年末年始といえば、多くの人が家族や親戚と過ごす時間を楽しみにしているのではないだろうか。しかし、なかにはそれが憂鬱だという人たちもいる。
今回は、年末年始に切ない出来事を経験し、家族との絆や新年の意味を改めて考えさせられたという2人のエピソードを紹介する。
◆年末年始に感じる“切なさ”
「年末年始は、帰省に対してさまざまな感情が溢れる時期です」と話し始める内藤正二さん(仮名・40代)。内藤さんには帰省できない理由があるという。
「複雑な家庭環境で育ちました。ある出来事から、正月を迎える度に胸が苦しくなりますね」
子どもの頃の正月は、内藤さんの母の実家があるA町で過ごすことが習慣だったそうだ。もともとは別の県に住んでいたため、毎年飛行機で帰省し、祖母や曾祖母、曾祖父に会うことが楽しみだったと振り返る。
「叔父一家もA町に住んでいて、家族みんなで賑やかに正月を過ごしていたんです。その頃は、叔父との関係も良好だったのですが……」
叔父は少しワルっぽいところがあったようだ。
◆居心地が悪い場所に
その後、内藤さん一家に大きな変化が訪れる。
「父は会社を経営していましたが、経営危機に見舞われ、生活が困窮。私たちはA町に引っ越さざるを得なくなったんです。中学生だったのですが、叔父に引き取られることになりました。
ただし、両親は周りの目が気になるということで、A町ではなく都市部で暮らすことになりました。この頃からです。叔父の態度がどんどん変わって、事あるごとに『俺が世話をしてやってるんだ』という態度でした。そして、父と叔父はすでに絶縁状態になっていました」
A町は、次第に居心地が悪い場所になっていったという。
「高校進学をきっかけに、都市部に住む両親の元へ引っ越しました。それからは、帰省の習慣がなくなり、A町へ行くことはほとんどありませんでした」
以降も叔父の暴走は加速していったそうだ。叔父は、母に父との離婚を強要してきたのだとか。さらには「盆暮れ正月以外にも墓参りに来い」と言い出した。
都市部からA町までは100キロ以上離れており、当時車を所有していなかった内藤さんにとっては大きな負担だった。
「私がA町に帰省する理由は、もはや何もありませんでした。仕事を理由に帰省できないと断り続けた結果、次第に叔父からの連絡も途絶えました」
その後、叔父は体調を崩し、現在では寂しい正月を過ごしていると内藤さんは聞いているそうだ。
◆思わぬかたちで迎えた新年
佐々木千夏さん(仮名・20代)は、正月に起きた“事故”について話してくれた。
「母が提案し、家族3人で三が日を過ごすつもりでした。でも、父が『どうしても実家で過ごしたい』と言い、結局、父方の祖父母の家でお正月を迎えることになったんです」
子どもの頃から、祖父母の家で過ごすことが恒例行事だった佐々木さん。
「幼い頃は、『あけましておめでとう。今年もよろしくね』と、よく分からないまま言っていましたが、大人になった今では、挨拶をする度に“新しい年が始まるんだ。がんばろう”という気持ちになりますね」
しかし、そんな正月に複雑な感情を覚えることになってしまったという。
◆めでたいはずの“餅”をめぐる悲劇
「おじいちゃんは、週5日デイサービスに通っていて、私が遊びに行く時には家にいないことが多かったんです。正月だけ顔をあわせる存在でした。なので、年始に会う際には少し緊張していました」
親戚とはいえ、普段接することが少ない祖父との距離感をなかなかつかめなかったそうだ。
「私が挨拶をすると、おじいちゃんも『おめでとう』とにこやかに返してくれました」
その後、お節料理を食べることになり、食事を楽しんでいたのだが……。
「突然、苦しそうな声が聞こえてきました。振り向くと、おじいちゃんが餅を喉に詰まらせていたんです。すぐにおばあちゃんが背中を叩き、餅を吐き出させようとしましたが、まったく取れません」
だんだん青白くなっていく祖父の顔を見て、母は慌てて救急車を呼んだ。
「私は、すぐに看護師の友人に連絡しました。友人から『掃除機のパイプ部分で餅を吸引してあげて!』というアドバイスをもらい、餅は取り出せたのですが……」
幸いにも命は取り留めることができたが、年始に起こった“悲劇”として佐々木さんの脳裏に刻まれてしまったのだ。
「お正月という本来“祝うべき時間”に、家族全員が、ただひたすら恐怖と不安に包まれたことは忘れられません」
正月に“餅”を食べる人は多いと思うが、佐々木さんは「食べる時には本当に注意してほしいです」と訴えた。
<取材・文/chimi86>
―[年末年始の憂鬱]―
【chimi86】
2016年よりライター活動を開始。出版社にて書籍コーディネーターなども経験。趣味は読書、ミュージカル、舞台鑑賞、スポーツ観戦、カフェ。