「後悔ないよう備えを」=母と弟亡くし語り部に―遺族代表の長谷川さん・阪神大震災30年

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2025年01月17日 14:02  時事通信社

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遺族代表として追悼の言葉を述べる長谷川元気さん=17日午前5時51分、神戸市中央区
 神戸市で開催された阪神大震災の追悼行事で、遺族代表として追悼の言葉を述べた小学校教諭の長谷川元気さん(38)=同市垂水区=は、地震で母と弟を亡くした。「大切な人はある日突然亡くなってしまう。後悔のないように今できる備えをしてほしい」。今は語り部団体の代表として、被災経験を通じた身近な人の大切さや災害への備えを伝えている。

 地震が起きた30年前、小学2年生だった長谷川さんは、両親と弟2人の5人で住む同市東灘区の木造アパートで被災。建物は全壊し、寝ていた母の規子さん=当時(34)、弟の翔人さん=当時(1)=が家具の下敷きになり亡くなった。

 その日の夕方、避難先の公園のベンチで父に2人の死を知らされ、泣くことしかできなかった。「もっと母の手伝いをしたり、翔人と遊んであげたりすればよかった。もっと2人の笑顔を見たかった」と後悔した。

 「お母さんと一緒にご飯作るねん」。地震後、友人の何気ない言葉にも悲しくなった。運動場の隅で1人で泣いていた時、担任教員が横に座り「大丈夫、頑張れるよ」と元気づけてくれた。「こんな思いやりのある人になりたい」と、長谷川さんは教員への道を志した。

 大学2年の時、卒業した中学校で震災体験を話す機会があった。「自分が感じたことを話せば、震災を知らない世代にもちゃんと伝わる」と実感した。その後、教員になり、神戸が拠点の「語り部KOBE1995」に2014年から参加。22年には代表になり、全国の小学校などで被災経験を語り継ぐ。

 30年間毎日欠かさず、母と弟の仏壇に手を合わせる。遺族代表を引き受け、「2人がこの世にいたこと、その人生が失われたことを伝えるね」と話し掛けた。震災から30年。記憶の風化が懸念されるが、「悲しみは時とともに薄れたり、消えたりすることはない」。これからも語り続け、「被災者の気持ちをしっかり引き継いでいく」と決意を新たにした。 

地元の祭りで記念撮影する長谷川元気さん(手前)、母規子さん(奥)、次男(左)、三男翔人さん(右)=1994年(本人提供)
地元の祭りで記念撮影する長谷川元気さん(手前)、母規子さん(奥)、次男(左)、三男翔人さん(右)=1994年(本人提供)


遺族代表として家族に見守られながら献花する長谷川元気さん(左から2人目)=17日午前、神戸市中央区
遺族代表として家族に見守られながら献花する長谷川元気さん(左から2人目)=17日午前、神戸市中央区

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  • 自宅倒壊は免れたけど、停電でテレビも見れず何が起こっているのか分からなかった。しばらくして車のラジオを付けて初めて阪高が落ちたらしいと知って耳を疑った。
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