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東京大学大学院農学生命科学研究科の研究チームが2021年に発表した論文「Why do so many modern people hate insects? The urbanization-disgust hypothesis」は、現代社会に広くみられる「虫嫌い」の原因について進化心理学の観点から調査した研究報告だ。
研究チームは、虫嫌いの多くが「嫌悪」という感情として現れることに着目した。嫌悪は病原体回避行動を生み出すための心理的適応と考えられており、人類の進化の過程で獲得された防御メカニズムだ。虫に対する嫌悪は、虫が運ぶ病原体による感染を回避すると考えられる。この理論に基づき、都市化が虫嫌いを増大させる2つの経路があると仮説を立てた。
第1の経路は、都市化によって虫を見る場所が変化したことに関連する。都市部では野外の虫が減少する一方、室内で虫を目撃する機会が増える。食事や睡眠といった生活の重要な場面が展開される室内に侵入してきた生物は、野外にいる生物よりも感染症リスクが高いと無意識に判断され、より強い嫌悪感を引き起こすと考えられる。
第2の経路は、都市化による自然体験の減少と知識の低下に関わる。エラーマネジメント理論によれば、危険でないものを危険と判断する「偽陽性」のコストは、危険なものを危険でないと判断する「偽陰性」のコストよりも小さい。そのため、不確実性が高い状況では、安全側に偏った判断をする傾向が進化してきた。
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都市部の住民は虫の種類を区別する知識が乏しく、結果として本来避ける必要のない多くの虫まで嫌悪の対象としてしまう可能性がある。
これらの仮説を検証するため、研究チームは日本全国1万3000人を対象とした大規模なオンライン実験を実施。結果、同じ虫の画像でも室内を背景にした場合の方が、屋外を背景にした場合よりも強い嫌悪感を誘発することが明らかになった。興味深いことに、カブトムシだけは室内背景でも嫌悪感の増加が見られなかった。
さらに、都市化度が高い地域の住民ほど虫の種名を識別する能力が低く、識別能力が低い人ほど多くの種類の虫に嫌悪感を持つことが判明した。虫の識別能力が高い人は、ゴキブリのような特定の虫には強い嫌悪を示す一方、テントウムシのような虫には嫌悪を感じないという明確な区別があった。しかし、識別能力が低い人は、テントウムシにさえも高い嫌悪感を示す傾向があった。
この研究結果は、虫嫌いの背景に病原体感染を避けようとする進化的圧力によって形成された心理的メカニズムがあり、それが現代の都市化によって過剰に作動していることを示唆している。
Source and Image Credits: Yuya Fukano, Masashi Soga, Why do so many modern people hate insects? The urbanization-disgust hypothesis, Science of The Total Environment, Volume 777, 2021, 146229, ISSN 0048-9697, https://doi.org/10.1016/j.scitotenv.2021.146229
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※ちょっと昔のInnovative Tech:このコーナーでは、2014年から先端テクノロジーの研究を論文単位で記事にしているWebメディア「Seamless」(シームレス)を主宰する山下裕毅氏が執筆。通常は新規性の高い科学論文を解説しているが、ここでは番外編として“ちょっと昔”に発表された個性的な科学論文を取り上げる。X: @shiropen2
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