇)が適法であるためには、
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1. 必要性:人員削減をすることが必要であること
2. 解雇回避努力:解雇以外のコスト削減努力を十分に講じたこと
3. 人選の妥当性:解雇の対象者が道理的な基準で決められていること
4. 十分な協議:解雇対象者や労働組合などと誠実かつ十分に協議したこと
が必要であるという基準です。これらは法律として制定されているわけではありませんが、裁判例から確立しています。
希望退職で退職者が予定人員に達しなかった場合、解雇回避努力を尽くしたとして、次の段階で整理解雇に踏み切ることは十分に予想されます。整理解雇になると割増退職金や再就職支援などの優遇措置は受けられません。どちらが有利であるかは明らかです。
しかしそうであるからといって、希望退職募集が解雇や脅しになるわけではありません。希望退職は、働く人と会社が合意した上で労働契約を解消する「合意解約」か、働く人が自らの意思で会社を辞めるという形を取る円満なものです。解雇とは異なり、会社側が一方的に契約を解消するわけではありません。
キラキラネームの希望退職募集は、「悪いことをしているわけではない」という、企業側の信念の表れでしょう。
●なぜ黒字なのに希望退職を募集するのか
もう一つの特徴は、黒字企業によるものが多いことです。東京商工リサーチの調査によると、募集人数の78%が黒字企業によるものです(図2参照)。
経営戦略には大きく分けて「全社戦略」と「事業戦略」があります。全社戦略は企業が存続していくための戦略です。
どんな産業も永遠に盤石ではありえません。1989年には日本の銀行は、世界の株式時価総額(発行済み株式数×株価)トップ10のうち5社を占める花形産業でした。しかし今では銀行は、世界はおろか日本国内ですら、トップ10には三菱UFJフィナンシャルグループが入るのみです(2024年9月26日時点)。
栄枯盛衰が常である世の中で、企業を残してゆくための戦略が全社戦略です。ブラザー工業がミシンからプリンタ複合機などの情報通信機器へと中核事業を転換させたことや、シャープがホンハイの傘下に入ったことなどがその例です。
一方で事業戦略とは、個別の事業が他社と競争するための戦略です。ユニクロが商品の企画から製造、販売まで一貫して行う「SPAモデル」や、トヨタの「ジャストインタイム」などがその例です。
現在、多くの企業が市場の縮小に悩み、会社存続のための戦略が必要となっています。その中で、求められているのがDXです。中核事業をDXし、そのための人材は外部から調達する。もしくは特定の職種に投資し、社員に必要なスキルを身に付けさせる。その結果、不要となる既存職種の人員を減らすという動きが希望退職ラッシュにつながっていると考えられます。
事業を大幅に変革するのは、赤字に転落してからでは無理です。そのため黒字企業による希望退職募集が増えています。
DXと相性のいい業種は、ある程度限られています。その例が、電機・機械や情報・通信業です。図3をみれば分かる通り、2024年に早期・希望退職を募集した企業の半分近くをこれらの業種が占めています。このことからも、背景には中核事業の転換があると思われます。
●「社長が一番先に辞めろ」の誤解
どこかの会社が希望退職を募集するというニュースが流れると、ネット上には「社長が真っ先に辞めろ」というコメントが殺到しがちです。この主張は必ずしも正論とはいえません。
まず、常に定年までの雇用責任を求めることは、企業に対する一種の買いかぶりです。株式会社は本来、多数の株主の間でリスクを分担することによって、リスクが高い事業に挑むための方便にすぎません。働く人を雇うことは利益を得るための手段に過ぎず、目的ではありません。
ノーベル経済学賞を受賞したミルトン・フリードマンは、企業の唯一の社会的責任は株主の利益を最大化することであり、企業が社会的、道徳的、慈善的な活動に従事することは、本質的に企業の役割を逸脱するものだと言っています。
批判するつもりはありませんが、日本でもメガバンクがタックスヘイブンに子会社を作って租税回避を行っています。この事実をみても、フルードマンの説が正鵠を得ていることが分かります。そのような企業に、利益よりも雇用を優先することを期待するのは幻想です。
私たちは一部の経営者が文化人のように扱われ、経営の分野を超えて人生論を語るのを聞きすぎてしまい、いつの間にか企業を非営利法人と勘違いするようになったのではないでしょうか。
●定年まで勤められない時代をどう生きるか
産業の変遷は今後いっそう加速し、希望退職の対象者になる可能性も大きくなることでしょう。その中で私たちはどういう戦略を取るべきなのでしょうか。
一つはSTEM(科学、テクノロジー、エンジニアリング、数学)です。アンドリュー・スコットとリンダ・グラットンによると、米GoogleのトップマネージャーたちはSTEMの強力なスキルの持ち主です(『ライフシフト2 100年時代の行動戦略』(2021年東洋経済新報社)。
もっともSTEMとて過信は禁物です。コンピュータ科学の学位取得者の失業率は他の分野より高いというデータもあります。Googleのトップマネージャーで特に大きな成果を上げている人々は、STEMのスキルだけでなく、優れたコーチング能力や、聞き上手であるといった人間的なスキルも持っています。
注意すべきは、大企業が希望退職募集を行っているという理由だけで、短絡的にその企業を就職先の候補リストから外すべきではないということです。
大企業を辞めて中小企業に転職したら、賃金は相当な確率で減少します。その代わり、大企業は希望退職に応募した人には、定年まで勤めた場合と同程度の割増退職金を支給します。つまり、定年まで勤めても希望退職に応募しても(現役中に手を付けなければ)、老後資金は同じです。このような措置を、辞めた時期から定年までの橋渡しをするという意味で「退職ブリッジ」といいます。
また、希望退職では専門の再就職あっせん業者によるサービスも提供されます。これによって、個人で再就職を探す場合よりも、高い賃金を得る確率が上がります。
これらのことを考慮すると、少なくとも金銭面では、希望退職に応じることによって失う利益は、想像しているほど大きくないといえます。大企業に就職して、仮に50歳で希望退職募集に応じたとしても、初めから低賃金企業に就職するより、生涯賃金は相当大きくなるはずです。
「寄らば大樹の陰」は今なお有効な選択と言えます。
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