東洋大→ロッテ3位指名 一條力真インタビュー(前編)
えっ、オレ!?
それまで椅子に深く腰をかけていた一條力真が、自分の名前がアナウンスされた瞬間に背すじをピンと強張らせる。モニターの画面には、間違いなく「一條力真 東洋大学」の文字が映し出されていた。狂喜するチームメイトとハイタッチする一條の顔には、喜びよりも戸惑いの色が浮かんでいた。
千葉ロッテマリーンズからの3位指名。それは一條にとって望外の評価だった。
【まさかの3位指名】
「プロのスカウトの方からは、事前に『5位』とか『下位』という評価を聞いていました。自分の指名はないだろうな......とラクな気持ちでドラフトを見ていたら、(チーム内で)一番早く名前を呼ばれてビックリしました」
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じつは、一條は3位以内の指名でなければ、社会人の強豪チームに進む意向を示していた。調査書は6球団から届いていたものの、一條は「3位縛り」のハードルの高さになかばあきらめかけていた。だからこそ、ドラフト指名直後のリアクションからは「信じられない」という一條の本心が透けて見えた。
身長192センチ、体重90キロの大型右腕。最速153キロのストレートとフォークを武器にするリリーフタイプ。さらに端正なルックスが早くも話題になっている。
ただし、一條の底知れない潜在能力や歩んできた険しい道のりについては、あまり深く知られていないように感じる。
この6年あまり、筆者は一條という投手を折に触れて見てきた。
初めて見たのは、常総学院高(茨城)2年時。長身痩躯の体に、しなやかでバランスのとれたフォーム。「将来性」がユニホームを着て投げているようだった。高校3年夏の一條のパフォーマンスを見た際には、「プロ志望届を出せばドラフト上位候補になったはずだ」と記事に書いている。
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しかし、一條はプロ志望届を提出せず、東洋大に進学する。当時、大学に進学する理由を尋ねると、一條はこう答えた。
「中学の軟式野球部から高校に入って、まだまだ勉強が足りないと感じています。ひとりでやっていける力を持てたらいいなと思って、大学に行くことに決めました」
4年前の自身について、一條はこう振り返っている。
「高校の頃は何も考えなくてもよかったんです。自分の思うように体も動きましたし、投げたいところに投げられましたし......」
【モデルになるのもいいかな】
大学進学後に試練が待っていた。きっかけを聞いても、一條は「本当にわからないんです」と首をひねる。
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「大学に入ってすぐ、投げ方が変なふうになって。なんとか立て直してやってきたんですけど、よくなったり悪くなったりの繰り返しでした」
大学2年時にはリーグ戦で自己最速の153キロを計測する。1学年先輩に細野晴希(現日本ハム)、同期に岩崎峻典(ソフトバンク6位)がおり、酷使されることなくマイペースで野球に取り組める環境・条件も揃っていた。順風満帆に見えても、本人の思いは違った。
「153キロを出した時のフォームも決してよくはなくて、力任せというか『でっかいフォーム』という感覚でした」
自分の求めるボールが投げられない。そのストレスは、一條の心を蝕んでいった。次第に「なんでこんなしんどい思いをしてまで、練習しなくちゃいけないんだ......」と嫌気がさしていく。限界に達した時、一條は「野球をやめよう」と決意した。
だが、好条件で大学に入学している以上、何か口実がなければやめられないだろう。そう考えた一條は、思いもよらない「次の夢」を描き出す。
「自分は服が好きですし、モデルになるのもいいかな......なんて考えていたんです。雑誌に載るようなモデルではなくて、ファッションショーでランウェイを歩くようなモデルになりたいなって。当時は体重も78キロくらいでしたし」
これまで世話になった関係者に報告の電話を入れたが、「何を考えているんだ」と激しい反対を受けた。当初は「おまえの人生だから」と理解を示していた両親も、最終的には反対へと回った。一條はモデルへのほのかな憧れにフタをして、再び野球に向き合った。
つづく>>
一條力真(いちじょう・りきま)/2003年2月10日、茨城県生まれ。常総学院高時代から好投手として注目されるも、甲子園出場経験はなし。プロ入りも期待されたが、志望届は提出せず東洋大に進学。大学では1年からリリーフで登板する。4年秋は東都2部リーグに優勝に貢献。24年ドラフトでロッテから3位指名を受けた。身長192センチ、体重90キロ、右投左打