「私はここで死ぬ」イタリア人男性自殺・・・ 外国人ホームレス“急増”「生きられない」仮放免の実態【報道特集】

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2024年12月23日 21:50  TBS NEWS DIG

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TBS NEWS DIG

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2022年、あるイタリア人の男性が東京入管の収容施設で自ら命を絶ちました。その男性は収容前、ホームレスとして暮らしていました。男性の死後、記者は男性が生前、動画投稿サイトに残していた複数の動画をもとに取材を始めました。今、ホームレスになる外国人が急増しているといいます。背景に一体何があるのでしょうか?

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「助けて」「お金を送って」イタリア人男性 なぜ河川敷に?

ルカさん
「こんにちは。東京福生市です。ホームレスになって、2年と2週間…」

Tシャツ姿でカメラに語りかける男性。イタリア人のルカさん(56)だ。

雪が降る中、多摩川の河川敷で、境遇を嘆く動画も…

ルカさん
「5メートル四方のビニールシートの上で寝ています…」

携帯は支援を受けるための命綱。ルカさんは、生活の様子を撮影し、「助けて」「お金を送ってほしい」という言葉とともに、動画投稿サイトに載せていた。

近隣住民 
「(この方みたことある?)そこの橋の下にいた。2年くらいいたんじゃないかな」

ランニングで通う男性
「段ボールとかあって、なんとなく生活している人がいるのかなって」

ルカさんは、イタリア中部・ペルージャ出身のグラフィック・デザイナーだった。

イタリアにいる27年来の友人だという女性が取材に応じた。

アナリザ・ロジィ・カッペラーニさん
「ルカはイタリアでグラフィックデザイナーをしていました。会社や店舗のロゴを作ったり、看板を作ったり、そういう仕事をしていました。また、優秀なカメラマンでもありました。冗談をよく言う人で、同時に深い話もできるような友人でした」

ルカさんは、アジアでの生活に憧れ、2005年、日本に渡ったという。来日後、日本での生活を楽しそうに話していた。

カッペラーニさん
「彼は日本に行ってから、いくつか、写真の賞をとったこともありました。ときどき電話があり、日本での暮らしについて語ってくれました。結婚をしたという話もしてくれました」

2008年、日本人の女性と結婚し、福生市内のアパートで暮らしはじめたルカさん。ところが10年ほど経った2018年、心療内科を受診することになる。

ルカさんがネットに載せた診断書には、「妄想性パーソナリティ障害の疑い」と書かれていた。診察した医師はイタリア語に堪能で、イタリア大使館に頼まれ彼を診たという。

医師
「こぎれいで立派な紳士。(話してみると)執着、ある一つのことになると、とうとうと持論を述べられる。その根拠が間違っているので、妄想とかに基づいて、猜疑などがひどくなっている状態。英語とイタリア語だけで日本で十数年暮らす中で、コミュニケーションの問題とか、そういうところの 色々な矛盾が積み重なり、日本で生活が成り立たない状態だったんじゃないか」

医師が6時間にわたって話を聞くと、ルカさんは「イタリアに身寄りもなく帰れない」と話した。また「自分は亡命してきた」と口にするなど、様々な妄想があることが分かった。

医師は治療を勧めたが、ルカさんが再び訪れることはなかった。近所の人によると、この頃から、妻の姿もアパートから見えなくなったという。そして、2020年頃、ルカさんは在留資格を失ったという。

「家を失う人が本当に増えた」外国人ホームレス“急増”の背景

そして、ルカさんは一時的に収容を解かれる「仮放免」という措置の対象になった。

コロナ禍以降、収容施設での密を防ぐため、この「仮放免」制度が積極的に運用されるようになっていた。

コロナ前に2500人ほどだった仮放免者の数は、2021年度末時点で4174人にのぼった。しかし、たとえ「仮放免」となり外に出ても、自由とは程遠い暮らしが待っている。

日本からの退去を求められているという立場は変わらないため、働くことは一切禁止。その上、生活保護を受けることもできない。

ルカさんは、ホームレスになった。古くからの知人には、そのことを明かさなかったという。

カッペラーニさん
「最後に話したのは、去年の7月4日。私の誕生日に、彼から電話がかかってきました。特に問題を抱えているとも言わず、『誕生日おめでとう』という短い会話だけ。ホームレスだったことは一切知らなかったので、とてもつらく思っています」

実は今、ホームレスになる外国人が急増しているという。

生活困窮者を支援している大澤優真さん。仕事をすることが許されない「仮放免」の人が急激に増え、支援する側にも限界が来ているという。

つくろい東京ファンド 大澤さん
「家を失う人が本当に増えたんですよね。本国の親族から送金してもらったり、(外国籍の)コミュニティの中で支え合って、なんとかやってきた。でもコロナになってから、それができなくなった。外国籍の人(コミュニティ)自身も困窮化して、支えきれなくなったり」

「生きられない」仮放免の実態 支援する側にも限界が・・・

大澤さんはコロナ禍以降、仮放免者ら100世帯ほどに住居の提供や食料支援をしてきたが、追い付かないという。

大澤さん
「私も帰国支援をしています、帰りたい人には。ただ、帰れない人がいる。難民だったり、日本生まれ日本育ちのお子さんだったり。そういう現実を直視して、できることを考えないといけない」

チリ出身のクラウディオ・ペニャさん(62)。3年前から仮放免の状態だ。

国際的な料理コンテストで優勝経験を持つ一流の料理人で、27年前、技能ビザで来日し、チリ料理のレストランなどで働いてきた。

ペニャさん
「その時、お店はすごく混んでいた。『クラウディオ〇〇作って!〇〇作って!』と。楽しかった、楽しかった。本当に楽しかった」

すべてが一変したのは、2011年。東日本大震災をきっかけに、保証人が突然、日本を出て、行方をくらましてしまう。

震災後の混乱の中、ペニャさんは新しい保証人を見つけることができず、在留資格を失い入管施設に収容された。

これはペニャさんが収容中に書いた絵だ。

左は「日本に来たばかりの自分」。料理人として自信に満ち溢れていた頃だ。そして右は施設に収容され、痩せ細った自分の姿…

ペニャさん
「これは入管の中の僕のイメージ。心痛い…」

10人部屋に割り当てられ、トイレすら職員に監視される環境に、自尊心は打ち砕かれた。終わりの見えない収容生活に耐えかね、自殺を図る収容者も見てきた。

計4年半にわたる長期収容で心をむしばまれたというペニャさんだが、2020年5月、ようやく「仮放免」になった。しかし、施設の外に出ても、働くことが禁止されているため、住む場所も、食べるものも、寄付に頼らざるを得ない。

ペニャさん
「家賃や携帯代などはボランティアさんや教会が支援してくれる。それが恥ずかしい。僕はプロのコックさんで仕事ができる。自分のお金を作りたい。僕は自分で何もできない。モノみたい。人じゃない。人間じゃない」

それでもペニャさんには、チリに帰れない事情がある。1973年、チリで軍事クーデターが勃発。ペニャさんの父親は軍部の左派狩りに協力させられた。その後、軍事政権が崩壊。父親は、軍の虐殺行為を証言した。すると軍に近い勢力から「裏切者」とされた。

ペニャさん自身もかつてテログループに捕まり、拷問を受けた。

ペニャさん
「帰れない、危ない。本当危ない」

一家は、今も命を狙われているという。

ペニャさんは難民申請をしているが、日本で認定されるのは申請者のたった0.7%。難民認定率が60%を超えるイギリスやカナダと比べると極端に低く、G7の中でも最下位だ。

ペニャさん
「パニックになって、すごく泣いたり、寝られなかったり、食べられなかったり、自殺したいと思ったり…。今まで12年間仕事ができませんでした。仕事したい、料理が作りたい…」

仮放免者に対する日本政府の対応に、国連は去年11月、懸念を表明。彼らが収入を得られるよう、制度を改善すべきと勧告した。

「私はここで死ぬ」イタリア人男性 “最後の言葉”

仮放免となったイタリア人のルカさん。多摩川の河川敷でのホームレス生活を支えていた人物がいた。

東京・昭島市でホームレス支援を行う、マーセル・ジョンテ牧師。

ルカさんが最初に来たのは2021年11月。毎週欠かさずマーセル牧師のもとを訪れていた。

マーセル牧師はルカさんにシャワーや食事を提供し、交流を深めていったという。

マーセル牧師
「ルカさんは、人を助けることが好きで、プロジェクターのスクリーンなどを直してくれた。すごい天才、本当に。役に立つことが好きだった」

よく冗談を言って周囲を笑わせ、施設に来るときは明るい表情を見せていたが、精神的に不安定な一面もあったという。

マーセル牧師
「たまに、すごく良くない状態。鬱っぽいような (Q.なぜ鬱っぽくなっていた?)やっぱり、彼のビザの状況。橋の下に住んでいたことが、すごく嫌だった。一番言っていたことは『元の人生に戻りたい』と」

そんな生活が一年ほど続いた、去年秋のある日のこと…

近所に勤める人
「入管の人だと思うんだけど、5〜6人くらい来たかな。連れてかれちゃって。荷物も一緒に持って行った」

関係者によると、ルカさんが住処にしていた橋の工事が進み、ルカさんの存在が、入管に報告されたのではないかという。そうしてルカさんは、去年10月25日、東京入管に収容された。マーセル牧師は面会に行った。すると、今も忘れられない言葉を口にしたという。

マーセル牧師
「彼は、『私はここで死ぬ』と言った。(Q.なぜそんなことを言ったと?) 絶望。希望がなかった。私は彼に『諦めるな』と言った。『もうちょっと』と…」

それが、ルカさんと交わした最後の言葉だった。2週間後の去年11月18日の朝、ルカさんは、収容施設で自ら命を絶った。

マーセル牧師
「すごくショック。信じられなかった。まさか、まさか…。今もショックが残っています」

入管によると、収容時、本人から精神科受診の申し出はなく、必要性もみられなかったため精神科の診療はしていなかったという。

5年前に彼を診察した医師は…

医師
「入管のドクターが『どこまで医療の介入が必要か』をもっと細かく詳しく見て頂いていれば良かったんじゃないか。あるいは精神科なり心療内科なりの専門家がそこに入って、リエゾンって言うんですけど、色んな科と連携して診ていく…。この方のことを考えると涙が出てくる。孤独だとか、絶望だとか…」

「仮放免のシステムは変わるべき」 寛容な社会目指して

イタリアのテレビ局の特派員、ピオ・デミリアさん。ルカさんがホームレスをしていることをSNSで知り、たびたび河川敷を訪ねた。ルカさんのことを、イタリア大使館に相談したこともあるという。しかし…

ピオ・デミリア記者
「(彼の)望みは日本にずっといて、永住許可をもらって、ずっと仕事をしたかったんですよ」

「結局、彼はイタリアに戻りたくなかったんですよ。こういう場合、イタリア大使館は、残念ながら何もできないんです。自分の権利だから。本人と、住んでいる国(日本)との関係になる。それで問題がでてきた」

ルカさんは、イタリアに身寄りはなく、「帰る場所はない」と話していたという。

ピオ記者
「日本という国は、ホームレスや不法滞在の外国人に対しては、残酷だと思います。収容から解かれても、仕事ができない。それは矛盾しています。仕事ができないと、どうするか、犯罪しかおこさないでしょ。(仮放免の)システムは変わるべきです」
「頭のいい人でしたよ。ITエンジニアやデザイナーをしていて。そんな人が、こんなふうに亡くなるのは、納得できないです」

(報道特集の最新OAはこちら、TBS FREEでもご覧いただけます)

このニュースに関するつぶやき

  • そもそも政治亡命を除けば、国籍を持つ各国の大使館が尽力すべき問題じゃなかろうか?日本より祖国のほうが残酷では??
    • イイネ!1
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