和泉雅子さん死去 63年主演映画「非行少女」モスクワ映画祭金賞、89年日本人女性初の北極点踏破

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2025年07月19日 05:31  日刊スポーツ

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女性として初の北極点踏破を目指したが、わずかのところで断念し132日ぶりに帰国した和泉雅子さん(当時37歳)=1985年6月8日

1989年(平元)5月に日本人女性として初めて北極点に到達した、冒険家で女優の和泉雅子(いずみ・まさこ)さんが9日午後1時3分、原発不明がんのため自宅で死去した。77歳だった。18日、所属事務所が発表した。生前葬を営んでおり、葬儀は故人の遺志で行わない。5月に自宅で倒れ、入院。退院後は自宅で療養していた。


   ◇   ◇   ◇


俳優から、日本を代表する冒険家まで…ジャンルも、国境も越えて躍動し続けた和泉さんが逝った。銀座のすし料理店の娘として生まれた和泉さんは、小学5年で児童劇団「若草」入りし、子役としてキャリアを始めた。58年には映画「荒城の月」(猪俣勝人監督)に子役として出演し、映画デビュー。その後、人気喜劇俳優だった柳家金語楼さんの金語楼プロに移籍した。


大きな転機が巡ってきたのは61年。日活のプロデューサーだった水の江滝子さんの目に留まり、中学2年で日活に入社。そして、水の江さんが企画し、二谷英明さんが主演した同年7月公開の映画「七人の挑戦者」(松尾昭典監督)で、俳優として本格的なデビューを果たした。


日活では、吉永小百合と松原智恵子(ともに80)と「日活三人娘」として人気を呼び、100本近い映画に出演。63年には主演映画「非行少女」(浦山桐郎監督)がモスクワ映画祭(ソ連、現ロシア)に出品され、金賞を受賞。学校に行かない15歳の若枝を演じた、和泉さんの演技も、審査員のフランスの名優ジャン・ギャバンから高く評価され、後年に「ちょっと舞い上がったわ」と振り返った。66年にはザ・ベンチャーズの楽曲をカバーした、山内賢さんとのデュエット曲「二人の銀座」が100万枚を超える大ヒット。それを受けて、翌67年には山内さんとともに主演した同名の映画も公開された。


80年代からは冒険家として活躍。85年に隊長として遠征隊を組織し、北極点到達に挑戦したが断念も、89年に2回目の挑戦で、出発から62日目に日本人女性として初めて北極点踏破に成功した。その後は、精力的に講演活動で全国を回り、自身の経験を伝え続けた。


◆和泉雅子(いずみ・まさこ)1947年(昭22)7月31日、東京都生まれ。61年に日活に入社後、「非行少女」ではエランドール賞新人賞を受賞。68年に日活を退社し、その後はドラマ、舞台に活動の場を移す。83年にテレビ東京系のドキュメンタリー番組で南極に行ったことをきっかけに北極行きを決意。85年に著書「私だけの北極点:北緯88度40分」を、94年には初の写真集「ハロー オーロラ! 和泉雅子写真集」を出版。

このニュースに関するつぶやき

  • このニュースを見て二人の銀座でデュエットした山内賢さんを検索したら2011年に亡くなっているのですね 山内賢さんの待つ黄泉の国でデュエット復活ですね 気をつけて逝ってらっしゃい・・・
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