【レスリング】「太ももモンスター」東京五輪銅の屋比久翔平が引退 故郷沖縄では翔平と言えば…

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2024年12月25日 22:19  日刊スポーツ

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東京五輪レスリング男子グレコローマン77キロ級表彰式で銅メダルを掲げる屋比久翔平(2021年8月3日撮影)

<とっておきメモ>



沖縄県の個人種目で初のメダルをもたらした「太ももモンスター」が引退を決めた。21年東京五輪男子グレコローマンスタイル77キロ級銅メダルの屋比久翔平(29)が25日、現役を引退を発表した。年内で所属先のALSOKを退社し、故郷の沖縄県で指導者の道に進む。


心優しき「うちなんちゅレスラー」の最大の武器は、「太ももモンスター」と呼ばれる脚だった。その太さは60センチ以上。腹ばいになった相手を豪快に持ち上げるリフト技が代名詞で、片足でも相手の体重を支えてコントロールできるのは、何よりも太ももに理由があった。


リフトの基礎を教え込んだ父保さん譲りのレスリングで鍛えた肉体かと思いきや、父は「いやいや、かみさんですよ」と説明してくれた。母直美さんが高校で2連覇し、高校記録を樹立したやり投げ選手と明かしてくれたのは、東京五輪に臨む前だった。投てき系では室伏広治の同期で88年ソウル五輪の代表候補でもあった。そこにルーツがあった。


父母ともに五輪にあと1歩届かなかった。89、91年全日本王者の父は、2度の挑戦があった。88年ソウル大会で届かず、92年バルセロナ大会は国内予選の試合中に左足の大けがを負い、救急車に運ばれて夢尽きた。引退し、故郷沖縄で指導者になり、95年に生まれた翔平に夢の続きを託した。母も肩のけがなどもあり、26歳で引退を余儀なくされていた。生後100日の愛息に、日本国旗が縫い付けられた赤い特製シングレットを着せた。


それから幾年月。翔平は沖縄に初の栄冠をもたらした。東京以降はケガが続いていた。パリ五輪前、拠点の日体大の練習場で再会すると、思うように練習が積めないもどかしさを振り返りながら、同時に後輩を優しいまなざしで見つめていた。視線の先にいたのは、その後にパリで男子グレコローマンスタイル77キロ級で金メダリストとなる日下尚だった。同門の後輩に代表争いで敗れる結果になりながら、「頑張ってほしい」と心から願っていた。


地元宜野湾市の国道沿いには「翔平 野球だけじゃなくレスリングにもいます」という立て看板が立てられたこともある。25年からはその沖縄県で後輩を教える立場になる。「沖縄のレスリングのために、一生懸命頑張りたい」。豪快なリフト技を武器に、自身に続くメダリストを育ててほしい。【東京五輪担当=阿部健吾】

このニュースに関するつぶやき

  • 屋比久選手、本当にお疲れ様でした。ところで屋比久翔平選手は大谷翔平選手と同学年なんですね。当時「翔平」って名前が流行っていたのかな?と思って調べたら流行っていたのは「翔太」でした。
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