
森原康平インタビュー(前編)
昨季、日本シリーズ制覇を果たした横浜DeNAベイスターズの守護神・森原康平。激しい順位争いが続いたシーズン終盤、右肩の痛みにより自身の記録かチームの勝利かという決断を迫られた。そして森原が選んだのは、「勝利のための勇気ある撤退」だった。その決断がどのように日本一へとつながったのか。今季への思いとともに語ってもらった。
【個人記録よりもベイスターズへの恩義】
── 昨年、日本シリーズを制覇して胴上げ投手になった森原投手ですが、今季の春季キャンプではB班(奄美大島)スタート。スロー調整となりましたが......。
森原 実戦登板にも入って、ここまで順調に来ています。とにかくトレーニングの段階を飛ばすことなく、2月から着実にコンディションを上げてきています。
── 昨年のレギュラーシーズンの最後に右肩を痛めたと聞いています。当時、どのような状況だったのでしょうか。
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森原 8月下旬から優勝に向けてブルペン全体としてギアを上げていくということで、3連投や回またぎなども解禁されて、誰もがいくらでも投げるぞとブルペンの結束力は高まりました。僕としてもやれるだけのことをやろうとコンディショニングを整え、必死にマウンドに立っていたのですが、10月1日の広島戦で29セーブ目を挙げた翌日、無理がたたってしまったのか、腕が上がらなくなりました。炎症が強く、肩に水が溜まってしまい、痛みがありました。
── 肩を痛めたのは初めてですか?
森原 はい。残り4試合、30セーブもかかっていたし、目標としていた60試合(最終成績は58試合)も見えていた状況。監督やコーチからは、もし数字に挑戦するなら全面的に協力すると言われました。そこで投げようと思えば、投げられたと思うんです。しかし、自覚症状として、これは先々のことを考えても厳しいなという感覚もありました。30セーブに挑戦できる機会はなかなかない状況下、ものすごく悩んだし、葛藤しました。ほかの選手に聞いても、「30セーブを目指すべきだ」という意見を多く耳にしました。
だけど、そこで自分の信念に問いかけたんです。自分はベイスターズで何をすべきなのか? もうリーグ優勝は消えていましたし、ここは日本一を目指し、ポストシーズンに向けてコンディションを整えるべきではないか。そして10月2日の巨人戦でクライマックスシリーズ(CS)進出が決まったあと、監督やコーチにポストシーズンに備えたいのでベンチから外してくださいと伝えたんです。この決断は、昨年で一番大きかったものだったと思います。
── なるほど。森原選手としてはコンディションを考慮し、30セーブという"花"よりも、日本一という"実"を選んだということですね。
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森原 はい。かなり悩みましたけど、ベイスターズには移籍で獲得していただいた恩義があるので、最後は僕にできる最善は何なのかを考えての決断でした。正直、これがもっと若かったら、無理してでも30セーブは狙っていたと思います(苦笑)。ただ、今の立場を鑑みればポストシーズンに賭けてみたかったという思いも強かったし、ウチのチームならば行けるんじゃないかって予感もありました。
【信念を貫いた先に見えた景色】
── とはいえ、個人成績は一生残るものです。登山で言えば、山頂がそこにあるにも関わらず悪天候で引き返すといった勇気ある撤退というところですね。決して無理はしなかった?
森原 はい、チームのメンタルパフォーマンスコーディネーターの遠藤(拓哉)さんともそんな登山の話をしましたね。30セーブは選手である以上、また挑戦できるはずだとポジティブに考えるようにして気持ちを収めました。何より思うのは、あの決断をしたってことに価値があるということです。結果がどうであったとしても、自分の信念に基づいて行動ができたことが、後々きっと生きてくるのではないかと思っています。
── 結果、CSでは4試合で投げて4セーブ、日本シリーズでは胴上げ投手になりました。
森原 そんなこともあったので、CSで優勝した時も、日本一になった時も、僕は「報われました」というコメントを残したんです。結果、勝って終わることができて正解だったんですけど、こればかりはわからないことですからね。野球の神様はいるんだなって思いましたよ。
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── ポストシーズンで一丸となり頑張ったブルペン陣ですが、帯同されていて何か感じたことはありましたか。
森原 これ以上ない団結力を持って戦えたと思いますね。僕個人のことで言えば、オフの自主トレからともにやってきた(坂本)裕哉が一番投げていたことですね(CSで6試合、日本シリーズで4試合)。完璧に抑えていたし、裕哉が頑張っているからオレも頑張ろうって、ここ一番でいい刺激になりました。
── チーム全体としてはいかがだったでしょうか。
森原 当事者の自分が言うのはちょっとおかしいのですが、ベイスターズはすごいなって思ったんですよ。チームとしてはもちろん、裏方さんやスタッフも含め、組織としてギアをしっかり上げられるというか、短期決戦で全員の意思を統一し、絶対に勝つぞと固まって、すごい勢いで走り出しました。僕はベイスターズで2球団目ですけど、本当にすごい組織だなって感じました。そしてキャプテンの牧(秀悟)の存在ですよね。
── 牧選手はキャプテン1年目、苦労も多かったようですがチームをけん引しました。
森原 僕は世代的に一歩引いて冷静に全体の状況を見ているわけですけど、牧の成長をすごく感じたんですよ。牧ってどちらかというと明るくてユーモアのある人間ですけど、最後は笑わずにずっと厳しい表情をして、戦う姿勢を誰よりも見せてくれました。シーズン序盤からずっと様子を見ていて、きっと一番しんどかったんだろうなって思いましたし、だからこそ僕たちも頑張ろうって。
以前、僕と同じく他球団から来た(中川)颯や(佐々木)千隼と話したことがあるんですよ。ベイスターズはノリがよくて、盛り上がるのは上手だけど、果たして厳しい環境で勝ちきるぞといった感じでまとまるのかなって。だけど、牧を中心にやってくれましたね。
【過去の自分を超えるための挑戦】
── その昨年の勢いを生かすべく新しいシーズンが始まりますね。
森原 今季も昨年の終盤で感じたヒリヒリとした雰囲気を、シーズンを通して味わいたいですね。自分としては、昨年以上にいい終わり方をするのが目標になります。もちろん、リーグ優勝、日本シリーズ連覇は当然として、そこで主力としていい形で投げられるようにしたいです。
── クローザーへのこだわりはありますか。
森原 もちろん、そこへ向けて全力でアピールはしていきますが、最後決断するのは首脳陣ですし、やることをやったなかで、あとは「頼む」と言われた場所を、どんな立場であれ究めたいと思っていますし、それが自分にとっての勝負だなと考えています。
個人的には、年齢との勝負になってくる時期ではあるのですが、それを踏まえたうえで、精度を上げるのか、新しい変化球を投げるのか、あるいは球速を上げていくのか。何かしらで、過去の自分を超える姿を見せるのがテーマになりますね。自分としては、どう終われるかというのをすごく楽しみにしているので、日々その準備を淡々と続けていきたいと思います。
つづく
森原康平(もりはら・こうへい)/1991年12月26日生まれ、広島県出身。山陽高(広島)から近大工学部、新日鐵住金広畑を経て、2016年ドラフト5位で楽天から指名を受け入団。19年はセットアッパーとして活躍するも、クローザーに転向した20年は成績が低迷。22年シーズン途中にDeNAにトレードで移籍。23年からリリーフに定着。24年は開幕からクローザーとしてフル回転の活躍を見せ、98年以来の日本一に大きく貢献した