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2016年4月16日未明に発生した熊本地震の「本震」では、熊本県南阿蘇村を車で走行中だった男子大学生が土砂崩れに巻き込まれた。県警などが捜索を打ち切った後も父親と母親は懸命に捜し続け、約4カ月後に遺体との対面を果たした。だが、家族に惜しみない愛情を注ぎ続けた父親も病に倒れ、昨秋亡くなった。「お父さん、見守ってて」。残された遺族は、そんな思いを胸に9回目のこの日を迎えた。
大学生は大和晃(ひかる)さん(当時22歳)。2日前の「前震」で被災した熊本市内の友人に水などを届けて帰る途中、本震で崩落した旧阿蘇大橋近くを走っていたとみられる。
前震を上回るマグニチュード(M)7・3を記録した本震で、隣接する斜面から崩れた土砂もろとも橋は約80メートル下の黒川に崩落した。晃さんの消息につながる情報はなく、県は本震から2週間後に「2次災害の危険性がある」として捜索打ち切りを表明した。
「必ず見つけてやる」。父卓也さんは、妻忍さん(57)と下流域に足を運び、車や着ていた服装を記したビラを周辺で配るなどの地道な活動を続けた。執念の捜索の結果、本震から3カ月後、山登りの専門家らの手助けを得ながら下りた谷底で晃さんの車を発見した。「ひかるー」。おえつを漏らし、何度も息子の名前を叫ぶ姿に、捜索の支援に集まった周囲の人たちも涙をこらえられなかった。
発見からさらに約20日後、晃さんは巨岩に潰された状態だった車からようやく救い出された。遺体を乗せたヘリを見送る卓也さんの目からは涙があふれ出た。「独りぼっちのところからやっと抜け出せたね。やっと帰れるね」
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地震後、両親と兄翔吾さん(32)の3人は毎年、本震の発生時刻に現場を訪れた。卓也さんは22年の訪問時には「この場でこの時間、地震の時の様子を感じることで、少しでもあの子のつらさを和らげることができたら」と語っていた。
卓也さんの体調に異変が生じたのはその前後。徐々に体調が悪化していったが、本震の日の慰霊は欠かさなかった。24年も「ほんの数秒でも通る時間が違っていたら家に帰れたと思うと残念でしかたない」と変わらぬ思いを口にしたが、約5カ月後の9月、帰らぬ人となった。66歳だった。
「先にいった方が晃を一緒に連れていく」。忍さんは卓也さんと生前そんな約束を交わしていた。約束の通り、ずっと手放せずに自宅に安置したままだった晃さんの遺骨を、卓也さんの四十九日に卓也さんの遺骨とともに納骨した。
16日、忍さんと翔吾さんはいつものように本震があった午前1時25分に現場近くの祭壇で晃さんに祈りをささげた。翔吾さんは「晃が1人じゃなくなってよかったという気持ちはあるけど、やっぱり(卓也さんの死は)早すぎる……」と複雑な心境を吐露した。
忍さんは卓也さんの存在を感じながら、晃さんを悼んだ。「子どもを亡くしてからの9年は、それはそれは苦しくてつらいもので、何年たとうとも前向きに進めるものではなかった」
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でも、卓也さんがいたからこそ乗り越えられた。手を合わせながら、卓也さんにもこう伝えた。「お父さんはお父さんで天国で頑張ってね。私はここで頑張るから。しっかり応援しててね、見守ってね」。最後にこうも付け加えた。「ねえお父さん、お母さんのこと、愛しとる?」【野呂賢治】
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