千街晶之のミステリ新旧対比書評・第7回 エラリイ・クイーン『最後の女』×斜線堂有紀『コールミー・バイ・ノーネーム』

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2025年04月10日 13:00  リアルサウンド

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  フレデリック・ダネイとマンフレッド・B・リーという従兄弟同士の合作コンビであるエラリイ・クイーンは、日本の「新本格」の作家たちにも多大な影響を与えたアメリカの巨星だ。デビュー作『ローマ帽子の謎』(角川文庫ほか)に始まる「国名シリーズ」や、日本で海外ミステリのベストテンが選ばれる時の上位常連作品である『Yの悲劇』(創元推理文庫ほか)等々、ミステリ史に残る輝かしい傑作を数多く発表したクイーンだが、今回紹介する『最後の女』(青田勝訳、ハヤカワ・ミステリ文庫)は、やや埋もれたような位置づけの作品である。刊行年は1970年。執筆担当のリーは翌1971年にこの世を去っており、『最後の女』はこのコンビの最後から2番目の長篇にあたる。


■「名前当て」ミステリの秀作

  クイーンは1942年の長篇『災厄の町』(ハヤカワ・ミステリ文庫)以降の幾つかの作品で、作者と同名の名探偵エラリイ・クイーン(以下、混乱を避けるため作者はクイーン、探偵はエラリイと記す)を、ニューイングランド地方の架空の町ライツヴィルで活躍させているが、『最後の女』は、エラリイの大学時代の旧友で富豪のジョニー・ベネディクトが、この町に別荘を持っていたという設定になっている。ニューヨークの空港でジョニーと偶然再会したエラリイと父親リチャード・クイーン警視は、誘われるままにその別荘を訪れた。だが、ジョニーは別れた3人の元妻たちをその別荘に呼んで、自分が死んだ時は彼女たちに100万ドルずつ払うという以前の約束を取り消し、明日新しい遺言状を作ると宣告する。当然ながら元妻たちは憤慨するが、その夜、ジョニーは何者かに殺害される。絶命する直前、彼はエラリイに電話である言葉を伝えていた。


  クイーンの作品にしては忘れられがちなのも道理で、事件の真相は発表当時はともかく、現在の読者にとってはさほど意外でも衝撃的でもないだろう。真犯人の正体を示す手掛かりも、少々露骨すぎる印象だ。とはいえ、この作品には注目すべき点がある。


   ジョニーの遺言状は、彼が結婚する予定だったローラという女性について言及していたが、関係者は誰もそんな名前の女性に心当たりがない。ところが終盤、エラリイはローラの姓についてある仮説を披露する。誰もローラの姓を知らないのに、エラリイはどうして推察できたのか? その推理には、ジョニーがエラリイに電話で伝えたダイイング・メッセージが関係している。そこに籠められた、絶命直前のジョニーの脳裏で繰り広げられたあまりにも異様な思考径路から、エラリイはローラの姓を逆算することが可能だったのだ。そこに到達するまでのロジックは極めてアクロバティックでインパクトが強く、その意味で『最後の女』は、「名前当て」ミステリの秀作として再評価が可能だとも言える。


■国産作品の「名前当て」ミステリ

  さて、「名前当て」ミステリといえば、近年の国産作品で収穫と言えるのが斜線堂有紀の長篇『コールミー・バイ・ノーネーム』である。2019年に星海社FICTIONSから書き下ろしで刊行され、2025年には毎日放送でTVドラマ化された。


  帯の惹句には、「俊英・斜線堂有紀が放つ待望の百合長篇第一作にして、切なさが炸裂する“名前当て”ミステリーの金字塔!」とある。「百合」とは、女性同士の恋愛、あるいはそれを扱った作品を示す言葉であり、従ってこの作品の主人公2人は女性である。


  大学生の世次愛(よつぎめぐみ)は、深夜のゴミ捨て場に捨てられていた美しい女と出会う。古橋琴葉と名乗る彼女は、一宿一飯の恩義として、家に泊めてもらう代わり、男女関係なく身を任せているらしい。そんな琴葉は、「アンタ、ウチと付き合う?」と話を持ちかけ、「私は……君と、友達になりたい」という愛からの提案に対しては「私はなりたくない」とにべもなく撥ねつけた。そして、もし友達になりたいのなら自分の本当の名前を当てるよう求める。彼女は、中学生の時に改名したため現在は古橋琴葉と名乗っているのであり、本当の名前は、「呪いみたいに絡みついた、ウチの宿命」なのだというのだ……。


  こうして、愛と琴葉は仮初めの恋人として交際を深めてゆくのだが、もし愛が琴葉の本当の名前を当ててしまったら、恋人としての日々は終わりを告げることになってしまう。そして、愛は本当の名前を探る過程で、琴葉の過去に秘められた深刻な秘密を知ることになる。
「名前当て」ミステリとしては、手掛かりはかなり早い時点で提示されている(なお、TVドラマ版では、第1話の時点で堂々と真相を示す単語が画面に映されており、その意味で原作以上に徹底した視聴者へのフェアプレイとなっていた)。その名前から浮かび上がるのは、琴葉の過去の凄絶さだけではなく、そんな過去と戦おうとした彼女の強さである。「名前当て」ミステリとしての構想が、百合小説としての主人公2人の関係性の掘り下げと不可分に結びついた秀作だ。


  この『コールミー・バイ・ノーネーム』を読んで、私がクイーンの『最後の女』を連想したのは、「名前当て」ミステリという共通点があるからだけではない。『コールミー・バイ・ノーネーム』の琴葉の過去が、タブー視されている社会的問題の告発を含んでいるのと同じように、『最後の女』も発表当時のその種の問題が着想の原点にある。真相にどうしても触れることになるため、その問題に具体的に言及するわけにはいかないけれども、1970年という刊行年を考えると、『最後の女』は前年に起きたある出来事の報道に接したクイーンが、何かしら思うところがあって物語の着想を得たのではないかと想像されるのだ。その出来事が起きたのは、1969年6月28日のニューヨーク。『最後の女』を既読の方は、この日付を調べることでそれを知っていただきたい。そして、半世紀後に発表された小説である『コールミー・バイ・ノーネーム』の内容も、その出来事から始まる歴史と決して無関係ではないのだ。


 





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