
ケンドーコバヤシ
令和に語り継ぎたいプロレス名勝負(15) 前編
(連載14:越中詩郎の「禁断の試合」 ザ・コブラのための大会で目撃したある異変>>)
子どもの頃からあらゆる団体の試合を見続け、各メディアで"プロレス愛"を披露してきたケンドーコバヤシさんが、独自の目線で名勝負を語り尽す連載。第15回は、「近代プロレスにおけるベスト興行」と断言する1991年の「第1回G1クライマックス」について振り返った。
【G1開催のニュースに「これは面白くなる」】
――昨年9月の越中詩郎さんの試合以来、久しぶりの連載ですが、今回はどの試合を語っていただけるのでしょうか?
|
|
「その前に、今回の内容にも関わることなんですが、今年3月に広島で武藤敬司さんと蝶野正洋さんのトークショーがありまして、その司会をやらせていただいたんですよ」
――武藤さん、蝶野さんにケンコバさんって、めちゃめちゃ豪華なトークショーですね。
「たまたまお声がけいただいて、ありがたい限りなんですが......やっぱり"闘魂三銃士"のおふたりにお会いすると、どうしても思い出す試合、大会があって。今回はその戦いを語りたいと思います」
――その大会とは?
「1991年夏の、第1回G1クライマックスです」
|
|
――ウワッ! それは伝説の大会ですね!
「俺は、あの大会こそが近代プロレスにおけるベスト興行だと思っています。G1は今も夏に行なわれていて、毎回ドラマが生まれますけど、あの第1回大会はすごかった......超豪華なメンバーが揃って、内容もすばらしかったですし、何より時代が闘魂三銃士へと動いた歴史的な大会でした。あのイベントを上回る大会は、現時点では思いつかないです」
――大会は当時、「新日本プロレスで真の最強を決める」という趣旨で行なわれたように記憶しています。しかも日程は、8月7日に愛知県体育館で開幕し、9日から11日まで両国国技館で初の3連戦という短期決戦で画期的でした。
「俺もG1開催のニュースを目にした時、『これは面白くなるぞ』と胸がときめきましたよ。1991年は、ライバルの全日本プロレスが9年ぶりに"春の本場所"と呼ばれる『チャンピオン・カーニバル』を復活させた。一方の新日は、MSGシリーズ、IWGPなどがすでに終わったあとはリーグ戦がなく、『なんで新日はリーグ戦をやらんのや』って思ってたところでのG1開催ですから。名古屋と両国3連戦だけで最強を決めるっていうシステムも衝撃的でしたね」
【ケンコバの優勝予想は長州だったが......】
――競馬の重賞レース「G1」から拝借したという大会名も、これまでのプロレス界にはない新鮮な響きがありました。
|
|
「大会名の由来については諸説あって、ケロちゃん(田中秀和リングアナウンサー)が命名した、という説もありますね。ただ、これは俺のかすかな記憶なんですけど......当時、社長だった坂口征二さんが競馬にハマりすぎて『ウチもG1やろう。重賞レースやろうよ』みたいなノリで『G1』って決まったような気がするんです」
――そういったところも含めて、深堀りのしがいがありますね。
「日程、大会名も斬新でしたが、やはりすごかったのはメンバーです。2ブロック制の総当たりで、Aブロックが藤波辰爾、武藤敬司、スコット・ノートン、ビッグバン・ベイダー。Bブロックが長州力、クラッシャー・バンバン・ビガロ、橋本真也、蝶野正洋。あらためて名前を挙げてもワクワクする、まさに選ばれた8人でした」
――おっしゃる通りです! 優勝者は誰だと予想していましたか?
「俺は長州さんだと思っていました。なぜなら闘魂三銃士は、それまでの戦績では外国人の壁を越えていなかったからです。当時の新日で絶対的な存在はベイダーでした。三銃士のなかでは、橋本さんがリングアウトで勝ったことはありましたが、上回った印象ではなかったですからね。
しかもほかの外国人選手も、ノートン、ビガロというすさまじいパワーを持つ"恐竜"たちでしたから、三銃士は勝てないだろうと。そうなると、ベイダーにフォール勝ちしたことがある長州さんが本命で、藤波さんが対抗かなと予想していました」
――ところが、いきなり大番狂わせが起こりましたね。
「そうですね。開幕戦の名古屋で、長州さんが蝶野さんのSTFでギブアップ負け。しかも、両国ではビガロ、橋本さんにも負けて、まさかまさかの全敗を喫したんです。優勝を予想していた俺にとっては驚きの展開ですよ。そしてこの時、あらためてビガロを実力者と認識しましたね」
【スポットライトを浴びた闘魂三銃士】
――ビガロは身長190cm超、体重160 kg超の巨体に加え、軽々と側転するくらい抜群の運動神経を誇るレスラーでした。スキンヘッドに入れ墨という風貌も特徴的で、1987年1月に初来日していきなりアントニオ猪木の宿敵に抜擢されたエース外国人でした。
「ただ、このG1の頃は、元横綱・双羽黒の北尾光司さんのデビュー戦(1990年2月10日、東京ドーム)で負けたりして、ベイダーやノートンに比べると立ち位置が微妙でした。ところが、この長州さんとの試合でランニング式DDTを決めたり、当時としては新しいムーブをやったんですよ。あれだけの巨体なのに力任せな、無理やりな技がなかったし、プロレスセンスの塊みたいな男でしたね」
――本当にすばらしい選手でした。2007年1月に、45歳の若さで亡くなったのが惜しまれます。
「あまりにも若すぎました。寂しいですね......」
――全敗を喫した長州さんに話を戻しますが、3連敗した原因はどこにあったと思いますか?
「あの時はショックでしたが......冷静に考えると、当時の長州さんは現場監督でしたから、もしかしたらお休みしたかったんちゃうかなと(笑)。ただ、身を切ってビガロ、蝶野さん、橋本さんといったほかの選手に注目を集めさせたのは、すごいと思います」
――長州さんが全敗したことで、このG1で一気にスポットライトを浴びたのが、闘魂三銃士でした。
「そうなんです。最初に話した広島でのトークショーでも、武藤さん、蝶野さんとしゃべっているうちに第1回G1の記憶がめちゃめちゃ蘇ってきて、なんなら、おふたりのトークを聞き逃しているところもありました(笑)。俺の意識が、1991年の名古屋、両国3連戦に飛んでいっちゃってたんです。
それで、そのトーク中にハッと思い出したことがあったんです。『このG1で勘違いしていたことがある!』と」
――えっ! それはいったい何でしょうか?
「両国国技館の座布団にまつわることなんですが......それは、次回に回しましょう」
(中編:第1回G1での勘違い 蝶野正洋と武藤敬司の決勝のせいで「忘れられている場面がある」>>)
【プロフィール】
ケンドーコバヤシ
お笑い芸人。1972年7月4日生まれ、大阪府大阪市出身。よしもとクリエイティブ・エージェンシー所属。1992年に大阪NSCに入学。『にけつッ‼』(読売テレビ)、『アメト――ク!』(テレビ朝日)など、多数のテレビ番組に出演。大のプロレス好きとしても知られ、芸名の由来はプロレスラーのケンドー・ナガサキ。