世紀の乱闘事件、野村克也の生涯唯一の退場劇... 名審判が振り返るプロ野球名シーンの舞台裏

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2025年07月05日 07:20  webスポルティーバ

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 プロ野球審判として32年、2898試合をジャッジし、退場宣告はわずか3度という名審判員の小林毅二氏。正確なジャッジを信条に、時には選手や監督の激しい抗議や乱闘の現場も経験してきた。野球の「ゲームコントロール」を担う審判の裏側や、近年導入されたリクエスト制度への見解、人間が裁くことの醍醐味まで、審判人生の重みを語る。

【世紀の乱闘事件の球審だった】

── 審判として通算32年、2898試合に立ちましたが、退場を宣告したのはわずか3度しかありません。それは、ジャッジが正確だった証しでもあります。1987年、巨人のウォーレン・クロマティ選手が死球を受けた際、中日の宮下昌己投手に突進し、右ストレートを左頬に叩き込みました。その試合の球審が小林さんでした。

小林 私が2人の間に入れば止められると思ってクロマティを抑えにいったのですが、さすがに体格もスピードもまったく違って、止めるのは無理でした。両チーム総出のもみ合いになり、私は人の波にのまれて、もはや泳ぐように動くしかありませんでした。審判員は、止められないと判断した時は無理に中に入らず、外から状況を見守り、あとの処理のことを考え、誰が暴力を振るっているのかをしっかり確認しておかなくてはなりません。

── 中日・星野仙一監督は王貞治監督の左肩に手をかけ、自らの右拳を握りました。「クロマティが宮下を拳で殴ったんだ。それはダメでしょう。退場ではないか!」と言っていたと、当時の選手から聞きました。

小林 あの試合の責任審判だった柏木敏夫さんが、観客に「クロマティ退場」の事情を説明しました。たしかにもみ合いにはなりましたが、ほかに殴り合いをするような場面はなく、退場処分になったのは張本人の一人だけでした。ただ、その後は「警告試合」として再開しました。

── 王さんに対して、星野監督があのような態度をとったのは、野球界ではセンセーショナルな出来事でした。

小林 ただ、それで王監督を殴ったのなら問題ですが、結果的に拳を顔の前にかざしただけなのです。われわれ審判員に暴言とか暴行があったのなら別ですが......。

── 審判員はやはり冷静で客観的なのですね。

小林 審判員の仕事は、試合を円滑に進めること、つまり「ゲームコントロール」です。勝負ごとですから、勝ちがあれば、負けもある。審判員は常に中立の立場ですが、負けた側には不平や不満が生まれ、つい審判にひと言、ふた言、文句を言いたくなるもので。でも、そういう仕事を選んだのは私たち自身ですから、そこは甘んじて受け入れなくてはなりません。とはいえ、不満の矛先が審判に向かうことなく、試合が無事に終わるようにすることこそが、最も大切な「ゲームコントロール」だと思っています。

【野村克也の生涯唯一の退場を宣告】

── 2度目の退場宣告は、1998年の巨人対阪神戦での、阪神の木戸克彦コーチでした。

小林 二塁走者だった巨人の仁志敏久選手が回り込んで本塁に突入し、阪神の矢野輝弘(燿大)捕手はタッチできず、私は球審としてセーフと判定しました。その判定に対して、木戸コーチが暴言を吐いたため、退場を宣告しました。当時の監督は、巨人が長嶋茂雄さん、阪神が吉田義男さんでした。

── 3度目は1999年8月7日。阪神の湯舟敏郎投手が送りバントを決め、ヤクルトの三塁手・池山隆寛選手が一塁へ送球。二塁手の馬場敏史選手が一塁のカバーに入りました。一塁塁審だった小林さんの「アウト」のコールに、阪神・野村克也監督が暴言を吐き、退場を宣告しました。

小林 私は「アウト」だと思って、野村監督は「セーフ」だと。その繰り返しで、平行線をたどりました。

── その年から阪神の指揮を執った野村監督ですが、7月終了時点で首位に12.5ゲーム差の5位。特に7月は7勝14敗と大きく負け越し、鬱憤がたまっていたのでしょうね。

小林 そのあたりの背景について、私たち審判は関知しません。当時は違いましたけど、現在の規則で言えば、5分を超えて抗議を続けた場合は、自動的に退場になります。実際、あの時は抗議を受けている最中に、退場に値する言葉が発せられたために退場を宣告しました。

── 資料によると、「バカ」と暴言を吐いたとあります。

小林 それに近い言葉はありました。退場の理由になる「審判が耐え難い暴言」の内容を公言する審判もいるかもしれませんが、私は言うべきではないと思います。

── 退場を20度も宣告した審判員がいる一方、小林さんは2898試合にも出場しながら、わずか3度だけです。正確なジャッジで「もめごと」がなかった裏返しです。

小林 いや、審判のなかには、退場をほとんど宣告しない人もいます。たとえば、野村監督のように自分の父親ほどの年齢の監督が出てきたら、何を言われても退場にさせられないことも実際あったといいます。当時の私は、経験も年齢もそれなりに重ねていました。だから今後のためにも、退場に値する暴言に対しては、毅然とした態度で臨まなければならないと思っていました。

── 野村さんは現役時代を含め、プロ生活36年目、4361試合目で初めて、そして生涯で唯一の退場を経験したようです。

小林 野村監督はそのあとも退場がなくて、結果的にあれが唯一の退場となったわけですね。

── 野村監督は、抗議が細かな監督だったのですか?

小林 野村監督ではありませんが、かつては個性的で抗議好きな監督もいました。現在は「リクエスト制度」の導入で、監督の抗議がほとんどなくなり、審判員と監督の間に接点がほとんどありません。ちなみに、野村さんがヤクルトの監督だった1992年の日本シリーズ第1戦、ヤクルト対西武戦で杉浦亨選手が「代打で延長サヨナラ満塁本塁打」を放った時の球審は、私だったのですよ。

【リクエスト制度は必要か?】

── 2018年に導入された「リクエスト制度」について、どのようにお考えですか?

小林 退場に値する暴言については、私たちはアメリカのアンパイアスクールで教育を受けてきました。しかし、先に述べたように、昔の日本の審判は我慢することも多々ありました。少し前までは審判も厳しくなり、すぐに退場を宣告することもありましたが、最近は「ビデオの世界」になったため、トラブルになるケースがほとんどなくなっています。

── ファンとしては、「珍プレー・好プレー」ではないですが、たまに抗議や乱闘も見たい気がします。

小林 試合中のトラブルは、ある意味つきものです。ボールやストライクの判定以外では、監督とのやり取りで観客を長く待たせないよう、短時間で抗議をうまく収められるかどうかが、審判員の技量の差につながります。

── 「正確なジャッジの説明」なり「ルールの適用」なり、言わば、審判の腕の見せどころですよね。

小林 私たちのように、監督の抗議を受けながらゲームコントロールをしてきた世代の審判からすると、誤解があったら申し訳ないですが、今のリクエスト制度があれば、もう少し長く現役を続けられたのではないかという感覚があります。何かあればすべて機械が最終判定をしてくれて、文句も言われなくなるわけですから。

── アメリカの3Aや韓国プロ野球は「ロボット審判」が導入されています。審判の存在意義に関してどう思いますか?

小林 機械が判定するという「割り切り」ができてしまいました。しかし、本来はアウトかセーフか微妙なタイミングで観客が息を呑み、そこで人間の審判員がコールして歓声が沸き起こる。そうした野球の面白さや醍醐味が、今は失われてしまっていますよね。

── サッカー界も「三笘(薫)の1ミリ」(2022年W杯カタール大会スペイン戦)ではないですが、VAR(ビデオアシスタントレフェリー)の時代です。

小林 「機械でジャッジしたほうが絶対に正しいからいい」と考えるファンもいるかもしれません。しかし、メジャーリーグの審判員も嫌気がさして、少し前に何人かがまとめて辞めています。人間だからこそ間違いもあるかもしれませんが、それも含めての野球なのか、それを排除する野球なのか......ということですね。やはり人が裁くからこそ、野球は面白いのだと思います。


小林毅二(こばやし・たけじ)/1946年8月20日生まれ、東京都出身。日体荏原高→日本大→東京都高等学校野球連盟、首都大学野球連盟→セ・リーグ審判員(1972年〜2003年)。通算32年2898試合出場。日本シリーズには12度出場。1994年の巨人と中日の「10・8決戦」で球審を務めるなど、数々の名シーンをジャッジしてきた。プロ野球を退いたのち、現在は東京都高等学校野球連盟の指導員として審判技術と知識の普及発展に努めている

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