00年の京都新聞杯を制したアグネスフライト(00年5月撮影、ユーザー提供:サンタクロスさん) 歴が長いファンならご存じのように、かつての京都新聞杯は菊花賞のトライアルだった。春に移設されたのは00年のこと。ここではレース史上唯一GIIIで行われた移設初年度、アグネスフライトが重賞初制覇を果たし、日本ダービー制覇につなげた一戦を振り返る。
アグネスフライトは父サンデーサイレンス、母アグネスフローラ、母の父ロイヤルスキーの血統。父が歴史的名種牡馬なら、母は90年の桜花賞馬。まさに世代屈指の良血馬だった。年が明けた4歳2月にデビュー勝ち。続く若葉Sでは12着に大敗したものの、若草Sを快勝。日本ダービーに向けて賞金加算を目指し、京都新聞杯に駒を進めていた。
個性的なメンツとなった一戦、1番人気はサンデーサイレンス産駒のヤマニンリスペクトだった。アグネスフライトは2番人気。以下、ラムタラ産駒のイングランドシチー、名牝ロジータを母に持つカネツフルーヴまでが単勝10倍以内の支持を集めた。
レースはゆったりと流れた。発馬ひと息のアグネスフライトは最後方から。それでもベテラン・河内洋騎手は冷静だった。ここが勝負所と見て、3〜4角の中間あたりから大外を進出。4角でも先頭との差は5馬身ほどあったが、グイグイ伸びて残り100mで前を捕らえる。終わってみれば2着のマルカミラーに3馬身の圧勝で、重賞初制覇を果たしたのだった。
アグネスフライトは続く日本ダービーも制し、河内洋騎手にダービージョッキーの称号をプレゼントする。同時に京都新聞杯の春移設の意義を示すことになったのだった。