中尾孝義が語る佐々木朗希(後編)
前編:中尾孝義が振り返る大船渡高校時代の佐々木朗希はこちら>>
専大北上の監督時代、佐々木朗希を擁する大船渡と対戦した中尾孝義氏。後編では、プロ入り後の佐々木に対する見解、メジャーに挑戦するにあたっての課題などを語ってもらった。
【積んでいるエンジンが違う】
── 佐々木投手はロッテ入団後、1年目は体づくり、2年目は登板間隔を空けながらシーズン11試合の登板、3年目に20試合登板と段階を踏んできたわけですが、仮にこの過程がなく1年目から先発ローテーションで登板させていたとしたら、今のような成長はなかったと思いますか?
中尾 なかったと思います。バッターは試合中に打ち方をいろいろ変えられますが、ピッチャーが試合で投げ方を修正するのはすごく難しいんです。なので、佐々木の育成プランというのはあって然るべきだったと思いますし、松坂大輔のように1年目からローテーションで投げさせていたら、もっと故障は多かったでしょうし、もっと打たれていたかもしれません。
|
|
── 佐々木投手は成長途中の体で160キロ以上の球を投げていたため、体への負担を考えると慎重に育てる必要があった?
中尾 積んでいるエンジンが全然違いますからね。あれだけの体の大きさがあったうえで器用な体の使い方ができて、160キロを投げる......本当に規格外のピッチャーですよ。体が大きいほど成長が遅いと言われていたり、背が伸びきってから横が大きくなるという話を聞いたこともあります。大谷翔平(ドジャース)もそうだったじゃないですか。なので、ロッテの育成プランはすごくよかったと思います。
── あわや2試合連続の完全試合か......という試合や、ポストシーズンの大事な試合などでも慎重な起用が続きました。
中尾 やはり体力がついていなければシーズンを完走することは難しいですし、シーズンが約6カ月あるなかの1カ月は休まなければいけないとか、そのあたりの物足りなさがあったと思うんです。首脳陣もそれをわかっているから、無理して使わなかったんじゃないですか。特別扱いといえば特別扱いですよ。でも、それだけのものを持っていますし、プロはそれでいい。
【必然的に変化球は多くなっていく】
── 基本的に真っすぐとフォークで組み立てるピッチングでしたが、近年はスライダーを多投するなどピッチングスタイルに変化が見られました。その点に関してはどう見ていましたか?
|
|
中尾 当然バッターは真っすぐを狙ってきますので、必然的に変化球は多くなっていくと思います。キャッチャー目線で言えば、「いつバッターが真っすぐを捨てて、変化球を狙ってくるのか」ということを感じることができれば、いいキャッチャーになれるんです。
僕なんかもそうでしたが、「このバッターは真っすぐを狙っているようだけど、このピッチャーの真っすぐの球威と真っすぐに対するバッターの強さのどちらが上なんだ?」と考えるわけです。ボールの高さによっても違ってきますしね。速い真っすぐは低めのほうが当てやすく、高めのほうが空振りしやすいんです。私が斎藤雅樹(元巨人)とバッテリーを組んだ時なんか、真っすぐはほとんどインハイで攻めていました。
── 斎藤さんは中尾さんとバッテリーを組んだことで投球の幅が広がり、20勝を挙げましたね。
中尾 たまたまですよ(笑)。ただ、インコースに投げられるようになったので、それが彼にとって転機になったんじゃないですか。本人も言っていましたが、「今まではインコースに投げるのは怖かった」と。だけどインコースを使えるようになったら、面白いように投げてきましたからね。僕もしつこいぐらいインコースのサインを出していましたし。
── 佐々木投手は左バッターのインコースを攻めることはあっても、右バッターのインコースにはあまり投げていませんでした。もっと突いていくべきですか?
|
|
中尾 本来、アウトコースだけで抑えられるのであればそれでいいんです。インコースは甘くなると、長打になる危険が伴います。アウトコースも少々甘くなると打たれるのですが、基本としてはアウトローで抑えられればそれが一番簡単です。
── ロッテのキャッチャー陣が、佐々木投手のよさを引き出した部分はありますか?
中尾 最初の頃は松川虎生がマスクを被っていましたよね。あのケースはどちらがリードしていたのかわかりません。佐々木が首を振って投げていた部分もけっこうあったように見受けられました。でも、高校を出てすぐのキャッチャーが、あれだけできるのはすごいですよ。
松川はもっとよくなると思って見ていたのですが、1年目にある程度できたので錯覚してしまった部分もあるかもしれません。佐々木がいいからあれだけ抑えられた。ほかのピッチャーで同じリードをしたら、想定していた結果と違った......なんていうこともありえます。そのあたりは勉強していかないと、今後一軍の試合に出られない可能性もある。佐藤都志也がすごくよくなりましたからね。彼の場合はバッティングもいいし。
【賛否両論あるのは仕方ない】
── 佐々木投手はマイナー契約からのスタートでメジャーに挑戦するわけですが、やはり体力面が課題でしょうか?
中尾 ランニングやウエイトで補えると思いますが、加えて今以上の体幹の強さを追求していくべきですね。もちろん本人のトレーニングのコースに入っていると思いますが、体幹はいろいろなアプローチをしていかないと鍛えられないんです。体の使い方を見ているともともと体幹が強いことはわかりますが、それに甘えずに毎年少しずつ高めていってほしいなと。
もう今からですよね。この冬の間にそれをやっておかないと、いざアメリカでボールを握ったときにいいパフォーマンスが発揮できません。スタミナを冬に蓄えておかないと向こうで切れてしまいます。あと、彼はマメができやすいので、クリームを塗るなり指のケアも必要ですね。
── 技術面は通用しそうですか?
中尾 前編でもお話ししましたが、今よりも前の位置で"上から叩く感覚"が出てこないと厳しいと思います。完全試合を達成した頃は、その感覚があったと思うんです。近年は少々球持ちが悪くなって体が少々横振りになり、叩けなくなっているので、上から叩く感覚を思い出してほしいんです。
日本でもそうですが、特にメジャーでは球速が160キロを超えようが、コントロールが悪ければ打たれます。逆に言えば制球力がいいピッチャーは打たれません。ワールドシリーズで先発していたゲリット・コール(ヤンキース)は150キロ台後半の真っすぐを投げますし、変化球のコントロールはいいですが、やっぱり打たれる時は制球できていない時ですから。
── 上原浩治さんや岩隈久志さんら、制球力に優れたピッチャーは好成績を残せた。
中尾 そうですね。大谷なんかもそうですよ。結局、ストライクゾーンだけでは抑えられません。ボール球をいかに振らせるか、変化球をいかに際どいコースに投げられるかなんです。同じ変化球でも見切られてしまう変化球はダメなわけで、振らせられる変化球がないと。いいバッターはそのあたりを我慢できますし、打てないバッターはそのあたりを振る。これは日本でもメジャーでも同じです。
今永昇太(シカゴ・カブス)もよかったですね。彼は日本で投げていた時よりもよかったんじゃないですか。上背がない分、バッターから見るとボールの出どころが低いのですが、上から叩けているからボールが伸びる。メジャーは多くのバッターが振り上げていくから今永の高めのボールが当たりませんよね。
── 佐々木投手はプロで5年(1年目に登板がないため実質4年)を経験し、24歳を迎える年にメジャーへ挑戦するわけですが、タイミングとしてはいかがですか?
中尾 いいと思いますね。日本で経験するのも大事ですが、僕はアメリカで経験してもいいと思います。どちらでもいいと思いますし、それはもう本人次第です。ポスティングシステムのルールのなかで決まったことですし、球団が容認したわけですしね。
── 夏の甲子園出場をかけた岩手大会の決勝で温存され、プロ1年目は一軍に帯同しつつの体づくり、そして今回のポスティング。規格外のピッチャーだからこそ、その都度話題になり賛否を巻き起こしてきました。
中尾 彼はそういう運命なんじゃないですか。そういう星のもとに生まれていると言えばいいのか。だからこそ、その壁を乗り越えていってほしいんです。アメリカへ行けばもっと大きな壁が立ちはだかるはずですし、それらを乗り越えていかなければメジャーではやっていけません。
佐々木が高校時代に同じグラウンドで戦った者として、彼の成長や活躍ぶりは常に気になっているんです。引き続き応援していきますし、メジャーの舞台で成功することを願っています。
中尾孝義(なかお・たかよし)/1956年2月16日、兵庫県生まれ。滝川高から専修大学、プリンスホテルへと進み80年ドラフト1位で中日へ入団。1年目から116試合に出場し、2年目には正捕手となり打率.282、18本塁打、47打点で8年ぶりのリーグ優勝に貢献。同年はオールスターにも出場し、セ・リーグの捕手として初めてMVPに輝いた。89年にトレードで巨人に移籍。開幕からマスクを被り、斎藤雅樹のシーズン20勝を陰で支えた。92年に西武へ移籍し、翌年に現役を引退。引退後は台湾リーグも含め、多くの球団でコーチとして指導。2017年3月に専大北上高の監督に就任し、19年11月まで務めた。現在は評論家として活躍している