さまざまな自治体が支援策を出すなど、東京や大阪など首都圏から地方へ移住するのが当たり前になりつつある。ただ、移住しても良いことばかりではなく、失敗するケースもあるようだ。現在、動画配信者として生計を立てている松岡清美さん(仮名・28歳)は、大学卒業後に入社したIT企業で激務に耐えられず退社。その後、地方移住を決意したそうだ。
◆誰も自分のことを知らない東北に移住
「新卒で入ったのは、IT業界ではそこそこ有名な会社。営業をしていたのですが、はじめはノルマもきつくなく、給料も良かったのでホワイト企業だと安心していたんです。ただ、業績が徐々に落ちていき、方針が変わってサービス残業もさせられるように……。転職組の部長との相性も悪く、精神をやられてしまい、半年ほど会社を休職したんです。その間にコロナ禍になったこともあって、いろいろと考えるところがあり会社を辞めて、縁もゆかりも無い東北の田舎に移住することに決めたんです。実は、親とあまり仲が良くなく、地元の愛知県に帰る選択肢はなくて。誰も自分のことを知らない東北に移住したんです」
会社勤めで痛い目にあっていたこともあり、自宅でできる動画配信を仕事にしようと決意したという。
「仕事を休職していた時に、某アプリでライブ配信を行ったら意外に稼げたんです。ヒマだったので、毎日ライブ配信をしていたので固定ファンが付いて、20万円くらい稼げた月も。もともと、ネットで動画を見るのが好きだったので、配信だけで食べていきたいと考えるようになったんです。これなら仕事を辞めてもライブ配信だけで食べていけるなと」
◆「月6万円」しか稼げなくなってしまう
しかし、現実はそんなに甘くない。移住して数ヶ月でライブ配信での収益は月に数万円ほどに激減。会社員時代の貯金を切り崩しながら生活するハメになってしまったそうだ。
「ライブ配信は、コロナ禍のときは儲かったのですが、段々と収益が下がってきまして。配信者が増えて、固定ファンも減っていったんです。YouTubeチャンネルでの配信もはじめたのですが、いまだに登録者数は5000人ほどで稼げる段階にない。とはいえ、どこかに就職するのも嫌なので、なんとか軌道に乗せるために、勉強しながらバイトで食いつないでいる状況です」
ちなみに、松岡さんが配信関連で得られるお金は平均して月に6万円ほど。少なくともあと10万円は欲しいところで、松岡さんは手っ取り早く稼げる夜職をはじめることになる。しかし、そこで田舎の洗礼を受けたそうだ。
◆スナックの同僚にありもしないデマを吹聴され…
「いきなりキャバクラで働くのも嫌で、まずはライトなスナックからはじめました。サイトで求人を出していた駅前のスナックに働きはじめて、時給は2000円からスタート。1日働いて1万円稼げる計算で、10日間通うことになったんです」
生まれて初めての夜職ながら、会社勤めのストレスに比べたら楽だと、やる気に満ち溢れていたとのこと。しかし、待ち受けていたのは同僚からの陰湿ないじめだった。
「東京から来た自分が気に入らなかったのか、同世代のA子が常連客に『田舎の人をバカにしている』と言いふらしていたんです。真っ赤な嘘を真に受けた常連客が、酔っ払った際に私に絡み、罵声を浴びせてきたんです。しかも、私が配信をしていることを知っていたA子は、セクシーな動画の配信で荒稼ぎしていると、ありもしないデマを吹聴して……。私を含めて4人の女の子が働いていたのですが、皆から無視されるようになったんです。なんだか馬鹿らしくなって、そのお店は半年ほどで辞めてしまいました」
◆キャバクラで働くも、疲れすぎて配信ができない
とはいえ、配信だけでは食べられないので仕事を見つけなければいけない。そこで、現在住んでいる県から少し都会の隣県に引っ越しすることを決意。ただ、その行動も裏目に出ることになってしまったそうだ。
「引っ越し先にはしっかりと繁華街もあり、そこそこ稼げる夜職の求人も少なくなかったです。もうスナックはコリゴリなので、心機一転で時給が高いキャバクラにしたんです。そのお店でイジメはないのですが、ただただ仕事がきついんです。スナックだとお酒を作ってカラオケの相手などしていればよかったですが、キャバクラはしっかりと男性に楽しんでもらわないと人気も出ません。結果として月に40万円くらいは稼げるようになったのですが、疲れすぎて休みの日は寝てしまい、ライブ配信や動画の撮影などができなくなってしまった。そもそもキャバ嬢になるために移住したわけではなく、なんのために田舎に住んでいるのかわからない有様です……」
自分がやりたいことを実現するために移住したはずの松岡さん。しかし、生活するための夜職で体力を使い切ってしまい、本末転倒の状況に追い込まれてしまった。
<TEXT/高橋マナブ>
【高橋マナブ】
1979年生まれ。雑誌編集者→IT企業でニュースサイトの立ち上げ→民放テレビ局で番組制作と様々なエンタメ業界を渡り歩く。その後、フリーとなりエンタメ関連の記事執筆、映像編集など行っている