
それは松坂桃李が演じる主人公・御上孝(みかみ・たかし)が発する“奇妙な言葉遣い”です。
作中で自ら「霞ヶ関文学」と語る通り、奇妙な言葉を官僚はしばしば用います。単語は明瞭であるにもかかわらず全体として意味不明で滑稽なことから、かねて「官僚文学」などと揶揄(やゆ)されてきました。これに似たものとして「永田町文学」もあります。
これらは一体何なのでしょうか。
霞ヶ関文学とは
『御上先生』で御上孝が口にする言葉にこんなものがあります。
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「不徳の致すところです」
「これ以上はお答えできません」
※筆者の聞き取りなので一字一句正確ではないかもしれません
これらの言葉遣いに違和感を持つ人は少なくないようです。「血が通っていない」「まるでロボットのようだ」というのもその通りでしょう。
こうした言葉遣いを作中で御上孝も「霞ヶ関文学」(「官僚文学」と呼ばれることも多い)と呼んでいます。
霞ヶ関文学といっても、そのような文学ジャンルはありません。官僚が使う言葉が揶揄されてそう呼ばれているだけで、彼らが働く省庁が霞ヶ関にあることからその名が付けられました。
霞ヶ関文学の“目的”
霞ヶ関文学の目的は1にも2にも「責任回避」のためです。表向きは物事を円滑に進めるためということになっていますが、何かハッキリしたことを言って責任を追及されないよう、いかに逃げ道を残すかに神経が使われています。書類などに書かれた文章の場合は、どうとでも解釈できる表現を用いたり、核心を突かれないよう不自然なほどに曖昧な表現を用いたりするのが特徴です。
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官僚文学を生んだ霞ヶ関の風土
ここからは霞ヶ関文学を官僚文学と表記して、官僚文学が生まれた背景について解説してきます。官僚文学の起源については諸説ありますが、これまでの状況から考えると「官僚の無謬(むびょう)性」にあると思われます。
「無謬性」とは理論や判断に絶対に誤りがないことです。つまり「官僚の無謬性」とは、官僚の考えることや行うことには絶対に間違いがないという、いわば宗教の信仰に似た思い込みと言えるでしょう。
もちろん官僚が絶対に間違いを犯さない保証などありませんし、そんな根拠などどこにもありません。実際に「バブル崩壊」をはじめ、「失われた30年」「少子化」など、官僚の考えたものが間違っていたとしか言いようのないことが日本では数多く起きています。
一方、分かりやすいところで彼らが優れている点として、難しいテストで高得点を取る学力が挙げられますが、テストの能力と倫理観や仕事の遂行能力が必ずしも正比例するわけではないことは、現代を生きる人には説明不要でしょう。
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間違いを指摘させない手法
官僚として霞ヶ関で働くようになると、自分たちのやることに間違いはないという伝統的体質にどっぷり浸ることになります。しかし人間である以上、絶対に間違いを犯さないことなど不可能です。そんな人間は存在しません。そこで考え出されたのが「間違いを指摘させない手法」です。
例を挙げると、
・聞かれたことにしか答えない
・必要最低限のことしか答えない
・文章にする際は後でどうとでも解釈できる表現で逃げ道を作る
・主語を曖昧にし、場合によっては主語を省き、責任の所在をうやむやにする
などですが、こうした手を打つことで追及から逃れやすくなります。
「ご飯論法」は官僚文学の集大成
このような手法の集大成とも言えるのが、たまに国会で問題になる、いわゆる「ご飯論法」です。端的に言うと「朝ご飯を食べたか?」と聞かれ、「食べていない」と答えた後、実はパンを食べていたことがバレると、「パンはお米ではないからご飯ではない。だから朝ご飯を食べていないというのはうそではない」という珍妙な論法です。
官僚に言わせれば「朝ご飯」ではなく「朝食」と聞かなかったほうが悪いわけで、つまり物事の本質に基づいて正直に答えない自分のことは棚に上げ、聞いた側に落ち度があるかのように論点をすり替え、けむに巻くのです。
一般社会でこのようなことをしたら大問題になりますが、それをまんまとまかり通す“魔力”のようなものを官僚文学は持っているのです。
永田町文学とは何か?
霞ヶ関文学に似たものとして「永田町文学」もあります。これは国会議員が用いる言葉遣いで、彼らがいる場所の名前を取ってそう呼ばれます。例えば、
「前向きに善処します」
「記憶にございません」
「個別の問題には回答を差し控えます」
どれも聞き覚えがあるでしょうが、中でも多用されるのが「一般論として」です。
これは全く一般論を言っているわけではなく、こう前置きすることで、特定の誰かを批判したことにならないよう逃げ道を作るのが目的です。
以前、官房長官(当時)の福田康夫氏が総理の行動について記者会見で追及された際、「一般論として」と前置きして答弁したところ、記者から「一般論ではなく、今回の件について答えてください」と言われ、こう切り返しました。
「一般論と言って分からなければ新聞記者を止めるべきだ」
これは「一般論として」という永田町文学が、全く一般論を指しているわけではないことを明らかにした出来事でした。
永田町文学の使い方で政治家の資質が判断できる
永田町文学にはさまざまなものがありますが、実はその使い方で政治家の資質や力量が分かることがあります。例えば「緊張感を持って注視します」という言い方です。
これは為替レートの急激な変動などの際に財務大臣がたびたび口にする言葉ですが、そもそも国会議員は常に緊張していなければいけませんし、大臣ともなればなおさらで、緊張感を持っていないほうがおかしいわけです。
何のことはない、ごく当たり前のことを言っているだけです。
実はこの言葉は元々官僚文学として生まれたものです。
財務大臣の中にはこの表現を多用する人が見られますが、そのような大臣は財務官僚の影響を強く受けていると見ることができます。
その代表例とも言えるのが民主党政権時に財務大臣だった野田佳彦氏です。
東日本大震災後に起きた急激な円高に対し、会見のたびに「緊張感を持って注視します」という官僚文学の言葉を金太郎飴のようにひたすら繰り返していました。
その後総理になった野田氏は、消費税を5%から10%に引き上げる政策を世論を無視して強行しました。ご存じの通り、それは財務省の悲願でした。官僚文学を繰り返していた野田氏が、まるっきり官僚に取り込まれていたことの何よりの証拠となったわけです。
「仮定の質問には回答を差し控えます」は政治家としての存在意義の否定
もう1つ例を挙げましょう。それは「仮定の質問には回答を差し控えます」という永田町文学です。これは政治家としての存在意義を自ら否定するものです。政治家、とりわけ大臣や首相クラスの役割は、この国や社会がこの先どのような事態に見舞われるかを予見し、それに対して的確に対処するため、その準備をいかに前もって講じていくかという危機管理に尽きると言えます。それを国民に伝えるのは政治家の基本的な仕事です。
その点で、仮定の質問への回答を差し控えることはその役割を放棄するわけですから、政治家にあるまじき発言と言えます。
2025年、石破茂総理がアメリカのトランプ大統領と共同記者会見に臨んだ際、質問に対して「仮定の質問にはお答えを差し控えます」と述べ、トランプ大統領が「ワオー!」と声を上げて驚きました。
さすがのトランプ氏も、内心「こんな逃げ口上があったのか!」という意味で声を上げたと見るべきでしょう。
官僚文学と永田町文学の共通点
これまでいくつか例を挙げましたが、官僚文学と永田町文学は似ています。使われる目的がほぼ同じなのですからそれも当然です。共通点はざっと次のようなものです。
・追及をかわす
・責任を回避する
・逃げ道を残す
・言質を取らせない
国会議員は業務遂行に必要な情報を得るため、官僚からレクチャーを受けますが、そもそも持っている情報の多さは官僚が圧倒的です。そのような人から話を聞くうち、よほど強靱な精神の持ち主でない限り、官僚の影響を受け、考え方を変え、言うことが似てきます。
新進気鋭の政治家として永田町に乗り込んだはずの国会議員が、気付けば官僚そっくりのことを言うようになる例は枚挙にいとまがありません。
「年収103万円の壁」の引き上げを打ち砕いたのも官僚文学
昨年から今年にかけ「年収103万円の壁」の引き上げが問題になっていました。国民民主党の求める「178万円への引き上げ」を与党(自民・公明)がどこまで飲むか、期待する国民も多くいましたが、それは1つの官僚文学によってあっさり打ち砕かれました。国民民主党の求める「178万円への引き上げ」に対し、与党側は「178万円を目指す」と記載しました。「178万円にする」とは一切書かず、「目指す」とだけ記載しました。
東大を目指すだけなら誰でもできますし、ノーベル賞だって目指せます。「目指す」とはそういう意味で、何の約束にもならないのです。
これぞまさに官僚のお家芸であり、官僚文学の真骨頂です。
『御上先生』の脚本の素晴らしさ
最後にこれら官僚文学や永田町文学に人々の興味を向けさせた当ドラマについて付記しておきます。ドラマの中で御上孝が「エリート」とは何かについて語るシーンがあります。
御上はこう言います。
「本当のエリートとは、自分の利益のためではなく他者や物事のために尽くせる人、つまり弱者のために行動できる人である。キミたち(生徒)はこのままではただの上級国民予備軍にしか過ぎない」
筆者は、このセリフは現代の官僚に対する痛烈な批判となっていると考えます。
また奥平大兼演じる生徒の神崎拓斗が、日本特有の記者クラブの弊害について語るように、当ドラマは教育を題材としながらも、官僚制度がもたらしてきた日本の問題点、日本社会の暗部をあぶり出す大変な秀作となっています。
ストーリーの面白さのみならず、社会をえぐるシナリオを書いた脚本家・詩森ろばさんに敬服します。
<参考>
TBSテレビ 日曜劇場『御上先生』 Webサイト
松井 政就プロフィール
作家。国会議員のスピーチライター。政治、文化芸術、スポーツ、エンタテインメント分野の記者、事業プランナーとしても活躍。(文:松井 政就(社会ニュースガイド))