戦前の硫黄島の写真。野球チームが複数あり、交流戦が開かれていたという(全国硫黄島島民3世の会提供) 天皇、皇后両陛下が7日に訪問される東京・小笠原諸島の硫黄島。太平洋戦争の激戦地として知られる一方、戦前には1000人規模の住民が暮らし、農産物や海産物の豊かな島だった。旧島民らの記憶を継承するため孫世代で結成された「全国硫黄島島民3世の会」会長の西村怜馬さん(43)は「硫黄島が世の中から忘れられないよう発信を続けたい」と話す。
硫黄島では日本領となった1891年前後から入植が始まり、北硫黄島を含め最大で約1200人が居住した。サトウキビや香料の原料となるレモングラスの栽培などが盛んで、島内ではマンゴーやパパイアがよく実り、海ではマグロやトビウオが取れたという。
しかし、太平洋戦争の戦況悪化により、島内での戦闘が不可避となった1944年、島民らは一部の軍属を除き本土へ強制疎開させられた。
西村さんの祖母菊池康子さん(2015年に死去)は、強制疎開する22歳ごろまで島で生活した。「家の戸を開けると海が見えた」「種をまくと野菜がすぐ育った」。西村さんは、康子さんから当時の話を聞いて育った。「話をたくさん聞いていたからか、今では島にいると懐かしい気持ちになる」と話す。
西村さんが「3世の会」をつくるきっかけとなったのは16年、島に墓参に訪れた際、参加する旧島民が減ったことに気付いたことだった。「高齢化した旧島民がいなくなれば、過去の島での暮らしや記憶が自然消滅してしまうのではと危機感を覚えた」と振り返る。
18年に3人で結成された「3世の会」は、旧島民への聞き取り調査や勉強会などを定期的に実施。強制疎開から80年となった24年にはシンポジウムも開催し、現在の会員は約40人に増加した。
西村さんは「旧島民からの『硫黄島をよろしくね』という言葉が活動の原動力」と話し、「島の歴史や記憶を将来に残すため、3世としてできることをやっていきたい」と力を込めた。

硫黄島旧島民の孫世代で結成された「全国硫黄島島民3世の会」の西村怜馬会長=3月29日、東京都港区