JR福知山線脱線事故20年を前に開催されたチャリティーコンサートで歌う山下亮輔さん=20日、兵庫県伊丹市 2005年4月のJR福知山線脱線事故で両脚に障害が残った兵庫県伊丹市職員、山下亮輔さん(38)は、事故で一変した人生を前向きに生きている。直後は「助かって良かったなんて思えなかった」が、周りに支えられ前に進めるように。3年前に結婚し、間もなく父となる。「今度は自分が支える側に」。事故を知らない世代も増える中、周囲の助けで壁を乗り越えてきた経験を伝えている。
事故が起きた05年4月25日は、入学したばかりの近畿大に向かう途中だった。先頭車両に乗っていた山下さんは約18時間後に救出されたが、体を長時間圧迫されたことによる「クラッシュ症候群」を発症。両脚切断こそ免れたものの、高校時代はラグビー部員として走り回っていた体は自由が利かず、呼吸さえつらい状態に。先が見えずに毎日涙があふれ、「生き残った方がしんどい。助かって良かったなんて思えなかった」。
そうした中、両親や医療関係者が常に寄り添ってくれた。固まった足を伸ばすストレッチは激痛だったが、リハビリは「部活のようで毎日楽しかった」とさえ思えた。両脚に装具を着けるが、階段以外はつえなしでも歩けるほどに回復し、約10カ月で退院。約1年後に復学すると、各地で自らの経験を講演するなどし、卒業して地元の伊丹市職員になった現在も続けている。
今月20日、同市内の福祉施設で開かれたチャリティーコンサートでは、事故後の心境などについて振り返った後、退院後に周囲への感謝を込めて作詞した「君と歩く道」をギターの弾き語りで披露した。「大きな闇に取り込まれても 君がいてくれることが光となり 一歩踏み出す勇気となる」。集まった約60人からは温かい拍手が送られた。
演奏後、今月下旬に第1子が誕生する予定だと明かし、父として「これからが第3の人生」と話した山下さん。講演でも事故そのものより、ぶつかった壁を多くの人に助けられて乗り越えたことを強調してきた。「節目とは思っていなかったが20年は一世代。前向きなメッセージとしてこれからも経験を伝えたい」と考えている。

JR福知山線脱線事故20年を前に開催されたチャリティーコンサートで歌う山下亮輔さん=20日、兵庫県伊丹市