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1980〜90年代の「週刊少年ジャンプ」を代表する漫画家の一人であり、『ウイングマン』などのヒーローものから『電影少女』『I”s』などのラブコメ・恋愛ものまで、幅広い作風で読者を魅了し続けてきた桂正和氏。昨今は『ウイングマン』のテレビドラマ化はもちろんだが、桂氏自身のXでの積極的な情報発信も人気を集めている。
(参考:【画像】電影少女、ラブひな、らんま1/2、H2……90年代少年を虜にした、かわいすぎる「ラブコメヒロイン」たち)
今回、リアルサウンドブックでは、デビュー以来常に漫画界に話題を提供し続けている桂氏にインタビュー。漫画を描くようになった原点から、ヒーローから美少女まで多彩かつ美麗な絵を生み出す手法まで、ロングインタビューで明らかにした。(山内貴範)
はじめは暗い話や切ない話が好きだった
――桂正和先生はコンポがほしくて、賞金目当てに漫画を描き始めたそうですね。10代のころに影響を受けた作品について伺いたいです。
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桂:高校2〜3年生の頃に好きだったのが、あすなひろしさんの漫画です。特に読切に共鳴して、短編をまとめた単行本を買って読んでいましたね。高校生ですから、話の作り方などを分析する力はありませんでしたが、作品から受けた影響は大きいと思います。
――あすなひろし先生のどんな点に影響されたのでしょうか。
桂:ストーリーやセリフ回しというよりは、僕の“感覚”の部分かな。あすな先生の漫画は暗い話や切ない話が多くて、純粋に作風が好きでしたから、漠然と憧れていたと思います。当時描いていた僕の漫画も、担当に鳥嶋(和彦)さんがつくまではそういう作風でした。鳥嶋さんにラブコメを描いてほしいと言われたので、軌道修正した感じですね。
――桂先生のもっとも古い作品は、単行本『桂正和コレクション』に載っているSFものの『ツバサ』で、その後にラブコメ・恋愛漫画の『転校生はヘンソウセイ!?』が制作されました。初めてラブコメを描くにあたり、他の作品の研究はしたのでしょうか。
桂:いや〜、研究はしていないかな。僕はその時から『ウイングマン』みたいなヒーローものの漫画が描きたかったからね(笑)。
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■『デンジマン』のキャラデザに衝撃
――『学園部隊3パロかん』は、『太陽戦隊サンバルカン』をパロディにした戦隊ヒーローものです。戦隊ヒーローは当時からお好きだったのでしょうか。
桂:『ジャッカー電撃隊』でいったん終わっていた戦隊ヒーローが、高校時代、夕方の時間帯に『バトルフィーバーJ』として復活したんですよ。懐かしいな、と思って見ていました。その後に出てきた『デンジマン』がとにかくかっこよかったのです。
――『デンジマン』のどんなところにかっこよさを感じたのでしょう。
桂:デザインやコンセプトが衝撃的でした。5人のスーツが統一感のあるデザインで、スタイリッシュでかっこいいし、斬新に見えました。こういうものを描きたいと思って描いたのが、『ウイングマン』です。
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――『デンジマン』のデザインは『ゴレンジャー』に似ているようで、一線を画しています。
桂:中学生のころから冨田勲さんのシンセサイザー音楽が流行っていて、クラスメイトにも好きな子が何人もいましたね。70年代後半は世間的にも、テクノロジーに対する明るい未来を感じていたと思うので、『デンジマン』もそこを目指していたのかなと。マスクのデザインも額のデンジメカ以外はデジタルっぽい感じがするし。『ゴレンジャー』も画期的なデザインだけれど、『デンジマン』はそれをベースにしつつ、統一感やスタイリッシュさ、整った印象が際立っていますよね。
――『バトルフィーバーJ』は5人のスーツが異なっていたからこそ、その後の『デンジマン』の衝撃も大きかったでしょうね。そういった革新性が『ウイングマン』に影響を与えたことは、想像できます。
桂:『デンジマン』は『ウイングマン』の原型ですよ。ただ、5人揃う戦隊のスタイルで描かなかったのは、僕がリアルタイムで初めて見たヒーローが『ウルトラマン』だからです。『ウルトラマン』『ウルトラセブン』のマインドが強くて、やっぱりヒーローは1人じゃないといけない、という想いがありました。『ウイングマン』は円谷プロ的なものと、戦隊ヒーローのミックスだと思います。
――ラブコメ要素を入れたのは、担当の鳥嶋和彦さんの進言が大きかったのでしょうか。
桂:結構言われるがまま従ったと思いますよ(笑)。疑問や抵抗感は若干あったけど。『ウルトラマン』や『仮面ライダー1号』のような感じが描きたかった。でも、当時の僕にはスキルもなかったし、鳥嶋さんがそう言うのであれば……ということで、あの作風になったのです。
――『ウイングマン』はSF漫画でありながら、ラブコメ漫画の要素を取り入れた作品であり、その後の桂先生の作風を決定づけた作品です。
桂:結局、主人公は変身するし、そんなに恋愛的な感情を描けているわけではないから、構造的には変身ものですよね。当時は個性を出そうと意識していたわけではなかったのですが、結果的に変なもの、良く言えば新しいものができたと思います。
■人間のかわいさを超える絵を描きたい
――『ウイングマン』は1983年〜85年にかけて連載されました。同年代の「ジャンプ」の漫画を見てみますと、1983年に江口寿史先生の『ストップ!!ひばりくん!』、84年にまつもと泉先生の『きまぐれオレンジ☆ロード』の連載が始まっています。執筆に際し、意識された作品はありますか。
桂:他の作品を意識することは、あまりなかったですね。「女の子をもっとかわいく描け」と言われたので、鳥嶋さんは意識していたかもしれないけれど(笑)。そうは言われても僕のできる範囲内で努力するしかないので、絵柄は自分のペースで徐々に進化していったと思います。
――桂先生は研究熱心な方と伺っていますから、他の漫画の動向を意識していたのかなと思っていました。
桂:そんなに『ウイングマン』の頃は強く意識していないし、研究っていうほどの研究はしていないなあ。ただ、僕は漫画のキャラよりも現実の女の子がかわいいと思っていたので、そっちに近づけたいとは考えていましたね。誰かの絵ではなく、人間に近づけたい。人間のかわいさを超える絵を描くにはどうすればいいか…『ウイングマン』と当時から模索していたし、今も同じことは思っていますね。
――『ウイングマン』のアオイちゃんのキャラデザは、肌の露出が多い衣装など、現在の感覚で見ても斬新です。
桂:なんで水着っぽくしたのかは覚えていないのですが、特撮ヒーローの悪役に一人くらい女性の幹部がいますよね。そういう幹部の衣装は、結構肌の露出があったと思う。洋画でも、昔のSF作品に登場する女性の服装もタイトで体のラインの出る感じなので、本能的に思っていたのかもしれません。
――今では減りましたが、2000年代初頭の戦隊ヒーローは敵の幹部に女の子がいるのは定番でしたね。グラビアアイドルが演じていることもありました。
桂:確かに(笑)。
■『電影少女』が“ビデオガール”と誤読された理由
――『電影少女』は1989年から連載開始され、SFの要素を盛り込みつつも、本格的な恋愛漫画になっています。絵柄も一気に変わりましたね。2巻のカバーで、桂先生は読切の『ビデオガール』を機に「絵を壊すことを始めた」「実際の人間の女の子の顔に近づけたくなった」と言っています。ご自身で、絵柄やキャラクター造形などが確立されたと感じたのはいつ頃でしょうか。
桂:絵柄が確立されたとは、今でも思っていないですね。『ウイングマン』くらいの情報量の絵が僕には向いているかなと思うけれど、たまに『ZETMAN』くらい描き込みたくもなる。デフォルメも描きたいし、リアルも描きたいと思ってしまうから、絵柄が定まらない。だから確立はしていません。良い言い方なのかわからないけれど、こういう絵柄にしようと思えばできてしまうので、僕は器用貧乏なのです。
――ところで、『電影少女』は“でんえいしょうじょ”が正しい読み方なのですよね。読切の『ビデオガール』の影響もあるのかもしれませんが、“ビデオガール”だと思っている人は今でも多いのでは。
桂:当時から読み方を編集部に電話で問い合わせる人がいたそうなんですが、適当な編集者が“ビデオガール”と言ってしまい、そのせいで広まってしまったらしいです。本誌には“でんえいしょうじょ”と書いているんだから、そこを確認しろよと思ったけれど(笑)。
――すみません、話を戻します。桂先生の作品でもっともデフォルメが効いた絵といえば、鳥山さんと合作した『さちえちゃんグー!』ではないかと思います。
桂:鳥山さんと合作した時は、本人よりもデフォルメで描きたいと思って描いたんですよ。僕の漫画って、作品の数だけ別々にファンがいてくれるので、結果、ファンの人数が多くいるように見えるので、ありがたいような…。絵柄が作品ごとに変わるから、作品ごとにファンが分かれているという。ヒーロー好きの人は、ラブコメにそこまで興味がありませんから(笑)。
――しかしながら、「ジャンプ」で20年にわたって連載を持たれたのは、時代に合わせて絵柄を変えていったからではないでしょうか。
桂:いや、そこそこの人気だから単発が多かっただけですよ。単発のいいところは、作品ごとにいろいろチャレンジできる点。『電影少女』のときは、絵柄を思い切り変えたつもりで、リアルな人間のパーツを絵の記号に組み込んでいったので、『ウイングマン』の頃のファンが離れるだろうなと思いながら描いていました。
――物凄く挑戦的な試みですよね。
桂:過去の絵柄にしがみつくと新しいことはできないじゃないですか。変化を恐れてファンを失うのが怖い気持ちはわかりますが、そこを怖がってはチャレンジができないと思います。変えてみたら確かにファン層は変わりましたが、前と同じくらい新しいファンを獲得できましたから、問題はありませんでした。
――『電影少女』は少年誌ギリギリの表現を追求されています。
桂:そういう際どい表現に対して敏感な方々が発生していたので、僕の中では彼らに対する反発心がありました。いろいろな団体の方々が有害図書の指定をつけたがっていたのですよ。でも、その基準が曖昧なのです。それに対しての反発ですね。
――今だと絶対にNGだと思いますが、胸は結構はっきりと描いていますよね。
桂:当時は、胸は寛容だったのです。だから、何がOKで何がNGなのかなんて、適当なんですよ。彼らがいかがわしいと思うものが基準になるなんて、そのやり方はおかしくないですか、と思っていました。
――何かと際どい表現が注目されがちですが、『電影少女』は単行本の装丁にもこだわっています。桂先生が1巻のカバー裏のコメントで、表紙デザインに時間がかかったと語っていますね。
桂:実は、カバーに関してはジャンプコミックスに革命を起こしたと思っています。まず、当時のフォーマットでは上下に帯があったのですが、取ってくれとお願いしました。タイトルが上にあって、絵のスペースも決まっていたのですが、イメージを払拭したくて全部変えました。編集部では物議になったようですが、一度やってみるかと意見を汲んでもらえましたね。だから、意外と革命児なんですよ、僕。
――35年前の単行本とは思えないほど、まったく古さを感じません。桂先生の取り組みが後世に与えた影響は計り知れませんね。
桂:「ジャンプ」では目立ったことをやっていかないと、埋もれてしまうのです。ド看板を背負っていたわけではない中で戦っていくためには、デザインで勝負していこうと。『ウイングマン』もキャラが普通の制服を着ていませんが、ノーマルなセーラー服は絶対にNGというルールを自分のなかで決めていたのです。今だと少年漫画でもデザインされた制服は当たり前ですが、それも僕が始めたと思っています。
■永久に終わらない葦月伊織の描き直し
――制服と言えば、やはり『I"s』ですね。ヒロインの葦月伊織が着る、湾田高校の斬新なセーラー服は傑作だと思います。
桂:制服は『ウイングマン』、『電影少女』、『D・N・A2』と試行錯誤を重ね、これはうまくできたと感じたのが『I"s』ですね。僕の考える、変わったデザインの制服としての完成形だと思っています。
――あのセーラー服は連載を始める前などに、どれだけアイディアを練ったのですか。
桂:制服のデザインは、クロッキー帳にラフを描いては消しを繰り返して、なんとなくこの方向性でいこうかなと考えて原稿に入り、さらに少しずつ変えていったのかな。だから、実質的にぶっつけ本番ですね。あのデザインは原稿をしながらできたんです。
――ぶっつけ本番なんですか! 伊織がセーラー服を脱ぐシーンがありますが、ファスナーやスナップの表現が非常にリアルです。構造まで緻密に作り込んでデザインしたと思っていたのですが。
桂:それは、僕はファッションに興味があるから、服の構造が何となくわかるんです。頭の中で考えたもので、そこまで具体的なスケッチはしていません。
――いくつもラフを描いて生まれたと思っていました。
桂:ラフを描くのも楽しみの一つだと思っている作家さんもいると思いますが、僕は面倒だっただけなので。ただ、『TIGER & BUNNY』では何個もデザイン案を出しましたけれどね。自分の漫画ではなく、他の企画にデザイナーとして参加した時はそういうスタイルをとります。自分のスタンスとしては、服は着られなきゃダメだと思いながらデザインしています。
――だからコスプレイヤーにも人気があるんでしょうか。
桂:いや、そんなことないでしょ! コスプレイヤーさんは、これはどうやって着るんだという服もコスプレしているので、あんまり関係ないと思いますよ(笑)。
――1巻の伊織の表紙を何度も描き直していることも、ファンの間では伝説になっています。
桂:重版がかかるたびに描き直しているので、実は十数回直しています。カバーを直してもいいですかと言ったら、編集部に「いいよ」と言われたので、何のインフォメーションをするわけでもなくこっそりと変えました。マニアの人は後から、あれ、違うぞと気づいたみたいですが、全種類持っている人なんていないんじゃないかな。僕も持っていないし(笑)。
――凄まじいですね。どうして、そんなに描き直したのですか。
桂:単純に気に入らないんですよね。だから、永久に終わらない。もう重版されていないので変えていないけれど(笑)。
――桂先生はカラー原稿の美しさが注目されますが、モノクロ原稿も緻密なスクリーントーンの手仕事が芸術的だと思います。桂先生の仕事場ではトーンのドットを1粒ずつ削るという指定があると聞きました。本当なのですか。
桂:僕にはそういうトーンワークのノウハウはないんです。そういうふうにやっていたアシスタントがいたんですよ。上手いアシスタントが入ると、その彼がやったところだけが上手くなっちゃうんですよ。それで一度発表してしまうと、グレードを下げられなくなる。作家としては読者のために作品のクオリティを保ちたいと考えていました。
――今ではいわゆる“プロアシ”みたいな人がいますが、当時の少年漫画の現場で、そこまで緻密なトーンワークができる人はいたんですか。
桂:いましたよ。僕の漫画の背景が凄いと言われるのは、アシスタントのおかげです。繰り返すけれど、話が進むにつれて背景の密度が上がるのは、上手いアシスタントが入ったからです。『電影少女』を見てもらえるとわかるけれど、1巻を見ると案外画面が白いでしょう? 途中で上手いアシスタントが入ったときから、とたんに高いグレードになるんですよ。
■40年続いたのは“鈍感力”のおかげ
――「ジャンプ」の歴史を見ると、いわゆる短期連載を挟みつつも、1980年代から2000年代まで描き続けた漫画家は非常に少ないと思います。激しい競争の中で、どうしてここまで描き続けることができたのでしょうか。
桂:鈍感力だと思います。あんまり細かいことを気にしない。絵に関しては気にするんだけれど、連載が10週で終わったよとか、そういうことは気にしないんです。やっぱりだめかぁ〜と一瞬思わないことはないけれど、そんなに引きずらない。なんとなくで、やってきました。
――桂先生はXで頻繁に情報発信するので、今後の活動についても楽しみで仕方ありません。これからやってみたいことなどがあれば教えてください。
桂:特にないですよ。強いて言うなら、儲かることをしたい(笑)。
―――ははは(笑)。
桂:あと、楽しいことがしたいです。苦労はしたくないな。野望は、やっぱりいろんな漫画を描いてみたいと言うのがあります。体力や状況が追い付かないので思うようにできませんが、ヒーローものを描きたいし、恋愛ものも描きたい。漫画に対する気持ちは今も変わらないですね。
(取材・文=山内貴範)
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